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板橋区民、重鎮に話を聞く。

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 雨が断続的に降り続いてますね。栃木茨城には特別警報も出ていて大変な被害状況です。
昨夜、我が赤塚郷にも土砂災害避難準備警報が出ました。以前から高島平や浮間など荒川低地が水害に弱いなんて高台目線で書いてましたが、舌状台地にある赤塚郷は崖崩れの危険性のある地域でしたね。。

さて、先日のことですが、板橋区民は板橋区長と、この7月に退任した元教育長氏と酒席を共にする機会がありました。いろいろと話をお聞きしましたが、坂本区長は公人ですが公の場での発言ではないので不用意にブログに書いてしまうと問題になるかもしれませんので、差し障りのない部分のみで話を続けます。

お二方は生まれも育ちも我が赤塚郷の成増で、坂本区長は地元で17代目の旧家のご出身です。17代目の初代なんて室町か戦国時代ですから、おそらく板橋区民としては最古級の家柄ではないでしょうか。菩提寺は松月院で信徒代表も務めておられます。ちなみに板橋区長としても17代目にあたります。
元教育長氏の家系についてはお聞きしていませんが戦前から白子に近い成増に住んでいて、清水かつらさんを知っておられます。

昭和20年代の初め、元教育長氏は練馬区に近い学区の小学校に通っていました。そこでかねてから知りたいと思っていた兎月園の池がいつ頃まで存在していたのかを聞くと、「低学年のころ池は確かにあった。魚獲りをしたりした。」との思い出を持っておられた。当時は兎月園入口の対面にボクシングジムがあり、小学校の同級生の家が兎月園内にあったそうで、戦後すぐに住宅地化は始まったようだ。ちなみに坂本区長はまだ50代半ばの年代なので兎月園については何も知らないそうで、子供の頃は踏切から向こう(南側)へは行くなと言われて育ったのだとか。まあ、いかがわしい地域があるから行くなという大人の事情もあったのかもしれない。

さてもう一つ知りたいことは、”戦時中、成増にあった慰安所”とはどこにあったのか、についてだ。
ここで言う”慰安所”とは終戦直後に成増に置かれた進駐軍相手の売春宿ではなく、また、お隣に国が騒ぐことによっていかがわしいイメージがついてしまったけど、本来の”なぐさみをして心を休ませること”の意味で使われた施設のことです。ちょっと前まで普通に使われていた”従業員の慰安旅行”なんて言葉もうっかり使えなくなったのは困ったもんですねえ。

戦時中に存在した成増の慰安所のことは、沖縄特攻の振武隊員として一ヶ月ほど成増飛行場で訓練をした方へインタビューをした時に知った。
「休みの日は何をしてましたか?」との私の質問に「うーん、成増の郵便局の近くにあった慰安所へ行ったなあ」とおっしゃるので、下卑た笑みを浮かべ小指を立てながら「こっちっの慰安すか?へっへっ、どんな感じだったんでやんすかねえ?」と興味津々で聞くと、「そんなんじゃないよ、女学生が慰問にきてねえ、おしゃべりとかトランプをしたりしたんだよ」とのお答えであった。女学生と遊ぶと言うと現在のJKビジネスを思い浮かべるスケベジジイと化した頭をガツンと殴られたようでお恥ずかしい限りです。。あくまで健全な”慰問”のことでした。

その成増郵便局近くにあったという慰安所がどこにあったのかずっと探していましたが、元教育長氏に聞いてみるとこんなお答えが返ってきた。
「郵便局って今は場所が移動しているけど、昔の郵便局だった所の近くに”むさし”という旅館があったけどそこのことじゃないかな」とおっしゃる。家に帰りさっそく教えてもらった場所を手持ちの昭和44年度の住宅地図で確認すると‥川越街道からスズラン通りに入ってすぐの場所に、おお”旅館 武蔵”(現在は駐車場)があるじゃないか!

戦時中、軍隊の基地の近くにある旅館が慰安所となるのは普通のことで、遠方から訪ねてくる家族や知人と会ったり宿泊する施設としても利用された。かつて成増にあった「旅館 武蔵」が慰安所であったかどうかを確証する資料はないけれど、経過から判断すればほぼ間違いないんじゃないかと思われます。


ああ、ようやく長年の疑問の一つが解けた‥。今後はまた成増生まれで昔のことを知っている方に会ったら「旅館 武蔵」のことを質問して証拠固めをして行こう。市井の歴史を探るには、こうした地道な作業の積み重ねが大事ですね。。

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コメント

江戸、明治、戦前、戦後までの、土地の歴史をお勉強されてから記載したほうが良いのではないのでしょうか?
成増も赤塚も古い時代から住んでる人は、お寺に墓があるのではなく、今でも自分の土地に家墓があります。

投稿: | 2017年8月22日 (火) 02時02分

名無しのIPアドレス:153.144.192.140さんへ
当ブログは主催者の庭であり、人の庭に立ちションをして去るようなコメントは不愉快なものです。貴殿がどれほどの知識を持って書き込みをされているのかはこちらにはわかりません。全ての古くからの一族が自分の土地に家墓があるとはかぎらず、赤塚郷に存在する(あるいはかつて存在していた)寺の歴史をよく調べられたらいかがでしょうか。記事上に登場する一族は、一例に過ぎません。

投稿: | 2017年8月22日 (火) 06時13分

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