« 2016年1月 | トップページ | 2016年3月 »

2016年2月

板橋区民、「なんでも鑑定団」を語る。

0109

‥いい加減にしてほしい。

芸能ネタに乗って記事を書くのは安易じゃないの?

アクセスをいただいた方々から、そんな声が聞こえてくる。。


最近、テレビ東京製作の人気長寿番組「なんでも鑑定団」が芸能ニュースを騒がせている。

番組構成についてはいまさら述べるまでもなく、持ち込まれた様々な依頼品をその道の鑑定師が品定めをして”値段”をつける、という趣旨だ。依頼品にまつわるウンチクと、その価値をわかりやすく”金額で表現する”という上品と下品の絶妙な組み合わせが、20年以上続く長寿人気につながっているのだろう。

そんな老舗番組が、なぜ今頃騒動になっているのかといえばもう皆さんご承知の通り、番組開始当初から司会を務めている石坂浩二氏が、突然降板することになったからだ。

この時期はテレビ芸人にとってはドキドキする時期だそうで、4月の番組改編の内容が関係者に知らされ、番組が無くなったり出演者の降板などが伝えられる時なのだとか。石坂氏の騒動もその一環と思われるけど、22年余りも続く人気長寿番組から去るのはそれだけでもニュースになるし、しかもそれが病気や引退ではなく、本人の意思にかかわらず”局内の事情で降板する”ことが騒動の広がりとなったようだ。

記事ではここ数年、石坂氏の発言が意図的にカット編集され、出演シーン自体もほんの数分にされてしまったと伝えている。私も番組初期からの長年のウオッチャーなので、近年、石坂氏の発言シーンが少ないことに気がついていたけれど、それが”恣意的に”行われていたことまでは想像できなかったので驚いた。
番組制作者側からすれば、テレビもデジタル時代に移り、番組の手法も変えたくなったのであろうことは想像がつく。

まっ、一視聴者である板橋区民には”真相”はわからないけれど、石坂氏が「なんでも鑑定団」の空気(品格)を作ってきたと思っているので、降板されるのは残念だ。
しかし、4月からはBSジャパンでお宝にまつわる新番組のメインをされるそうなので、これはこれで楽しみである。

その昔、大物切符収集家の元で行われていたオークション会に足しげく通っていた頃、収集家の方がしきりに”石坂クン”と名前を出していたが、石坂氏は収集家としても有名人で、特に蒸気機関車のナンバープレートコレクターとしては抜きん出ていた存在だったという。


さて、本題。

この番組では、スタジオにゲストを呼んで鑑定を公開する枠と、地方に出張し、ホールなどで公開放送を行う枠がある。これは番組開始当初から変わらない構成で、特に公開放送は人気があり、開催依頼が引きもきらないそうである。

過去、我が板橋区でも公開収録が何回か行われたようで、実近では石塚区長が任期最後の頃に、板橋区民会館でおこなわれたと記憶する。確かコーナー最後に、石塚区長が板橋区にあった光学メーカーで作られた幻のカメラを探しているので、もし出てきたら100万円?出します。とかで締めたんじゃなかったかな。その後、その幻のカメラが見つかったのかどうかはわからない。。

板橋区民は、”板橋区を趣味とする。”と宣言して以来、テレビで板橋区に関わる番組があると取り敢えず録画し、必要と思ったものは保存してきた。しかし、グルメを紹介する番組は基本的に除外していたりする。それは、老舗を紹介するならば良いけれど、残念ながら10年以上続く店はとても少なく、きりがないからだ。特にラーメン関係は厳しい。

そんなテレビ番組を保存したメディアを探すと、「なんでも鑑定団」が録画されているビデオテープが出てきた。放送は平成8年9月24日とある。なんと今から19年も前じゃないか。収録場所は板橋区ではないけれど、東武練馬の練馬自衛隊で行われた。

実は、板橋区民はこの収録を当日見学しに行った。収録日は8月6日と書いてある。

‥そうだ、真夏の太陽がカンカン照りの屋外だったよなあ‥

稼働するVHSデッキはまだ持っているのだが、押入れにしまいこんでいるので内容は記憶を辿って書くのであやふやだけれど、冒頭は、松尾伴内が自衛隊のレンジャー訓練をしてシゴかれているシーンから始まったと記憶する。内容も忘却の彼方だけれど、東武練馬の有名喫茶店「ラビット」の店主の浜さんが、たしかヴィンテージポスターを出品されたのかな、それだけは覚えている。あと、前の方の席で見ていたので、19年前の自分の姿もカメラが客席に振られた時に映ったかもしれない。

ただし、今でもはっきり覚えていることがある。

この日、収録が終わったあと所用があり、東上線に乗った時のことだ。なんと、自分の座った席の対面に、さっきまで鑑定士として出演していたN先生とK先生が座っているではないか!
それから、目線をそらしつつも聞き耳を立ててお二人の会話を聞いていたが、しばらく後、K先生が周りも気にせず大きな声で、「しかし交通費込みで◯万5千円の出演料は安すぎますよねえ、せめて◯◯万円にしてもらえるようみんなで交渉しましょうよ!」とN先生に同意を求めておられた。N先生は答えず、苦笑をしていたのみであった。

電車が池袋に近づくと、K先生がサンシャインを指差し「今度ここにできるナムコワンダーランドの監修もね、僕が担当してるんですよ」とおっしゃった声も聞こえた。


‥あれから19年かあ。。考えてみれば浮き沈みの激しいテレビ界で今日まで生き残っている「なんでも鑑定団」という番組はすごいと思う。マンネリの極致の内容だけれど、ちっとも飽きないのはなぜなんだろう。。いったいどこの誰の意思で続いているのか、まったく不思議である。
できうれば、石坂氏が降板したあともそのパワーを失わずに存続することを願うばかりである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

板橋区民、広報ITABASHIを飾る。〜田遊びまつり強化週間始まる・2016〜

001_200134_200310_2


‥そんな大げさに吹聴することでもないが、広報いたばし月刊カラー版に愚作が掲載された。
今週から順次行われる、板橋区が誇る重要無形文化財・田遊びまつりの告知記事に載った写真がそれだ。


右が2014年に撮影した赤塚諏訪神社、左が昨年撮影した徳丸北野神社の写真で、このころ新しく購入したニコンD750のデビュー作でもある。

北野神社の撮影データは以下の通り。

カメラ:ニコンD750 レンズ:24-70 2.8E 
焦点距離:24ミリ
シャッター:1/50
絞り:F8
感度:ISO12800

撮影ポジションは賽銭箱の前の階段からで、カメラを一脚に付け持ち上げながらバリアングルで液晶画面を確認しつつリモコンシャッターを切っている。

北野神社のそばで生まれ育った板橋区民は、田遊びウオッチ歴40年を超え、”田遊びマスター”を自称している。
撮影をするようになってからは今日まで、モノクロフィルム、カラーネガ、ポジ、ブローニー、DVビデオ、デジタル一眼、コンデジ、コンデジ動画と時代により実に様々なメディアや方法で記録してきた。
撮影法をコロコロ変えるのは、伝統芸能に対してこんな言葉を使ってはいけないのだけれど、毎年毎年同じことを演っているので、撮影する側としてはあきてしまうという理由もある。

ここで田遊びまつりの撮影ポイントを解説したい‥ところであるが、田遊びマスターとしては思うところがいろいろあって、教科書のように簡素に説明する自信がない。。

田遊び撮影では”撮影ポジション”が一番大切だ。
基本的には舞台である、”もがり”の正面に陣取るのが良さそう‥なのだが、ご覧の通り人が殺到し、中にはカメラを頭上にかかげて動画で撮影する方もいるので視界が邪魔され、なかなかうまくとれない。
”もがり”は高い位置にあるので前方に陣取ると見上げるかたちとなり、角度的に結構厳しい。脚立に立って撮ろうものなら周りから「ちっ!」「見えねえぞ」「どけ!」と罵声が飛ぶ。

問題はそれだけじゃあない。田遊びまつりの演目は”もがり”上だけではなく、西側の鳥居から入場してくる”早乙女”とか”獅子”とか”馬”などの登場があり、”もがり”の前に陣取っているとそれらの撮影は出来ない。
そう、田遊びまつりの全てを一回で撮ることは不可能、とまでは言わないけど、満足いくように撮るのは相当厳しいことなのだ。

なので、撮影する側は”どんな写真を撮りたいのか”を明確にして挑まなければならない。
田遊び全般を撮りたいなら、場所は悪くても少し離れた位置にするか、広角で迫力のあるショットを狙いたいなら頑張って前の方で粘ったりするか‥などなど。

昔、長嶋茂雄が「ヒットを打てる秘訣はなんですか?」と質問されたときのこと、その答えがこうだった。
「ん〜、来た球を打つ。ですね〜」

深い。

いくらいいポジションを確保できたとしても、状況は逐次変わるので瞬時に対応できなければいいショットは撮れないのだ。

昨年の写真は、新しく手にしたD750の機能を生かした撮影方法を念頭に置き、田遊びが演じられる”もがり”の神聖性を表現してみる、ことをテーマとした。そのため、D750についているエフェクト効果も利用してみた。
エフェクト機能を使うのは、なんだか”ひきょう”な気もするけど、デジタルカメラの特色でもあるので試してみるべきと思った。使ったのは「ミニチュア効果」という機能だ。

‥うん、結構いいじゃん。

本来のミニュチュア効果は効いてないけれど、周りを囲む人々の真ん中に”もがり”が浮かび上がり、なかなか神秘的に表現できたんじゃないかな、と思う。
”もがり”の上の行事は、神様に見せるためにおこなわれるもので、上にあがることができるのは”ホラ”に属する特別な人たちだけである。

しかしISO12800、なんてちょっと前なら信じられない感度ですね。露光調整をしなくても、”もがり”を囲む白熱電球の照明に惑わされずいい感じに撮れている。ただし、後日行われた「赤塚諏訪神社」の田遊びまつりでも、いまいちエフェクト効果を生かし切れておらず、まだまだ研究が必要だ。(獅子の写真)

今週から始まる田遊びまつりの告知については、広報誌を参考にしていただきたいのだが、この時期は季節の変わり目にあたり天候が崩れることが多いのでお気をつけ下さい。感覚的には北野神社の田遊びは天候に恵まれないことがままあり、その時は神殿内で行われるので、撮影はあきらめた方がいいかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

板橋区民、練馬区民に解説する。

90111001239011690118

 久々の大雨でしたね。春がすぐそこまで近づいているのが感じられます。


先週末、板橋区民は光が丘駅の上にある光が丘区民センターの集会所で行われた写真展で解説役を務めた。

昨年夏、石神井の練馬区ふるさと文化館で行われた戦争関連の展示を見た光が丘の方が、是非、光が丘でも公開してほしいと区民センター内にある高齢者福祉センターに申し入れ、こちらにも写真の使用許可を求めてこられた。
会場の準備や展示設営、当日の受付等はすべてボランティアの方々が行うとのことなので、それならば写真を貸し出すだけではなく解説をしましょうと申し出たのだ。

会場には展示ケースなどはないので、写真展という形で行われ、練馬区役所も協力して写真を提供し、光が丘地区全体の変遷を語る構成となった。

最初は会場に展示してある写真を順々に解説していけばいいのかなあと思っていたが、見学にくる方々の中には高齢者福祉センターのお年寄りもいるので、成増飛行場の写真のあるスペースに椅子を並べてそこで話をすることになった。
事前に大々的には告知していなかったので解説する時間にあまり人は来なかったけれど、別室ではなく会場内での解説だったのでちょうどいい人数ではあった。ただし、解説の時も会場は出入り自由なので話をしている途中でも大声で会場に入ってくるお年の方がいて、それにはまいってしまった。

当日、もしかしたら飛行場に関わった方が来てくれないかなあと期待していたが、残念ながらおられなかった。お年の方でも、飛行場があったことは知っていても、その中でどういうことが行われていたのかまでは知らず、しきりに感心されていたのが印象的であった。やはりもう遠い歴史の話となったのかなあ。。


今回の展示は、練馬区も協力しているので、練馬区が所蔵している写真も一緒に並べれられた。
中には成増飛行場関連の写真もいくつかあるのだが、今となってはちょっと関連がアヤシイと思われる物もある。まずは着物を着た女の子が空中勤務者に花束を贈呈している写真、これはおそらく特攻隊員に花束を渡しているシーンと推測できる。

特攻には空対艦船と空対空の二種類があり、空対艦船特攻の場合、途中で飛行機の故障や敵を見つけられずに引き返すことはあるけれど、爆弾をかかえて特攻するので必ず死ぬ。ところが空対空の場合は重量を減らすため爆弾は装着せず、そのまま機体を敵機にぶつけるので、空中勤務者はパラシュートで脱出できるチャンスはあった。また、飛行隊でもそのように指導していた。(それも無茶な話ですが。)

47戦隊の元特攻隊員の方々に話を伺ったところでは、特攻隊員に選ばれたことは家族にも秘密であったのでこのように花束を渡すようなセレモニーは行われないとのこと、おそらくこの写真は九州の基地で撮影された特攻隊ではないかと思われます。

それともう一つは、このブログでもさんざん指摘しているけれど、終戦後の成増飛行場とされる、破壊された機体のころがる写真だ。この写真にうつる機体は三式戦・飛燕の機体であり、お隣の調布飛行場で撮影された写真と混同されている可能性が高い。

その下にアメリカの公文書館で複写してきた終戦後の成増飛行場の写真があるけれど、スクラップと化した日本機の中に47戦隊機は1機しか写っていない。これは戦隊が山口県の小月飛行場で終戦を迎へ、そこで武装解除したためで、終戦時の成増には本部所属の数機しか残っていなかったからだ。

それにしても、何故、このようなアヤシイ写真が未だに掲示され続けるのかというと、権威ある組織や人間が認めていないからだ。いくら個人的に指摘しても、お上が認めなければそれはスタンダードにはならない。
また、そういう問題が提議されても、それを受け入れて審査し、結論を下す部署がないので役所としても如何ともしがたいのである。

「貴重なご意見として拝聴致します。」

現状ではこれ以上の回答は期待できず、訂正するチャンスがあるとすれば、新しい練馬区史が編集される時ですかね。それも、この写真が審議対象に上がればの話で、取り上げられなければずっとこのままなんだろうなあ。これは成増飛行場の話にかかわらず、歴史全般に言えることだけれど。。


でも、こうした展示に興味を持ってくださる方々がいらっしゃることがわかっただけで、研究の励みになりますね。ありがたいことです。多謝。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2016年1月 | トップページ | 2016年3月 »