« 板橋区民は草津が好き。 | トップページ | 板橋区と信州上田藩。 »

板橋区と真田一族。

2063192_20151202094740200144905200101440116

 晴天が続きますね。

いよいよ今夜から大河ドラマ「真田丸」が始まります。ご存知、戦国武将の真田家の物語だ。一昨年放映の「軍師 官兵衛」の黒田官兵衛よりも世間の認知度は高く、地元である上田市や松代市は大変な盛り上がりを見せている。

さて、皆様方もご承知のことと思いますが、当ブログは全てにおいて板橋区と関連付けることを命題としてます。
うむ、今回はどうやって「真田丸」と板橋区をこじつけるとしようか‥

‥実は、すでに5年前に関連記事をUPしてましたね。その当時はまだ所縁の方々が大河ドラマ化の運動をしてはいましたが、放映は決まっておりませんでした。

記事にしたのは、2011年10月に、我が板橋区の誇る西洋流火術鉄砲隊保存会が松代市の招きを得て、「松代藩 真田十万石まつり」に参加したことで、幕末、松代藩士だった佐久間象山が高島流に入門して西洋流砲術を習得したことが縁となりました。

そもそもの繋がりは、掲出の右写真で日の丸の扇子を持って写る方との縁で、お名前は海野さんと言い、信州松代のご出身で、わずかな期間ですが板橋区の郷土資料館で勤務をしておられたこともあります。
海野さんは、なんと松代藩の家老格の家柄の方。もともと真田家は、海野家から出ている家系なんですね。そして、戊辰戦争の折にはこんなエピソードがありました。

「北越戊辰戦争・長岡奪還戦にて、河井継之助が率いる長岡藩兵は、八丁沖を渡河して長岡城下へ攻撃を開始しました。長岡の本営で睡眠していた山県有朋は軍監・福田侠平に起こされ、そこで初めて異常を知らされました。前原一誠は、今町方面の薩摩藩兵が攻撃を開始したのだと勘違いしました。しかし、一時の混乱から立ち直ると、長州藩奇兵隊一番隊と八番隊に反撃を命じました。八丁沖東部戦線の亀崎陣地を守っていた松代藩兵は、長岡城の急報を知ると、極楽寺の本営を目指して松代藩六番狙撃隊と八番狙撃隊が急行し、長岡藩兵に挑みました。しかし、地理を知り尽くしてる長岡藩兵相手では防ぐ事が出来ず、六番狙撃隊長の海野寛男を始め多くの戦死者を出して敗走しました。」

この、戦死をした六番狙撃隊長の海野寛男こそ、海野さんのご先祖だったのです。2011年のまつりの際には、ご先祖様が戦死をした時に身につけていた陣羽織を羽織っての参加でした。

真ん中の写真は、真田家現当主の14代・真田幸俊氏。真田信幸家は江戸時代2回養子を迎えており、幕末最後の藩主も宇和島藩伊達家から養子に入っている。ご当主は現在、慶応大学理工学部の教授をしておられるそうで、毎年必ず真田十万石まつりに参加されている。

真田十万石まつりでは、「松代甲冑隊」が中心となって武者行列が行われてますが、この甲冑隊が着用している紙鎧の作り方を伝授したのが、我が板橋区の「赤塚城戦国武者行列」だ。たしか海野さんの要請により松代市の方々が板橋区に来て教わっていた記憶があります。「赤塚城戦国武者行列」は昨年、正式な板橋区の文化団体「いたばし武者行列保存会」として発足し、活動は今年で10年目となります。


まっ、そんなことで大分無理やりですが、板橋区と真田一族の関わりをわかっていただけたかと思います。今夜8時からの大河ドラマ「真田丸」を楽しみにしましょう!

‥とオチを書いた後ですが思い出したことがあります。2011年の「真田十万石まつり」の翌年、板橋区立郷土資料館では「当世具足~ 大名とその家臣団の備え」という特別展が開催されました。その特別展に、将軍徳川宗家第18代当主、徳川恒孝氏が見学に来られたそうです。その帰り道のこと、当時の資料館の館長氏が、なんと自分のお気に入りであった下赤塚の「餃子の満洲」(旧店舗)に徳川宗家をお連れしたとの事、う〜んそれならば是非ご相伴させていただきたかった。‥満洲の餃子を食される徳川将軍家、いいなあ‥。そういえば、日本で最初にラーメンを食べたのは徳川光圀公である、なんて伝説もありましたっけ。。

|

« 板橋区民は草津が好き。 | トップページ | 板橋区と信州上田藩。 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 板橋区と真田一族。:

« 板橋区民は草津が好き。 | トップページ | 板橋区と信州上田藩。 »