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板橋区民、志村でスポーツする。

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 赤塚郷で撮影された映画「自由学校」がきっかけで名称が定着したG.W.が今週末から始まりますね。


先日、志村坂下にオープンした「メガ・ドンキ」へマーキングをしに行ってきた。

「メガ・ドンキ」は日本最大級の総合ディスカウントストア、ドン・キホーテのヴァージョンアップ版だ。当然だが赤塚郷の近くにある北町のドンキや和光市のドンキよりも規模が大きい。

新店舗は5階建て、1階と2階部分が店舗であとは屋上も含め駐車場だ。なんだか巨大な駐車場に店舗をつけたしました、みたいな印象だ。店内はドンキらしくこれでもかといろんな商品が並んでいるけれど、既存の店舗がそのまま大きくなっただけでとくに目新しい感じは受けなかった。以前この場所にあったホームセンターの方が馴染み深く面白みもあったのになあ、と思わないでもない。

以前そこにあった「ドイト」は埼玉県を中心に展開するホームセンターで、1972年に与野市で開業し、社名は「Do it yourself (DIY)」から来ている。1990年代後半にはライバル企業に押され業績が悪化し、2007年にドン・キホーテの子会社となった。

さて、板橋区民はドイトの時代より以前、この場所に足繁く通っていたことがある。ドイト以前、ここには「志村スポーツセンター」があった。

志村スポーツセンターは、昭和12年に現在のメガ・ドンキの対面側に設立された志村製氷所が、昭和41年にアイススケート場(志村ジャンボ・リンク)としてオープンさせた施設だ。板橋区民は一時期、いきさつは忘れたがここのスケート教室に通っていたのである。

徳丸の家から、大型トラックがバンバン走り回る建設工事中の高島平団地を抜け、都営6号線高島平駅まで自転車を飛ばし、電車で最寄りの志村三丁目駅まで行った。今から考えればスケート場まで直接自転車で行けばいいじゃんと思うけど、そのころは今と違い道路事情(舗装されていても整備が悪くてデコボコだったり雨が降ると泥だらけになったりした。)が悪くて通うのがしんどかったんだろう。赤羽の中山模型店まで遠征した時は、それこそ大冒険だった。スマホもないあの時代、よくもまあたどり着けたものだと感心する。

当時の高島平駅構内には、発売されたばかりのカップヌードルの自動販売機があり、よくそこでカップ麺を食べたっけ。。廻りには店が全くなかったので、工事関係者の便宜を図って置かれたものと思う。

現在BSで放映されている朝ドラ「てるてる家族」を見ていて突然思い出した(昭和30年ころ、主人公の母親がスケートリンクの食堂を経営している)が、志村ジャンボ・リンクにもスタンド式の軽食屋があって、練習終わりにホット・ミルクを飲むのが至福の時だったなあ‥家でホットミルクを飲んでも、あんなに美味しいことはなかった。ホットドックやチーズドッグもそこで覚えたような気がする。

「志村スポーツセンター」がいつごろ閉館したのか記憶にないけど、その後、ローラーゲームがブームとなり、その中心だったチーム”東京ボンバース”の練習場が志村にあると聞いていたので、スケート場はローラースケート場になったんだろう、と漠然と思っていたが、あらためてググってみると練習場は前野町にあったとの由、ホント記憶って当てにならないもんですね。。

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コメント

坂下にあった「ドイト」には割と頻繁に行ってましたが、今は「メガ・ドンキ」になり、埼玉の「ドイト」に行く羽目になってしまいました。
さて、昭和40年代後半に「志村スポーツセンター」のスケートリンクにはバスに乗って良く行きましたね。
赤一中に入学すると、当時は紅梅、北野、徳丸の三つの小学校からの入学生で溢れていましたが、徳丸小学校は体育に「志村でスケート」の授業があり、徳丸出身の生徒は殆どがスケートを滑れました。私は北野なので、スケート経験は皆無。
そんな時、クラスの男女10人程で「志村でスケート」に誘われました。当然初日は「1時間手摺磨き」。痛む足と貸し靴の「目も眩む臭い」に打ちのめされましたが、好きだった女子に誘われてては、何十回もスケートをし、やがて滑れるようになると、この経験がローラースケートやスキーに役立って来るとは思いませんでした。

書かれている様に、自転車で中山道の近くまで行くのは、冒険でしたね。そう言えば、あの近くに「コビト製菓」の工場がありませんでしたか。工場に隣接して直販のお店があったと思います。
ある時、高島平がまだ造成地の頃、ゴミの不法投棄場所にコビトチョコの景品応募カードが捨ててあり、友人と拾い集めて試しにコビト製菓に送った所、パズルの景品が送られて来た事がありました。
今は無きコビトチョコですが、「ライスチョコ」が好きでしたね。

投稿: ひでぼう | 2016年5月16日 (月) 12時49分

>>ひでぼうさま
度々のコメント、ありがとうございます。

貸しスケート靴、たしかに”酸っぱいニオイ”でしたね。今ならクレームの嵐でしょう。
私もよく高島平の不法投棄場で「宝探し」をしました。一度記事にしましたが、一番のお宝は板橋区の基幹産業であった光学工場から出たプリズムレンズでした。他に真空管とかコンデンサーなど電子部品もお宝でしたが、エロ本の類も収穫物でした。不動通りの徳丸一丁目交差点を過ぎたあたりにその類の自販機があったことを思い出します。

投稿: オーク | 2016年5月17日 (火) 09時22分

ジャンボプール懐かしいですね。
志村三丁目といえばコパル、文化シヤッター、ジャンボプール。
夏はゾウさんが鼻から水を出して「ジャンボプール」、冬はゾウさんがスケートして「ジャンボリンク」に看板を掛け替えてました。

赤羽の模型店は「ヤマナカ」ですね。蓮根にもありましたが赤羽までチャリで行きました。北本通りの本屋のビルに谷内六郎の週刊新潮の壁画があり、そこまで来るとよし、もうちょっとでヤマナカだ…と思ったものです。

投稿: 高二 | 2016年8月 6日 (土) 11時18分

>>高二さま
コメントをありがとうございます。

そうでした、夏はジャンボプールでした。模型店も「ヤマナカ」でしたか、記憶はあてになりませんね。谷内六郎の壁画はご指摘のおかげで思い出しました。親が週刊新潮を買っていたので表紙の絵だとおもいながら自転車で通り過ぎましたっけ、すっかり忘れておりました。

投稿: | 2016年8月 6日 (土) 14時17分

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