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板橋区民、再び練馬区民の前に立つ。

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 現在、我が赤塚郷は上陸した台風9号で大荒れです。災害警報が出ていますのでご注意を。

避難準備 発令
成増一丁目
赤塚四丁目、赤塚五丁目、赤塚八丁目
大門
三園一丁目
四葉二丁目
徳丸三丁目、徳丸七丁目、徳丸八丁目

避難所開設<赤塚第三中学校、紅梅小学校>

昨日(21日)、板橋区民は昨年に引き続き練馬区石神井ふるさと文化館の壇上に立った。
昨年の講演でご好評をいただき、会場定員が100名のため締め切りで入れなかった方々よりリクエストがあったので、今年もふたたび恥を忍んでの登壇となった。

前回は終戦から70年の紀念年だったので、各所にて戦争関係の展示などもあり需要があったのだろうと思っていたのだが、今年も呼ばれたのはありがたいことでした。
戦争の話は、毎年毎年繰り返し伝えた方が良いのだけれど、伝統芸能のように歌や踊りなどのパフォーマンスがあるわけでもなく、聞く方も「また同じ話かよ」ということであきられてしまうもので、継承はなかなか難しい。

開演時間の10分前にこっそり会場の後ろから入り、席を見回すと、うん?見た方がいるぞと思いそばによると、おお、なんと47戦隊で連絡役を務めていた高橋幹夫さんがおられるではないか!齢93歳を越えられ、この酷暑の中お誘いするのは忍びないのでご連絡はしなかったのだが、わざわざ来ていただけたようだ。

最後にお会いしたのは3年前だったか、その時と全く変わらずお元気な様子で安心しました。高橋さんは10代の頃から軍属として大陸に渡り現地で航空整備員となり開戦直前には、ビルマへ向かう飛行第64戦隊、あの軍神加藤隼戦隊長の乗機に”触った”ことがあるという逸話の持ち主だ。

その後内地に戻り47戦隊の整備員となったけれど、性格が良かったのか奥田戦隊長に可愛がられ、戦隊本部との連絡役を務めておられた。いつも戦隊長の写真を持ち歩いていて、この日も戦隊長の写真を持参して参加されていた。

今回は関係者の方々がお持ちであった写真を中心に年表に沿って紹介を行ったのだが、やはり後半時間が押してしまい、昭和20年2月以降の話がダイジェストのようになってしまった。昨年の反省がまったく生かされず不本意なことで、せっかく来ていただいた方々には申し訳ないとしか言いようがありません。いただいたアンケートの中にも「雑談が多く、もっと内容が聞きたかった」などと正直な感想を書かれる方もいて落ち込むばかり。どうもスミマセン。

時間が押してしまい質問の時間もとれなかったので、聞きたいことがある方は終わってから来てくださいということで締めたけれど、その後、小学生がやってきて夏休みの自由研究で成増飛行場を調べてると言う。手元を見ると光が丘図書館で調べた資料をごっそり持っているではないか。素晴らしい。あまり若いので将来までも興味を持っていてくれているかが心配だけれど、彼の肩をがっちりつかみ「頑張れよ。」と激賞、つくづく、君たちが希望なんだよ、と思いながら会場を後にした。


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