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シン・東京大仏。

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 G.W.も終わり、梅雨までの気候の良い時節と言いたいところですが日本列島は長く、九州地方の安寧をお祈りいたします。。


我が赤塚郷のランドマークといえば、赤塚城二の丸跡に鎮座する「東京大仏」。
大仏のある乗蓮寺は正月の初詣では板橋区内でもトップクラスの参拝客を集める寺院ですね。ただ、赤塚郷に住む私くらいの年齢以上の人々からすると、乗蓮寺は”新しい寺院”という感覚がある。

もともと乗蓮寺は板橋宿(板橋区役所の近く)にあった寺院で、昭和46年(1971年)に高速道路予定地にひっかかり、移転を余儀なくされたものだ。引越しの様子は文藝春秋かどこかの雑誌で特集され、墓地であった場所に、おそらく土葬時代に埋葬された骨が一面に散らばっている様子を写したグラビア写真が印象に残る。

東京大仏は、乗蓮寺が赤塚に引っ越してから後、ご住職の二十三世正譽隆道(しょうよりゅうどう)が、昭和49年88才の時に発願し、昭和52年4月に開眼しました。 赤塚城を治めていた千葉氏一族、戦没者、そして有縁無縁の霊をとむらい、世界の平和と万民救済の願いがこめられているとの由。 材質は青銅(ブロンズ)製 、重量 32トン 、座高 8.2メートル(頭部 3メートル) 、蓮台 2.3メートル 、基壇 地上2メートル、地下1メートル の阿弥陀如来様だ。

建立当時は奈良、鎌倉に次ぐ日本で3番目に大きい青銅製の大仏と話題になった。たしか朝日新聞の夕刊社会面に、クレーンで吊るされた頭部が据え付けられる写真入りの小さな記事が出て、翌日見に行ったと思う。小学生のころ、乗蓮寺のあるあたりは山や谷が入り組んだ”過疎の地”というイメージがあり、親から人さらいが出るといわれていて遊びに行くことがない場所だった。

東京大仏のファーストインプレッションは、すでに奈良や鎌倉の大仏は実際に見たことがあったので、「こじんまりしてるじゃん」「なんで黒いの?」だった。
乗蓮寺の本堂もまだ建てられたばかりのピカピカで、あまりご利益を感じなかったので初詣に行くということはなかったけれど、その印象を変えた出来事があった。

それは、1980年に創刊された週刊ヤングマガジン誌で連載されていた、弘兼憲史氏の「ハロー張りネズミ」という作品だった。
作品の内容は、下赤塚駅近くの「あかつか探偵事務所」に所属する探偵・七瀬五郎とその仲間たちが、数々の事件に挑む 探偵漫画である。1990年代には映画化や単発のテレビドラマにもなった作品だ。映画版は未見だけど、ドラマ版では下赤塚駅南口の蔦の絡む喫茶店「ヒュッテ」が探偵事務所に設定され、街自体のシーンは仲宿の商店街だった。主人公は緒形直人、所長は小林幸子で、他に内藤剛志や遠藤憲一や高橋克実、杉田かおるなどが出演していた。

作者の弘兼憲史氏はまだ若手で、大学へ通うため上京して下宿した叔父の経営する成増耳鼻科の近くに仕事場のマンションを借りて作品を執筆していた関係で、「下赤塚設定」となったのだ。当時リアルタイムで”ヤンマガ”を読んでいたので、この設定はとても嬉しかった。ただし、赤塚近辺が描かれたのは連載初期で後半は事務所周りと東上線くらいだったかな。

そんなことで徐々に「東京大仏」の存在が世間に認知されていったのかなあと思う。

最近知ったことだけど、実は、「東京大仏」は、もう一体存在しているらしい。

大仏は、乗蓮寺の依頼により、東京浅草に本店を構える仏壇仏具の製造販売店「翠雲堂(すいうんどう)」が制作した。翠雲堂仏は昭和22年(1947年)に創業し、仏壇・仏具の他に、寺院建築(設計・施工)、寺院荘厳具、寺院仏具、巨大仏像の製造、販売などを手がけている。爆笑問題の田中裕二と結婚した山口もえの実家としても有名ですね。

翠雲堂の工場は千葉県松戸市内にある。工場の敷地内には巨大な大仏の頭部が鎮座しており、そのお顔は県道281号線に向けられている。道を走る車や人はさぞ驚くだろうが、大仏さんは宣伝用に据えてあるのだとか。
この大仏さん、なんと「東京大仏」を制作した時に作った”原型”のようで、機会があれば是非、拝みにいきたいものですね。

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