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2016年4月

板橋区民、故郷の伝統芸能を想ふ。

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 板橋区内の桜も終わりですね。あっ、まだ南蔵院の枝垂れ桜がありましたか。


板橋区民も年度末年度はじめはなにかと忙しく‥てなことで更新をサボってましたが、板橋区の重鎮の方より打診があり、頼まれごとに協力を求められた。重鎮の方は”金(予算)がないからあんたに話を振るんだよ”との仰せなので、自分の持っている環境の中で行わなくてはならない。

その頼まれごとを完遂するにはパソコン上でプレゼン方式にて画像を作る必要がある。ワードとエクセルを使っているためマイクロソフトのOffice for Mac2011を持っているからパワーポイントもあるのだけれど、一度も使ったことがなかった。そこで試しになにか作ってみようと、とりあえず板橋区の誇る伝統芸能”田遊びまつり”を題材に画像をつくってみた。(フレームに統一感がないのは様々なフレームを試しに使ってみたからですので。)
思えば、ほぼ毎年のように”田遊びまつり”を撮影しているけれど、その映像を公開することはほとんどしてこなかったし、撮影後に見直すこともなかったなあ。。


自分が初めて”田遊びまつり”を生で見たのは中学生のころだった。確か、NHKが撮影に来る!というので見に行ったのだ。NHKアーカイブスで番組検索をすると、1975年1月13日に放映された”徳丸の田遊び(東京都板橋区徳丸本町 北野神社) ~芸能百選「豊年への祈り 予祝の芸能」より~”が該当しそうだ。残念ながら当時放送を見た記憶はない。アーカイブスを見ると1955年放送の記録も残っていますね。

このころ、徳丸5〜6丁目一帯は宅地造成が盛んで、前谷津川が暗渠になり北野神社周辺には新しい道路ができ、急速に宅地化していった。それまでは自宅から畑道や農家の庭の広い敷地を通って神社までまっすぐに行くことができたけれど、大規模な掘削工事で畑は分断され、いまではその畑もすべて無くなってしまった。

”田遊びまつり”は北野神社の伝承では1000年前から続くらしいけれど、記録として文書に登場するのは江戸時代後半の頃だ。唱え言葉が中世時代の言い回しなので古くから存在するようだけれど、徳川家康が江戸に移った際に三河地方から伝わったという説もある。

北野と諏訪の田遊びが国指定重要無形民俗文化財に指定されたのは1976年のことで、東京都内で田遊びを行っている所は板橋区だけだ。だから毎年同じことをやっている(あたり前だが)のにいつも見学者が大挙してやってくる。外国人の姿も珍しくはない。
まつりには撮影しようとやってくる方々もたくさんいるので”アリーナ席”はカメラマンでいっぱいだ。背の低い人が見学するのは大変なのである。

北野神社の田遊びまつりは「もがり」上で進行してゆくが、途中でたろうじやすめや獅子や馬や矢などの呼び込みがあり、”アリーナ席”で撮影しているとそれらを撮ることが難しい。一旦持ち場を離れなくてはならないからだ。だから田遊びを通しで捉えるのは一回ではだめなのである。赤塚の諏訪神社の場合は”動き”が多く、照明もないのでうまくシャッターチャンスを捉えるのが難しく、赤塚の氷川神社はあっという間に終了するのでこれまた撮影が難しい。

それでも、昨今ではデジタルカメラの能力が飛躍的に上がっているので、フィルム時代では考えられなかったショットが撮れるのがありがたい。田遊びは”音”も重要な要素なので、動画で撮影することも大事ですね。


冬の寒い時期におこなわれる行事なのでなかなか腰が上がらないかもしれないけれど、板橋区民の方々には是非一度足を運んでいただければと思います。

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板橋区民、久しぶりに東武練馬の懐かしい写真を貼る。

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天気のすっきりしない日が続きますね。。


先日、引越し以来開けていなかったダンボール箱を移動しようと持ち上げたところ、箱が崩壊し中身をぶちまけてしまった。と、その中に古いネガ入れが混ざっているのに気がついた。外側には昭和54年3月1日と撮影日が書かれている。

‥そうか、この箱に入っていたのか。

そのネガは、池袋のビックカメラパソコン館の近くにあったニコン専門の中古屋・ミヤマ商會で、初めて買った一眼レフカメラのオリンパスOM-1とOM-2のボディと交換レンズ数本を下取りに出しニコンF2と50ミリレンズを購入し、地元に持ち帰って一番最初に撮影した写真だった。

撮影場所は我が故郷最寄りの東武練馬駅周辺。古いモノクロネガを引っ張り出すと、今から37年前の風景がそこにあった。
せっかくなのでスキャナーで画像をスキャンしてみた。(当ブログ初めころに紹介した駅前の写真は、これから数ヶ月後に撮影したもの)


最初の写真は、駅前の踏切だ。車の後ろは交番で、その隣にハンバーガー屋がある。記憶では100円バーカーという店が浮かぶのだが、写真には「ジョーイハンバーガー」とあるので、いかに記憶があてにならないかがわかりますね。
東上線の車両はクリーム色の7000系。踏切の向こうには懐かしのそば屋「けごん」が見えます。(昭和51年の住宅地図には”レストラン東武”とある)

真ん中の写真は、南口にあったバッティングセンターが取り壊された跡で、左手側が下りホームだ。中央に写る焼肉京城苑は今もほぼ同じ建物で残っている。
昭和40年代はボウリング場とかバッティングセンターが流行っていたなあ。。知っている人は少ないかもしれないけれど、今でも東京大仏と赤塚植物園の近くに「丸一バッティングセンター」がありますね。

3枚目の写真は上板橋駅側の踏切だ。確かこの頃に東上線が10両編成になったような記憶がある。いまじゃあ左手に写る駐車場や電車横の私道にも建物が建っていますね。

普段は昔の風景を忘れているけれど、こうして当時の写真を見ると、あの頃の様子が瞬時に蘇りますね。テストで撮影した写真ですが、何気ない景色も何十年も経てば貴重な記録写真になるもんですなあ‥(しみじみ)

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板橋区民、久しぶりに東武練馬の懐かしい写真の続きを貼る。

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熊本の地震がなかなかおさまりませんね。
板橋区民が熊本を訪れたのは先月のこと。あの美しい熊本城があんな姿になるとは思いもよりませんでした。。帰りは阿蘇くまもと空港から飛行機に乗ったので、被害の激しかった益城町の中を通ったんだなあと唖然とした気持ちになります。


さて、今回も前回の続きで昭和54年3月1日に購入したばかりのニコンF2で撮影した東武練馬駅周辺の写真です。

1枚目は板橋区民もお世話になっている「つつみ眼科クリニック」から自衛隊方向のショット。スポーツジム「ティップネス」は元は”矢作医院”という病室も備えた病院だった。我が母校・紅梅小学校の指定医を務め、幼馴染が盲腸の手術で入院したこともあった。

2枚目の小路は板橋区民ご贔屓の”富士亭”対面にある「北町アーケード」じゃないですよ。もっと駅に近く、つたやの並びの区画にいまも残っています。撮影してからそのまま37年の時が経ったような、すごくディープ感が漂いますね。一見客じゃとても入っていけない雰囲気があります。。

3枚目は南口駅前にあったバッティングセンターの廃墟を駅方向にむけて撮影したショット。なんだか現在とあまり変わっていないような感じもしますね。

4枚目はあの有名な「ステーキフジ」の在りし日の姿。当時は”キッチンフジ”だったんですね。つい数年前までこの場所にあったけど、外観は37年前の写真と変わらない感じでしたね。。いまは店舗はもっと上板橋駅の方へ移動し、テイクアウト専門店になっている。

5枚目は‥どこから撮ったのか定かではないですが、キッチンフジの屋根の上にちょこっと覗く煙突の風呂屋「日光湯」かもしれない。

6枚目もどこで撮ったのかさっぱり記憶にないけど、北町にはいくつか旅館が点在してましたね。若者にはわからないでしょうが、旅館隣の家の勝手口の左横にトイレがあります。小さな窓とブロックで囲った汲取口が懐かしい。。


北町商店街には、現在の「ユータカラヤ」の横の道を線路方向に行った所(東武練馬駅から上板橋側へ二つ目の踏切の道)に「北町文化劇場」という映画館があったと地元の人から聞いたことがありますが、昭和40年代に閉館してしまったようです。
タイムマシンがあるならば、この写真を撮っている自分に「もっと商店街のスナップも撮っとけ」とアドバイスしたいところですが、残念です。これから数年後、駅近くの知り合いの写真屋さんがビデオカメラ(カメラと録音部が分離しているタイプのもの)を買ったのでカメラを借りて商店街周辺をビデオ撮影した記憶があるのだけれど、さすがにその映像はもう無いよなあ。。

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板橋区民、東武練馬の懐かしい写真をまた貼る。

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 半袖のアウターでも過ごせるかのような陽気になってきましたね。


かつて東武練馬の北町に存在した「矢作医院」が懐かしいとのお声があるので、別カットの写真も貼ります。細かいことですが、”矢作病院”ではなく「矢作医院」ですね。病院と医院の境目がわかりませんが。

いただいたコメントによれば医院長先生は元軍医の方だそうで、昔、怪我をした頭を縫ってもらった経験がある板橋区民としては名誉なことであります。
医院は昭和の終わりころにスポーツジムに建て替えられましたが、ペントハウスには家族の方が住んでおられるようです。

”矢作”という苗字は赤塚郷に多い姓で、北野高校に通っていたお笑いコンビ”おぎやはぎ”の矢作兼もそうかもしれないかなと思ってましたが、生まれは山梨県だとか。相方の小木博明は常盤台出身ですね。

子どものころ、徳丸本町から桜台行きのバスで自衛隊方向へ右折する石観音あたりを通る時に「大人のおもちゃ」という大きな看板が見え、母親に大人のおもちゃってなあに?と質問をしたことをはっきり覚えております。当時いったいどんなものを販売していたのでしょうか、気になります。。

石観音対面のローソン一帯は、当時の富士銀行東武練馬支店のビルがドーンと建っており、やたら頑丈な構造で、取り壊しの際に相当手こずったらしい。パチンコミリオンの場所には戦前から北町電話局があり、都内で最後まで電話交換手がいた電話局としてニュースになっておりました。

2枚目は石観音裏側、安楽亭から東武ストアへ抜ける路で、今は柵で囲まれ人一人が通れるくらいですが、自転車の違法駐車対策で現在の姿になったことがわかりますね。左には懐かしのキャバレーロンドンの入り口が。ずいぶん長い期間営業していた記憶があるけれど、やはり自衛隊めあてだったんでしょうか。北町商店街にはスナックやバーも多いですね。

3枚目は徳丸側の踏切脇にあった北野派出所。隣には電話ボックスもありましたね。デモ隊用の盾も時代を感じます。

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板橋区民、志村でスポーツする。

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 赤塚郷で撮影された映画「自由学校」がきっかけで名称が定着したG.W.が今週末から始まりますね。


先日、志村坂下にオープンした「メガ・ドンキ」へマーキングをしに行ってきた。

「メガ・ドンキ」は日本最大級の総合ディスカウントストア、ドン・キホーテのヴァージョンアップ版だ。当然だが赤塚郷の近くにある北町のドンキや和光市のドンキよりも規模が大きい。

新店舗は5階建て、1階と2階部分が店舗であとは屋上も含め駐車場だ。なんだか巨大な駐車場に店舗をつけたしました、みたいな印象だ。店内はドンキらしくこれでもかといろんな商品が並んでいるけれど、既存の店舗がそのまま大きくなっただけでとくに目新しい感じは受けなかった。以前この場所にあったホームセンターの方が馴染み深く面白みもあったのになあ、と思わないでもない。

以前そこにあった「ドイト」は埼玉県を中心に展開するホームセンターで、1972年に与野市で開業し、社名は「Do it yourself (DIY)」から来ている。1990年代後半にはライバル企業に押され業績が悪化し、2007年にドン・キホーテの子会社となった。

さて、板橋区民はドイトの時代より以前、この場所に足繁く通っていたことがある。ドイト以前、ここには「志村スポーツセンター」があった。

志村スポーツセンターは、昭和12年に現在のメガ・ドンキの対面側に設立された志村製氷所が、昭和41年にアイススケート場(志村ジャンボ・リンク)としてオープンさせた施設だ。板橋区民は一時期、いきさつは忘れたがここのスケート教室に通っていたのである。

徳丸の家から、大型トラックがバンバン走り回る建設工事中の高島平団地を抜け、都営6号線高島平駅まで自転車を飛ばし、電車で最寄りの志村三丁目駅まで行った。今から考えればスケート場まで直接自転車で行けばいいじゃんと思うけど、そのころは今と違い道路事情(舗装されていても整備が悪くてデコボコだったり雨が降ると泥だらけになったりした。)が悪くて通うのがしんどかったんだろう。赤羽の中山模型店まで遠征した時は、それこそ大冒険だった。スマホもないあの時代、よくもまあたどり着けたものだと感心する。

当時の高島平駅構内には、発売されたばかりのカップヌードルの自動販売機があり、よくそこでカップ麺を食べたっけ。。廻りには店が全くなかったので、工事関係者の便宜を図って置かれたものと思う。

現在BSで放映されている朝ドラ「てるてる家族」を見ていて突然思い出した(昭和30年ころ、主人公の母親がスケートリンクの食堂を経営している)が、志村ジャンボ・リンクにもスタンド式の軽食屋があって、練習終わりにホット・ミルクを飲むのが至福の時だったなあ‥家でホットミルクを飲んでも、あんなに美味しいことはなかった。ホットドックやチーズドッグもそこで覚えたような気がする。

「志村スポーツセンター」がいつごろ閉館したのか記憶にないけど、その後、ローラーゲームがブームとなり、その中心だったチーム”東京ボンバース”の練習場が志村にあると聞いていたので、スケート場はローラースケート場になったんだろう、と漠然と思っていたが、あらためてググってみると練習場は前野町にあったとの由、ホント記憶って当てにならないもんですね。。

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