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☆逃れ逃れて、板橋区☆

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 勉強の秋、第2弾。


板橋区立郷土資料館では、9月19日から11月1日まで「特別展 武蔵千葉氏」というお題の展示が行われている。

武蔵千葉氏といえば、我が赤塚郷開闢の祖だ。

板橋区域は武蔵野台地の縁に存在し、そのため旧石器時代から連綿と人々が住み暮らす豊穣の地だ。縄文時代には小さな集落があり、弥生時代には大集落が存在していた。しかし、古墳時代からだんだんと衰退し、奈良平安の頃は僅かにしか人は住んでいなかったようだ。(北野神社や志村熊野神社などが創建された伝承はあるが、痕跡が非常に少ない)
鎌倉時代に入るとポツポツと板碑が出現し、人が定住していた痕跡が確認できるようになる。鎌倉幕府が滅亡した直後、後醍醐天皇が赤塚郷を足利直義に宛がい、ここに歴史上初めて”赤塚郷”という地域が現れる。(もともとは桓武平氏の秩父族、豊島氏が開発したと考えられている。)

以降赤塚郷は、1379年(康暦元年)足利義詮の正室渋川幸子(如春)から春屋妙葩へ寄進され、1383年(永徳3年)京都鹿王院の所領となる。そして1456年(康正2年)、突如として武蔵千葉氏が板橋区へ姿を現わす。
簡単に解説すると、康正2年(1456)本国下総国内での内紛に敗れた千葉氏宗家は武蔵国に落ちのび、鹿王院領赤塚郷に入部する。以後赤塚郷を拠点に武蔵国内に所領を拡大していったのが、いわゆる武蔵千葉氏というわけだ。(簡単すぎてすみません。。)

ま、もともと赤塚郷は鹿王院の所領であり武蔵千葉氏に強奪されたワケですが、それまでどのように土地が支配されていたのかは皆目不明なんです。土地を奪われた鹿王院は足利幕府に再三返還する手助けをしてくれと頼むけどなしのつぶて。頭領の千葉自胤は赤塚城を拠点とし、元からあったと伝わる宝持寺を自身の菩提寺として定め土地を寄進し、松月院と名を改めさせちゃうんです。ちなみに千葉自胤の戒名は松月院殿だ。現在まで形として残る赤塚郷支配の歴史は武蔵千葉氏が一番古いんですね。徳丸の北野神社は創建から千年と伝承されているけど、史料として登場するのは江戸時代以降になってからだ。


ここで話が大幅に変わりますが、私が板橋区を趣味とした時、板橋区にはどんな有名人が住んでいたのかを調べたことがる。(ここで言う有名人とは政治家とか学者ではなくいわゆる芸能有名人)
板橋区にかかわるといっても、先祖代々住んでいるのか、両親が住み着いて生まれたか、両親に連れられて引っ越してきたか、自分の意思で住むようになったのかなど様々だ。残念ながら先祖代々はいない(smapの稲垣吾郎は可能性がある)けど、両親の代からは多い。ちあきなおみとか酒井和歌子とか内藤やす子とか三原じゅん子とか辻希美ちゃんとか‥中でも家が没落してその引っ越し先に板橋区を選んだケースが目を引く。渥美清とか江守徹とか荒俣宏とか石橋貴明とか‥没落したけどギリギリ東京には留まりたい、そんな意思がうかがえる。

前に映画「新幹線大爆破」を例に、板橋区で暮らす人々の場末感を描いたけど、板橋区にやってくる人は逃れて辿り着く、という印象がある。そのルーツは千葉家の内乱に敗北し、逃れ逃れて赤塚郷に落ちてきた、武蔵千葉氏にまで遡るんじゃないかなあと、特別展の展示を見ながらぼんやり思ったのでした。。

先日、特別展の講演会が行われましたが、100人定員の会場に急遽130まで席を増やし、それでも足りないので立ち見客が出るほど大盛況でした。中世・室町時代頃の資料は大変少なく、展示は古文書が中心になってしまいがちで、さらに資料保護のため展示場は照明を落とすので老眼の身には文字を読むのが億劫になる。それが講演会の人気につながったのかもしれないですね。


講師の話が終了し、質疑応答の時間が設けられましたが、そのさい会場係りの人が「発言する方は、自説の披露は差し控え下さい。」と注意したのには苦笑しました。
前回も書いたけど、個人で研究していると、成果を発表する場がないため、世間に問うことも認められることもない。そこで、興味のある人が聞きに来ていたり、その道の権威者がいる講演会の場でつい発表してしまう人がまま、現れるのだ。
武蔵千葉氏に関して言えば、20年前の板橋区史編纂時に専門家たちが資料を発掘し尽くし、それ以来、新資料は発見されていない。だから生半可な研究は、先行研究者の発表した資料を切り貼りし、それに妄想を貼り付けただけだと思われてしまう、非常にハードルの高い題材なのだ。

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