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板橋区民、故郷の伝統芸能を想ふ。

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 板橋区内の桜も終わりですね。あっ、まだ南蔵院の枝垂れ桜がありましたか。


板橋区民も年度末年度はじめはなにかと忙しく‥てなことで更新をサボってましたが、板橋区の重鎮の方より打診があり、頼まれごとに協力を求められた。重鎮の方は”金(予算)がないからあんたに話を振るんだよ”との仰せなので、自分の持っている環境の中で行わなくてはならない。

その頼まれごとを完遂するにはパソコン上でプレゼン方式にて画像を作る必要がある。ワードとエクセルを使っているためマイクロソフトのOffice for Mac2011を持っているからパワーポイントもあるのだけれど、一度も使ったことがなかった。そこで試しになにか作ってみようと、とりあえず板橋区の誇る伝統芸能”田遊びまつり”を題材に画像をつくってみた。(フレームに統一感がないのは様々なフレームを試しに使ってみたからですので。)
思えば、ほぼ毎年のように”田遊びまつり”を撮影しているけれど、その映像を公開することはほとんどしてこなかったし、撮影後に見直すこともなかったなあ。。


自分が初めて”田遊びまつり”を生で見たのは中学生のころだった。確か、NHKが撮影に来る!というので見に行ったのだ。NHKアーカイブスで番組検索をすると、1975年1月13日に放映された”徳丸の田遊び(東京都板橋区徳丸本町 北野神社) ~芸能百選「豊年への祈り 予祝の芸能」より~”が該当しそうだ。残念ながら当時放送を見た記憶はない。アーカイブスを見ると1955年放送の記録も残っていますね。

このころ、徳丸5〜6丁目一帯は宅地造成が盛んで、前谷津川が暗渠になり北野神社周辺には新しい道路ができ、急速に宅地化していった。それまでは自宅から畑道や農家の庭の広い敷地を通って神社までまっすぐに行くことができたけれど、大規模な掘削工事で畑は分断され、いまではその畑もすべて無くなってしまった。

”田遊びまつり”は北野神社の伝承では1000年前から続くらしいけれど、記録として文書に登場するのは江戸時代後半の頃だ。唱え言葉が中世時代の言い回しなので古くから存在するようだけれど、徳川家康が江戸に移った際に三河地方から伝わったという説もある。

北野と諏訪の田遊びが国指定重要無形民俗文化財に指定されたのは1976年のことで、東京都内で田遊びを行っている所は板橋区だけだ。だから毎年同じことをやっている(あたり前だが)のにいつも見学者が大挙してやってくる。外国人の姿も珍しくはない。
まつりには撮影しようとやってくる方々もたくさんいるので”アリーナ席”はカメラマンでいっぱいだ。背の低い人が見学するのは大変なのである。

北野神社の田遊びまつりは「もがり」上で進行してゆくが、途中でたろうじやすめや獅子や馬や矢などの呼び込みがあり、”アリーナ席”で撮影しているとそれらを撮ることが難しい。一旦持ち場を離れなくてはならないからだ。だから田遊びを通しで捉えるのは一回ではだめなのである。赤塚の諏訪神社の場合は”動き”が多く、照明もないのでうまくシャッターチャンスを捉えるのが難しく、赤塚の氷川神社はあっという間に終了するのでこれまた撮影が難しい。

それでも、昨今ではデジタルカメラの能力が飛躍的に上がっているので、フィルム時代では考えられなかったショットが撮れるのがありがたい。田遊びは”音”も重要な要素なので、動画で撮影することも大事ですね。


冬の寒い時期におこなわれる行事なのでなかなか腰が上がらないかもしれないけれど、板橋区民の方々には是非一度足を運んでいただければと思います。

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