« シン・東京大仏。 | トップページ | 板橋区民、身を削る。 »

ペンギンミステリー、解決する。

730_20511_20512_20513

爽やかな晴天が続きましたが、本日は雨。

先週、所用で奈良京都におりましたが噂にたがわず外人ばかりで驚きました。昔は”人種のるつぼ、ニューヨーク”と言われてましたが今は京都が人種のるつぼ、ですね。特に伏見稲荷は15分も立ち止まっていればあらゆる人種が目の前を通り過ぎるんジャマイカ、ってな感じでした。。


さて、2013年5月と2015年4月(再掲・ペンギン来日100周年)の2回、常盤台住宅が誕生した時に板橋区へ移住してきた日本画家の西沢笛畝さんが、出身地である浅草に住んでいた若き日、近所の花やしきにペンギンがやってきたということで写生した絵についての記事を書きました。(絵は大正4年-1915年-7月に描かれた。)

この時、書物や新聞記事を調べたのですが、”日本で一番最初にペンギン(当時の表記ではベンギン鳥)が来たのは上野動物園である”と書かれているのに、同時期に笛畝さんがペンギンを花やしきで写生しているのはなんでなんや?しかも上野は「フンボルトペンギン」、花やしきは「アゴヒゲペンギン」やないか。これはミステリーや。ってなことを書いたのでした。

‥それから3年、ついにその謎が解ける日がやってまいりました。その前に、ペンギンが上野動物園にやってきたいきさつを以下当時の東京朝日新聞の記事から。

「●ぺンギン鳥来る▽直に死ぬだらう・・東洋汽船株式会社汽船紀洋丸機関長小澤磯吉氏がさきに南米チリ国イキケにて於いて入手したる南極探検にておなじみのぺンギン鳥は九日同氏より上野動物園へ寄贈したるを以て同園にては直に園内第二十七号室兒持鶴(こもちづる)の隣室に収容したるが該鳥は南半球に産するものにして南極探検者の常に其生息の状態等を紹介するものあるも生活の儘本邦に到来せるは恐らく今回が初めなり。右につき動物園主任技手の語るところに依ればぺンギンは其の種類二十種もありと伝へらるるが今本園到着のものを見るに其の翼は鰭(ヒレ)の如く脚は短くして直立の姿勢を保ち歩行するの状態は頗る奇異なれども一度水に潜るや陸上に於ける態度と一変し遊泳の敏捷巧妙なること到底鴈、鴨の比に非ず実に奇異なる動物なり。元来氷海の極寒冷の地に棲息するもの故日本の如き暖地在ては到底永く生存すること覚束なかるべし。」
東京朝日新聞 大正四年六月十一日
 ※イキケはチリ北部にある都市でタラパカ州の州都


来園したペンギンの種類については、「上野動物園百年史」(1982年発行)などに”フンボルトペンギン”と記載されてますが、花やしきで描かれた笛畝さんの絵は顔が白いペンギンで、添え書きにも「南極ペンギン」とかかれており、このペンギンは”アゴヒゲペンギン”と推察されるのだ。

で、フンボルトとアゴヒゲ、どっちが先に日本に来て公開されたんだ?というのがミステリーだったんですが、結論から先に書いちゃいますが、その謎はライヴァル紙「読売新聞」の記事であっさり解決を見ました。(最初っから読売新聞も調べとけよ!)以下順を追って記事の詳細を載せます。


*大正四年六月十一日掲載
「珍禽」ペンギン動物園に来る
かねて白瀬中尉の南極探検でお馴染みの「ペンギン」鳥が上野動物園へ来た。これは東洋汽船株式会社汽船紀洋丸機関長小澤磯吉氏が先に南米智利国イキケに於て入手したものを九日同園へ寄贈したもので同園では直に園内第二十七号室兒持鶴の隣室に収容した。該鳥は南半球に産するもので南極探検家が常に其生息状態を紹介して居たが本邦に来たのは今回が嚆矢である。右につき動物園主任技手の語る度に依ればペンギンは其種二十種もあるが今度本園へ到着したものは其翼は鰭の如く足は短くして直立の姿勢を保ち其歩行する状態は頗る奇異だが、一と度水に潜ると陸上にある時と其態度全く一変し潜泳の敏捷巧妙到底雁鴨の比でない、が元来が極寒の氷海に棲息するもの故日本の如き暖地では到底永く生存は出来まい云々


*大正四年六月二十日掲載
□ペンギンが死んだ 猩々の方は大の元気
去る九日東洋汽船紀洋丸の機関長小澤磯吉氏が上野動物園に寄贈した南極産のペンギン鳥は入園以来大分暑さに弱って居たが、黒川技手を始め同園では珍らしい得難い鳥だけに手当も特に気をつけて、一日に水の中に十数貫の氷を入れるやら魚類も新鮮なものを選んで与へて居たが、数日来の暑気で、すつかり弱り遂に十八日午後六時頃死んで了つた、なほ新来の猩々は頗る元気で日一日を見物人に馴れて愛嬌を振り撒いて居ると
<猩々は中国の架空の猿 一般にオラウータンのことを指す。>


*大正四年六月二十一日掲載
□花屋敷にぺンギン 人に慣れ易い温和しい鳥
上野動物園のペンギン鳥はとうとう死んだが南氷より一緒に来た其の友達のペンギン鳥は此の暑さにも拘はらず頗る元気で昨日の午後一時から浅草公園の花屋敷に現はれた誠に人懐かしい温和い鳥で少しも人を恐れない相である


そうですか、南氷より一緒に来た其の友達のペンギン鳥でしたか。

”昨日の午後一時から浅草公園の花屋敷に現はれた”ということは大正4年6月20日に公開されたんですね。ってことは彼らは同時に日本に連れてこられたけれど、公開は上野動物園が最初ということ。よし、これで疑問も解決、ああスッキリした!!


‥う〜ん、しかし‥上野動物園で公開された当時の写真、不鮮明なので判断しづらいですが顔が白くありませんか?なんか笛畝さんが描いたアゴヒゲペンギンの絵に似ているような気がするんですが‥ねえ?
フンボルトとアゴヒゲ、どっちなんだろう‥

|

« シン・東京大仏。 | トップページ | 板橋区民、身を削る。 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

上野動物園に来訪した初めてのペンギンについて調べていたところ、興味深く拝見いたしました。
西沢笛畝氏が描かれたという花屋敷のペンギンですが、もしかするとフンボルト、もしくはフンボルト属の幼鳥ではないでしょうか?
チンストラップであれば、むしろあの特徴的なアゴヒモがないのは不自然にも感じます。

投稿: ひであ | 2017年6月21日 (水) 10時14分

>>ひであさま
コメントをありがとうございます。この記事に関しては昨年でしたか、元上野動物園の飼育係を務め、その後、葛西臨海水族館でペンギンの飼育係りをされておられた方から回答が寄せられ、新たに記事としてまとめ、公開しております。そちらのページをご覧いただければ幸いです。花やしきの個体は、ご指摘の通り、フンボルトペンギンの幼鳥のようです。

投稿: | 2017年6月21日 (水) 20時30分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ペンギンミステリー、解決する。:

« シン・東京大仏。 | トップページ | 板橋区民、身を削る。 »