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とうぶねりま民からの伝言。

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 梅雨の晴れ間ですね。っていうかホントに梅雨入りしたんすか?


今回は、毎度おなじみ1979年シリーズから。

昭和時代を知っている人間ならばこの写真をみてすぐにわかると思いますが、これはかつて鉄道駅で目にした「伝言板」あるいは「忘れ物掲示板」だ。

今はもう個人でモバイル通信機器を所持しているのが当たり前の時代なのでお役御免となり、まさしく昭和の遺物ですね。(今でも忘れ物掲示板はあるけど)
わからない方に説明すると、これは駅での待ち合わせの時などに利用された個人間の連絡用黒板だ。

写真の伝言板は、撮影時のネガから判断すると東武練馬駅に設置されていたものと思うが、なんともアホな書き込みしかなく、地元民としては情けなくなりますな。おそらくは駅を利用していた今はなきK野高校生かS村高校生が書いたもの(D東大生ではありませんように‥)と思われる。

まあでも公共の場に置かれた伝言板なんてたいていはこんなもんで、相合傘とか卑猥なマークが描かれるのが関の山だったと記憶する。

さて、ここに書かれた伝言を読むと、ちょっと懐かしい文言があったりする。たとえば、

「3:00にTVの前行くからまってなさい!」

これなんかは、ああそうだったよなとおもわず頷く。

池袋駅での待ち合わせ場所といえば”いけふくろう”が有名だけれど、東上線民にとっては西口東武デパートエスカレーター裏の”マルチスクリーン”が現在でも鉄板の待ち合わせ場所だ。当時は「36面テレビ」などと呼んでおり(人によるけど)、36台のブラウン管モニターが並んでいた。最近行ってないので違うかもしれないが今は液晶の大型モニターが数台設置されているのかな?だから昔に比べるとあまりインパクトはない。

続いて見ていくと「あしたは楽しい一日なのら」との書き込みは、当時少年サンデーで連載されていた楳図かずお先生の「まことちゃん」からきているのか?川崎麻世さんはわかりますね。

それにしても、個人情報保護が叫ばれる平成の世では、アナログな伝言板などはもっての他かもしれないが、大災害が起こり通信手段が途絶えた時に備え、昭和の頃にはこんな手段があったと覚えておいたほうが良いのかもしれない。

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コメント

オーク様、今日は。
伝言板の写真は、懐かしい限りです。
>ちょっと懐かしい文言~では、「ついたら呼び出ししてもらって」がありますね。
「〇〇からお越しの□△様、××様が北口改札でお待ちです。」なんて構内放送が当時聞かれましたね。
今ではこの様な呼び出し放送は聞かれなくなりましたが、迷子の放送だけは無くなりませんね。

投稿: ひでぼう | 2016年6月13日 (月) 15時38分

>>ひでぼうさま
コメントをありがとうございます。

そうですね、呼び出しの放送がありましたね。それにしてもどうせならもっとマシな伝言が書いてある掲示板を撮影すれば良かったのに、と反省します。

投稿: オーク | 2016年6月13日 (月) 21時22分

いつも楽しく拝見しています。
この掲示板が撮影された頃、私は板橋区内の女子高に通っていました。実は、このような掲示板が校内にもありまして、主に部活動の連絡用として使用していたように記憶しています。今では残っていないでしょうね・・・。

「36面テレビ」も懐かしですね。「40面テレビ」「東武テレビ」とも呼ばれていました。何度、友達との待ち合わせに使用したことか・・・現在は、携帯電話の普及により、待ち合わせ場所という概念も少し希薄になってしまったのかもしれませんね。

投稿: Izumi | 2016年6月25日 (土) 22時16分

>>IZUMIさま
コメントをありがとうございます。

会社などではまだ伝言板を使っているところもあるでしょうね。日本で一番最初に伝言板が置かれた駅は新宿駅と聞いたことがあります。
関東大震災時に上野の西郷さん像へ紙片に書いた伝言がベタベタ貼られている写真が印象的です。

投稿: | 2016年6月26日 (日) 10時26分

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