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板橋区民、チョー地モピーな思い出を語る。

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ここのところ天気が良くて気持ちがいいですね。

前回、板橋チャーハンが話題になっている記事をUPしましたが、さすがテレビは情報の伝達力が違いますね。いまだにちょっとググっただけでザーっと反響記事が並びますからね〜

板橋チャーハンを紹介した山本晋さんは、チャーハン歴35年、2150食のチャーハンを食べてきたという。千駄木で「結構人ミルクホール」というお一人様に特化した喫茶店を経営しているそうだ。テレビで拝見したが、お住まいは川口とのこと。たくさん食べ歩いた上での”板橋区はしっとりチャーハンの王国である”認定は確かなものなんだろう。

なんども書きましたが、ブログ主催者にはアクセスしてくれる方がどんなキーワードで検索をしてくるのかわかるようになっている。先週は、今年初めにUPした”ペンギン来日100周年”という記事にアクセスが集中した。どうも、人気のNHK朝ドラ「あさが来た」で、大阪の経済界の重鎮である五代友厚が、主人公のあさを”ペンギン”に例えた場面を放送したことに反応したらしい。五代さんは「ファース・トペンギン」=「怖れずに新しい一歩を踏み出す」ということを言いたかったようだ。
ひるがえって板橋区民はとてもファースト・ペンギンにはれないチキン野郎なので、新しい店を訪れる時もついググってしまいます。。

そんなチキン野郎の板橋区民にも、贔屓の超ジモピー限定グルメな店がある。それは、東武練馬駅から徳丸通りを下った宮の下交差点を左折(西方向)した場所にポツンとある持ち帰り専用の「やきとん ゆうくん」だ。焼き鳥じゃなく焼きとん。この場所に開店してもう15年ほどになる。

あたりは住宅やマンションばかりでなんでこんな所に?と思われるだろうが、一帯にはもともと魚屋だの肉屋だの八百屋だの薬屋・酒屋だのパン屋やスーパーがあったのだ。昭和30年頃から宅地開発が進み、前谷津川の改修にともない住宅地化し、その新住民相手に黄金湯がオープンして、周りに個人商店が発達してきた。

しか〜しである。バブル期を境に大型スーパーやコンビニが台頭し、個人商店は次々に閉店。それにサティ板橋店(現イオン)オープンがとどめを刺した感じだ。それでも細々と営業してきた自宅兼店舗の店もあったけど、最近になりおそらくは代替わりを契機に閉店し、跡地にはマンションが建ち面影はない。

ここらあたりは子供の頃の縄張りでもあり、中学への通学道でもあった。その中学生のころ、真ん中の写真のヤマト宅急便車のあたりに前谷津川の支流があり(現在は緑道化)、その川の上には簡易的な蓋がしてあった。昼過ぎになると、その蓋の上に軽トラックの焼きとんの屋台がやってきた。中学の帰り道、たまにだがその焼きとん屋台に寄って買い食いするのが楽しみだった。(渋い中学生だなあ‥)

いつも食べていたのが一番安い”あぶら”という部位で、まさしく脂身の串だった。ある時、その屋台が来なくなったと思っていたら、その横の場所にあった肉屋が、店先の歩道の上で焼きとんの販売を始めた。炭火焼ではなかったが、黄金湯の対面なので結構客が引きも切らずの人気店になった。もちろん板橋区民も、客の一人となった。

それから時が経ち、黄金湯が失火により全焼したころ、その肉屋が閉店することになった。サティの建設が決まった頃だったかなと記憶する。閉店して池袋で居酒屋をやるとチラシが置いてあった。
さて困ったのはお気に入りの焼きとん屋がなくなってしまうことだった。ところが、その繁盛ぶりを見ていたのかまたは営業を託されたのかはわからないが、突如、ご覧の通りの一軒家の一角に「やきとん ゆうくん」がオープンしたのだ。

東上線の東松山駅周辺の商店街は「やきとん」の街として有名でたくさんの店があるけれど、どこで他の店との差をつけるかというと、各店オリジナルの”辛味噌”の味で差をつけている。
「やきとん ゆうくん」は、塩で注文すると付けてくれるこの”辛味噌”がうまいのだ。ゆうくんの串の単価は平均100円で、スーパーの焼き鳥に比べれば高く、10本頼むと1000円と宅配ピザ並みにブルジョワの食べ物だ。1000円あればイオンで1ポンドのステーキ肉が買えちゃいますからね。

それでも、ゆうくんで買ってしまうのは、子供の頃からの思い出と、この”辛味噌”が麻薬的要素を持っているからだと思うのだ。
まわりから店がなくなった今も、「やきとん ゆうくん」は孤軍奮闘でがんばっている。願わくば、末長く続いて欲しいものだと心から願う板橋区民だった。


‥とうまくまとめたつもりが、最後の写真についてまだ語っていなかった。
この写真は、中学時代の焼き豚とん屋台が出ていた場所の裏側の崖の斜面だ。崖の中腹に、存続が風前の灯火である「板橋区立昆虫館」がある。ここの崖も子供時代の遊び場だった。(当時昆虫館はなかったが。)
崖には厳重に封鎖された洞窟があり、子供の冒険心をそそったが忍び込むことはできなかった。防空壕の跡、と当時聞いていたが、成増陸軍飛行場の資料を見ると、ここら辺に飛行場の物資貯蔵庫があったとの記載があるので、そうだったのであろうか。。今では住宅が立て込み、確認する術はない。

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