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2015年11月

☆祝!400回記念☆〜板橋区民、練馬区についてちょっとね。〜

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 ‥はっ、気が付いたら一ヶ月近くも記事を更新していないではないか!
いや別にサボってるワケじゃあって‥う〜んサボってるのか‥。っと、しかも今回は400回記念じゃないか!

まあ400回といっても、過去、第三の権力によって闇に葬られた記事もいくつかあるし‥ね。

てなことで今回はちと宣伝も兼ねた記事をUPしますね。


先月のこと、さるお方から連絡をいただいた。それは、「練馬区の昭和」という写真アルバム本の企画が12月中旬刊行予定を目処に進行中で、その中の解説の一部分を担当してくれないかとの打診であった。まあ義理のある方からの依頼でもあったし、引き受けることにした。もちろん、出版される本が献本されるのも魅力だ。

そんなことであまり時間もなかったけどなんとか原稿を送り、今週頭に初校がどさっと返送されてきて、現在校正を終わった段階である。なにしろ総ページ数280、収録写真が600枚もあるヴォリュームたっぷりな練馬本なのだ。お値段もびっくりの9990円!

私は古写真が大好物で、いままで板橋区や練馬区の写真は結構見てきたと自負しているのだが、初校を見るかぎり、なんと9割方の写真が初見だった。
もともと郷土の写真集なんてものはそう売れるものではなく、行政でもなかなか作ってくれない。我が板橋区なんて、郷土資料館で出したものも含め数冊くらいしかないんじゃないかなあ。市販本も数えられるくらいしかない。

我が板橋区に比べると練馬区の写真集は若干多いように思えるけど、まあどっこいどっこいですかね。
今回のアルバム本では、昭和31年に撮影された写真が多く使われている。おそらく、練馬区役所の情報公開課に収蔵されている写真を利用したのかな。憶測だけど、練馬区独立10周年の記念(初代・練馬区史編纂?)で使うために、練馬区全地域をくまなく撮影したのだろうとかと思う。その他、個人の方や企業がいろんな写真を提供している。

この、昭和31年(1956)という撮影時期がいいですね。戦前の様子も想像できるし、戦後すぐの時代感もいい。ど田舎だった板橋や練馬でも、東京オリンピック後の変化は大きいなあと感じました。
個人的には東武練馬駅前商店街の写真を見られたのが良かったですね。駅の写真はたまにみかけるけど、その周辺の写真はなかなかないですから。

板橋区の古写真は、最寄り板橋本町駅にある板橋区立公文書館に数万枚収蔵されていて、個人でも使用許可を得られブログなどにUPすることも出来る。
‥でもね、前にも書いたけど、めんどくさいっス。せめて公文書館が赤塚支所くらいの場所にあればいろんな写真を紹介するんですがねえ。。赤塚郷から板橋本町はあまりに遠い‥


この「練馬区の昭和」は他にも葛飾区版とかいろいろ出ているので、いつかは板橋区版も出ることを期待しよう。(もしかして出てるかも?)
ちなみに、チラシにいろいろ項目があるけどこれは企画段階のもので、例えば成増陸軍飛行場の写真などはほとんどないですね。残念。発行部数から見てあまり書店には出回らないと思いますので、図書館に納本されるのを気長に待ちましょう‥。あ、もちろん欲しい方はご予約を!


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板橋区民、思い出を綴る。

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 最近、「板橋チャーハン」なる物が世間の耳目を集めているそうだ。ネット上のニュースにも取り上げられており、その趣旨はこんな感じだ。

『TBS系列にて放映された「マツコの知らない世界」で特集された究極のしっとり系チャーハン「板橋チャーハン」に非常に注目が集まっている。
番組に登場した有識者いわく、パラパラが主流であったチャーハンに、一石を投じるチャーハンとして「しっとりチャーハン」を紹介し、その「しっとりチャーハン」が集まっているエリアこそが、板橋だと言うのだ。』

番組で紹介された店は以下の通り。

「ふなせ」  板橋区赤塚新町3丁目12-12
「丸福」    板橋区前野町4-17-2
「まるよし」 板橋区大山東町31-1
「丸鶴」 板橋区大山西町2-2
「龍王」 板橋区板橋1丁目49-3 ライオンズマンション1階

まあ、だいたい板橋区全域の店がチョイスされているようで、我が赤塚郷にも一軒ありますね。たまに行く「おふろの王様光が丘店」の対面近くにあるので機を見て寄ってみますかね。板橋チャーハンが今後ブームとして定着するかどうかはわからないけど、心に留めておこう。
取り上げられたどの店も昨日今日オープンしたのではなく、開店して10年で94%が撤退してしまうという過酷な競争をしいられる中、生き残ってきた店なので例えブームに火がつかなくても大丈夫でしょう。


と、つかみは板橋区の話題でしたが、今回はごく私的な思い出話しです。秋の夜長、お付き合いのほどを‥

先日、実家から冒頭の写真が出てきた。なんだかもっさりした兄ちゃんがマイクを持ってステージ上にいますね。バックにコーラスのおねえさんがいるので歌を歌っているのか‥

実はこの兄ちゃん、最近はあまりテレビで見かけないけど、歌手の「井上順」さん
遠い記憶を辿ると、家族で千葉へドライブに行った際に寄った、今は無き「行川アイランド」で撮った一コマだ。父親のカメラを借りて私が撮った写真で、初めて生で見た芸能人に興奮してシャッターを押したことを覚えている。

この写真は1971年に撮ったもので、当時は井上順ではなく「井上順之」だった。写真の裏側にはヘタクソな私の字で「井上順之ショー」と書かれている。

井上順さんは、前年に堺正章さんらと活動していたザ・スパイダースが解散したため、ソロ活動を始めた。
たぶん、行川アイランドのステージは無料で、あまり観客もいなかった印象がある。あの、女の子が押し寄せて大騒ぎだったスパイダース時代とは大違いのステージで、ご本人はどんな気持ちでマイクを握っていたのだろうか、想像にかたくない。。

今でも憶えているが、この時、井上順さんは”ちんちん電車”という歌詞が出て来る曲を歌っていた。なんだか、ほのぼのとした曲調だった‥ような気がする。そこで、検索をかけてみると、ありました!曲名はそのものズバリ「ちんちん電車」。ユーチューブにも上がっていたので44年ぶりに聴いてみた。

‥もう、涙が出るほどほのぼのした懐かしい曲調ですね。発売年も1971年でドンピシャだ。でも、まったくヒットせず、大コケしたらしい。。そりゃあスパイダース時代とは全然違うもんなあ。。当時、井上順氏は23歳!でも中学時代からあの「六本木野獣会」に出入りしていたそうで、老けた感じもそのせいかもしれない。


さて、同じ頃、我が赤塚郷でも大事件が起こっていた。それは、当時の少年ならばほぼ100%が観ていたであろうスポ根ドラマ「柔道一直線」の撮影が板橋区内で頻繁に行われていたことだった。
この話題はとんねるずの石橋貴明がたまにテレビ番組でネタにしているが、彼は当時、成増ではなく小豆沢あたりに住んでいたようで、柔道大会のロケを東板橋体育館に見に行ったと語っていた。

ネットもなければ携帯電話なんてSF空想物語であったあの時代、口コミ情報網が発達していて、ロケ情報なんてあっという間に子供達のあいだに広まった。
「今日はどこどこで撮影があるぜ!」なんて情報を聞くと、学校が終わるやいなや一目散で家へ帰り自転車で飛び出したものだ。

私が見たのは、実家近くの建設が進む高島平団地を望む小高い崖の上で、柔道着を着た主役の桜木健一が瞑想をしたり技を考えたりしていたシーンだった。カットの終了がかかるとドテラを着せられていたので、冬のことだったんだろう。
他に、子分役の太った小学生か中学生の子役が桜木健一を呼びに来る役で出ていた。撮影中を一緒に見ていたちょっとやんちゃな同級生が、撮影シーンの終わった子役の後を付けるとその子役が「うっせーんだよテメエ!」な感じで同級生を怒鳴りつけていた。

まっこれは確かに同級生がうざい行為をしたのが原因だけど、主演の桜木健一も、カットがかかると急に不機嫌な顔になり、「俺様に近づくな」モード全開でテレビで見せる顔とはまったく違う印象を見せていた。子役もそれに習っていたんだろう。
現場でそんなシーンを見てからはちょっと熱が冷めてしまったが、あの人気ドラマが板橋区内で撮影されていたのが板橋っ子の自慢であったのだ。

‥時は過ぎ、当時の子供も腹の出たオヤジと化したころ、あの「柔道一直線」のドラマ全話がDVDで発売されることになった。板橋区民も、懐かしい、あの子供時代の板橋区の景色が見られるとドキドキしながらDVDセットを購入したが(1巻3万円はイタい出費だった‥)、改めて見直すと、1・2巻では柔道大会のシーンは東板橋体育館かもしれないけど、風景がどうも板橋区内には見えなかった。ロケ場所は練馬とか和光市とか赤羽がほとんどじゃないかな。(ファンサイトによると師匠の車周作の小屋は現在の外環和光ジャンクションの場所であったらしい)

DVDは3巻で完結する予定だったが、売行きが悪かったのか3巻目の発売が未定だった。私がロケを見たシーンを是非観てみたかったが、それはドラマがすでに超人気のころだったので、3巻目に入っているのだろう。最近調べると3巻目はもう7〜8年前に発売されていたようだけど、まだ未見なのである。

またの機会に、板橋区民が見た”アイドル芸能人編”を記事にしますのでお楽しみに!!

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板橋区民、チョー地モピーな思い出を語る。

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ここのところ天気が良くて気持ちがいいですね。

前回、板橋チャーハンが話題になっている記事をUPしましたが、さすがテレビは情報の伝達力が違いますね。いまだにちょっとググっただけでザーっと反響記事が並びますからね〜

板橋チャーハンを紹介した山本晋さんは、チャーハン歴35年、2150食のチャーハンを食べてきたという。千駄木で「結構人ミルクホール」というお一人様に特化した喫茶店を経営しているそうだ。テレビで拝見したが、お住まいは川口とのこと。たくさん食べ歩いた上での”板橋区はしっとりチャーハンの王国である”認定は確かなものなんだろう。

なんども書きましたが、ブログ主催者にはアクセスしてくれる方がどんなキーワードで検索をしてくるのかわかるようになっている。先週は、今年初めにUPした”ペンギン来日100周年”という記事にアクセスが集中した。どうも、人気のNHK朝ドラ「あさが来た」で、大阪の経済界の重鎮である五代友厚が、主人公のあさを”ペンギン”に例えた場面を放送したことに反応したらしい。五代さんは「ファース・トペンギン」=「怖れずに新しい一歩を踏み出す」ということを言いたかったようだ。
ひるがえって板橋区民はとてもファースト・ペンギンにはれないチキン野郎なので、新しい店を訪れる時もついググってしまいます。。

そんなチキン野郎の板橋区民にも、贔屓の超ジモピー限定グルメな店がある。それは、東武練馬駅から徳丸通りを下った宮の下交差点を左折(西方向)した場所にポツンとある持ち帰り専用の「やきとん ゆうくん」だ。焼き鳥じゃなく焼きとん。この場所に開店してもう15年ほどになる。

あたりは住宅やマンションばかりでなんでこんな所に?と思われるだろうが、一帯にはもともと魚屋だの肉屋だの八百屋だの薬屋・酒屋だのパン屋やスーパーがあったのだ。昭和30年頃から宅地開発が進み、前谷津川の改修にともない住宅地化し、その新住民相手に黄金湯がオープンして、周りに個人商店が発達してきた。

しか〜しである。バブル期を境に大型スーパーやコンビニが台頭し、個人商店は次々に閉店。それにサティ板橋店(現イオン)オープンがとどめを刺した感じだ。それでも細々と営業してきた自宅兼店舗の店もあったけど、最近になりおそらくは代替わりを契機に閉店し、跡地にはマンションが建ち面影はない。

ここらあたりは子供の頃の縄張りでもあり、中学への通学道でもあった。その中学生のころ、真ん中の写真のヤマト宅急便車のあたりに前谷津川の支流があり(現在は緑道化)、その川の上には簡易的な蓋がしてあった。昼過ぎになると、その蓋の上に軽トラックの焼きとんの屋台がやってきた。中学の帰り道、たまにだがその焼きとん屋台に寄って買い食いするのが楽しみだった。(渋い中学生だなあ‥)

いつも食べていたのが一番安い”あぶら”という部位で、まさしく脂身の串だった。ある時、その屋台が来なくなったと思っていたら、その横の場所にあった肉屋が、店先の歩道の上で焼きとんの販売を始めた。炭火焼ではなかったが、黄金湯の対面なので結構客が引きも切らずの人気店になった。もちろん板橋区民も、客の一人となった。

それから時が経ち、黄金湯が失火により全焼したころ、その肉屋が閉店することになった。サティの建設が決まった頃だったかなと記憶する。閉店して池袋で居酒屋をやるとチラシが置いてあった。
さて困ったのはお気に入りの焼きとん屋がなくなってしまうことだった。ところが、その繁盛ぶりを見ていたのかまたは営業を託されたのかはわからないが、突如、ご覧の通りの一軒家の一角に「やきとん ゆうくん」がオープンしたのだ。

東上線の東松山駅周辺の商店街は「やきとん」の街として有名でたくさんの店があるけれど、どこで他の店との差をつけるかというと、各店オリジナルの”辛味噌”の味で差をつけている。
「やきとん ゆうくん」は、塩で注文すると付けてくれるこの”辛味噌”がうまいのだ。ゆうくんの串の単価は平均100円で、スーパーの焼き鳥に比べれば高く、10本頼むと1000円と宅配ピザ並みにブルジョワの食べ物だ。1000円あればイオンで1ポンドのステーキ肉が買えちゃいますからね。

それでも、ゆうくんで買ってしまうのは、子供の頃からの思い出と、この”辛味噌”が麻薬的要素を持っているからだと思うのだ。
まわりから店がなくなった今も、「やきとん ゆうくん」は孤軍奮闘でがんばっている。願わくば、末長く続いて欲しいものだと心から願う板橋区民だった。


‥とうまくまとめたつもりが、最後の写真についてまだ語っていなかった。
この写真は、中学時代の焼き豚とん屋台が出ていた場所の裏側の崖の斜面だ。崖の中腹に、存続が風前の灯火である「板橋区立昆虫館」がある。ここの崖も子供時代の遊び場だった。(当時昆虫館はなかったが。)
崖には厳重に封鎖された洞窟があり、子供の冒険心をそそったが忍び込むことはできなかった。防空壕の跡、と当時聞いていたが、成増陸軍飛行場の資料を見ると、ここら辺に飛行場の物資貯蔵庫があったとの記載があるので、そうだったのであろうか。。今では住宅が立て込み、確認する術はない。

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