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2015年8月

板橋区民、暑くてボーっとしたままつぶやく。

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 先週のものすごい熱いから多少涼しくなったのかもしれませんが、やっぱり暑い日が続きますね。。


先日、赤塚新町の川越街道沿いに新しくオープンしたラーメン屋「いのこ」に行ってみた。平和台に住む甥が、近所にある行列を作る人気店が赤塚に支店を作ったと教えてくれたので、試しに一緒に食べに出たのだ。

いまのところ営業時間は夜6時〜で、時間が遅くなると長時間並ぶというのでオープン時間を狙って行ったが、う〜ん長蛇の列。入店第一陣に入れなかったので暫し待つことになった。
しかし、赤塚地区で行列のできるラーメン屋がオープンしたのは初めてじゃないかな。ラーメン専門店としては大番、じょっぱり、風風、花月、志堂、一笑‥といくつかあるけど行列を作るほどじゃあない。いったい何が違うんだろうなあ‥と、そうだ、居酒屋と化す前の20年くらい前のY'sラーメンも行列してたっけ‥

さて、開店時間から20分ちょっとで客の第一陣が食べ終わり始めたので、中に入ることができた。厨房を見た甥いわく、平和台店の人がいるそうなので、落ち着くまでは平和台店の人が夜に赤塚に来て調理してるので、昼の営業がないのだろう。
外に並んでいる時に注文を聞きに来ていたので、すぐに出てくるのかと思ったら席に着いてから提供されるまで20分くらいかかっていた。おそらくそんなオペレーションの悪さが行列に拍車がかかっている理由なのかもしれない。数ヶ月して落ち着くまではこんな感じなのかな。

運ばれてきたラーメンをさっそくいただく。私は醤油ベースの野菜ラーメン、甥は醤油ベースいのこラーメンをオーダーしていた。ベースは醤油と塩、麺は中太か細麺を選べる。写真は野菜ラーメン、ヘタな撮り方でうまそうに見えないけど、鶏白湯&豚骨の無化調スープはうん、なるほど行列を作る店だけあると納得できる美味しさだった。メニューは他につけ麺や、油そば、えび塩、あさりバター塩などがある。
野菜ラーメン中盛り880円を食べたわけだが、十分な量だった。ラーメン並盛り660円でも良かったかもしれない。

いつだったか、当ブログでラーメンについて語ったことがあったけど、自分の原点は巣鴨にあった「元祖札幌や」だ。巣鴨商店街に入る手前にあり、確か巣鴨に住む高校の同級生が教えてくれた店で、初めて意識して通ったラーメン屋だった。調べてみると、オープンしたのは1969年で地下鉄6号線(三田線)の工事が急ピッチで進められていた頃だ。今でもネットで情報が出てくるから、名店だったのは間違いない。閉店したのがいつだったのかはわからないけど、15年くらい前にはもう無かったような気がする。そのかわり、もっと板橋寄りに「巣鴨ラーメン」といういわゆる”環七ラーメン系”の店ができてそちらに通うようになったっけ。この店も今はもうない。。

「元祖札幌や」は味噌ラーメンが基本のチェーン店で、札幌味噌ラーメンを全国に広めた老舗の一つだ。昔はたくさん支店があったけど、今はあまり元気がないようだ。巣鴨店がなくなってからたまに行っていたサンシャインアルパ店も数年前になくなってしまった。
でも‥でも、私には”くるまやラーメン和光店”があるっ!創業は昭和45年頃、名前の由来は足立区の国道で観光バスを改良してラーメン屋を始めた事から「くるまやラーメン」と名づけたようで、東海地方から東北にかけてチェーン展開している。
ここの味噌ラーメンは「元祖札幌や」を遥かに超えていると断言できる!最近定着したメニューの坦々味噌ラーメンを食べていると、溢れる恍惚感に包まれながら、ああ最後の晩餐はこれでいいや‥と、そんな思いが溢れてしまう。。


まあ”いのこ”もウマイですが、まだまだこれからどうなるか。出来れば長く続く店であってほしいですね。。

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板橋区民、練馬区民に問うてみる。

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 今日は2015年8月15日、70年目の終戦記念日だ。

正確には、1945年8月15日は、昭和天皇が国民に向け、連合国側が決めた日本との戦争を止めることに対しての条件である「ポツダム宣言」を受け入れることにした、とラジオ放送で日本国民に向け宣言した日だ。この放送は正午に流されたが、放送終了後ただちに各戦線での戦闘行為が中止されたわけではない。


冒頭の写真は、板橋区民が撮影した昭和天皇の生写真だ。昭和天皇の、あの、手のひらを中央から折り曲げてパクパクさせる独特の国民へ向けての”お手振り”のお姿が懐かしい。今思えば、昭和天皇のお姿を生で拝見しておいて良かったと思っている。あと、来日した故ダイアナ妃のお姿を歌舞伎座前で至近距離で拝見したことも自慢の思い出だ。

さて、先日のこと、練馬区の某所で練馬区民を対象に「帝都防空成増陸軍飛行場と特攻隊」とお題を戴いた講演会をした。終戦60年記念の年に、板橋区のグリーンホールで講演してから10年ぶりかな。その時も確か100人以上の方が来てくださったと記憶している。
講演は事前応募で募集を行ったが、開始から一日で100人の定員が埋まったので、関心の高さはなかなかのものだったようだ。

内容は、10年前に自主制作した1時間の映像作品の中から当事者のインタビュー場面だけを抜き出し、配った年表に沿いながら解説していった。資料は基本10年前の物だけど、新しくわかったことを加えたり間違いを修正したり、大幅に手を加えた。作った時は”完璧だぜ!”と思うのだが数日すると間違いが見つかるのは不思議だ。

講演にいただいた時間は2時間、しかし、自己紹介が長すぎたため終了時間を15分オーバーしてしまった。
当日お越しいただいた方々を見て驚いたのだけど、夏の盛りの酷暑の最中なので高齢な方はあまりこないのでは?と想定していたのだが、70代80代の方も多く足を運んで下さったようで、全体の7〜8割は私より年上の方だったのではないだろうか。あと、男性が圧倒的に多かったですね。

もっとも、現在80歳くらいの方でも、戦時中は小学生の年齢だったのだから、子供の頃の知らなかった話を聞きたいという思いはあるのだろう。しかし、こちらの想定とあまりに違ったので頭の中がちょっと混乱し、自分よりも当時の状況を肌で実感しているであろう方々に対してどんな切り口を使った方がいいのかの用意をしていなかったので、話がグダグダになってしまった。気持ち的にはしゃべりたかったことの半分も話せなかった思いが強い。質疑応答の時間もとれず、時間もオーバーしたので終わるとそそくさと帰られる方がほとんどだった。

普段、人前で話そうとか何かしようかなんてことはどちらかというと避けて生きて来たけど、それがなんでノコノコ人様の前に出ていったのかと言えば、それは、”趣味”のみで孤独に調査をしていても、世間の評価を受けなければただの独りよがりに陥る危険性があるからだ。たまには世の中に晒し、評判(批判)をくぐりぬけなければ、本物にはならないと思ったからだ。

ただし、世間に晒すとそれなりに面倒くさい事態がやってくることもあり、仕事で日常茶飯事いろいろな事態に遭遇しているマスコミなどのタフな人々に比べると、打たれ弱い神経の持ち主には厳しいことがある。でも、こちらが知らなかった素晴らしい情報を持った方々に出会えることもあるので、どちらにしろ研究成果を表に出すのは良いことなのかもしれない。

それにしても、当時を知っているであろうお年の方々を前に話をしつつ、こりゃ後で相当突っ込みが来るぞと身構えていたのだがほとんどの方があっさり帰ってしまい、「板橋区民の話をどう思ったのか?」とモヤモヤが残った。練馬区民の方々の感想が聞きたかったのだが。。


。。なんてことを想定し、実は平和台に住む甥を呼び「会場の様子を客観的に見といてくれ」と頼んでいたのだ。
一番後ろ壁際の関係者イスで拝聴していた甥に終了後、「どうだった?」と聞くと、「うん面白い話だったよ、受けてたんじゃないの」とのことだった。ちなみに甥は20代で戦争の話はほとんど興味もない若者だ。

まっ、とりあえずは受けたようで、この日の状況を次回の反省材料に繋げ精進いたします。。(次回がいつあるかわからないけど。)


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板橋区民、練馬区民の評価を受ける。

 涼しい。とてもありがたいが、いきなりの温度差のせいで体調が悪くなってしまいました。。


練馬区から、先日の講演時のお客さまアンケート集計結果が送られてきた。当日講演が終わると皆さんさっさと帰ってしまったように見えたので、アンケートもあまり書かれていないんじゃないかと思いましたが、意外としっかり書かれていたようで驚きました。怖いけど、世間さまの評価を受けなければ反省は生まれないので、恐る恐るpdfファイルを開いてみましょう。

先ずは申し込み理由から‥
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「講演タイトル」と「内容に関心」は同じと考えてよいので、回答数98人のうち89人ということは成増飛行場について知りたい方がこんなにいらしたということですね。
それにしても「講師」3人て‥終了後サインを頼みに来た方はいませんでしたが。。


性別と年代構成は‥
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‥やっぱり男性が多いですね。
年代は、壇上から感じた通り、60代以上の方が2/3を占めてました。40代から急に多くなるのは人生の折り返し地点に立ち、身の回りのことに関心を持ち始めるからでしょうかね。それにしても30代以下が3人とは‥まあ、でもいろいろ人生経験を積んでから新ためて勉強を始めるのも良いのかもしれません。。
驚いたのは、あの酷暑の中80代以上の方が14人も足を運んでくださったこと。あの時、何があったのかを知りたかったのかもしれません。


次はいよいよ講演会の感想です。
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「大変満足」+「満足」=54点。贔屓目にみて及第点っすか、教習所の試験なら落ちてますね。。
「不満」な方が9人、わざわざ酷暑のなか足を運んでいただいたのに、申し訳ないことでした。。


ではその詳細は‥
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数々の御批判、痛み入りました。ここは公平に、弁護(ただのいいわけ)させていただきます。
「話の構成が悪い」、これは最初から危惧してました。今後経験を積んで修正をするしかないですね。「前ふりが長い」これも前項同様です。自己紹介を兼ねて成増飛行場と自分との関係を話しますので関係ない部分も出てきますのでご容赦ください、と講義の最初にお願いしましたがそれでも長かったかと自覚してます。。「もう少し整理して話せ」も同様です。
「軍事用語の説明」はするつもりでしたが、焦って忘れてました。。「出典の明記」ですが、その通りと思いますけれど、多くの資料を使っているので全て注)で書き込んで行くと配布印刷部数が増えてしまうという現実的問題もありまして‥実は資料の見方についても講演で話す予定でしたが、時間が取れず割愛してしまいました。その後のフォローも忘れてしまい、御批判ごもっともです。。
「映像がスムーズに進まない」すみません。事前に何度かリハをしましたが、私はパソコン人生Mac一筋なので、会場のWin機の操作を習熟してない状況でした。。
最後の方の御批判は講演の主旨からは外れているような気が‥それなりに触れたつもりではありますが。


さて、このままだと落ち込むので最後に前向きな感想を紹介します。
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練馬区民の皆様方、お褒めや、励ましのお言葉、ありがとうございました。
また、いつかどこかで講演をする機会があるかもしれません。いただいた評価を元に、これからも調査・研究を続けてまいりますので、ご指導ご鞭撻よろしくお願いいたします。

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板橋区民、アウェーの地を行く。

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 天気の悪い日が続きますね。洗濯物も乾きが悪いっす。


板橋区民は、3ヶ月に一度散髪に行く。同い年で贔屓の美容師さんとはもう20年以上のお付き合いとなる。彼の修行時代からの客なので店を渡り歩くたびについていった。そんな彼も10年前に独立し、青山(紀伊国屋スーパーの裏)に立派な店を構え、芸能人も来るほどのカリスマ美容師となった。下北沢にも支店を出しているほどだ。

その店に行くためには昔は不便だったが、今は副都心線で渋谷で降りて宮益坂を歩けば良い。日頃こもっている赤塚郷の結界からたまに流行の最先端の街へ行くことは気晴らしにもなるのだ。帰りは表参道をぶらつき、普段はミラベルや激安八百屋ばかりの見慣れた目を紀伊国屋でリフレッシュしたり、表参道ヒルズの中を歩いたりする。たまに芸能人も見かけたりも。まあそれでも渋谷界隈は昔から好きではなく、アウェーの地なのは変わらないですネ。


‥先日の講演会で反省したはずですが、前振りが長くなりました。。

7月25日から公開された「野火」という映画が気になり、ずっと観に行く機会を伺っていた。この映画は監督の塚本晋也が20年間構想を温めてきた作品で、作家・大岡昇平の同名小説を元に映像化し、資金集めに大変な苦労してようやく製作・公開にこぎつけた。資金集めに苦労した、ということはあまり需要がなく、大きな小屋では上映できず、都心部では渋谷のユーロスペースでしか公開されていない。

映画「野火」は口コミで評判が広がり、先日はNHKのニュース番組でも客足が良いと紹介されていた。で、散髪を兼ねて渋谷へ行くのでよし観に行くかと重い腰を上げたのだ。
渋谷ユーロスペースは東急渋谷本店近くにあり、映画の専門学校も兼ねているビルにある。板橋区民の見た回は客席が9割方埋まり、100人くらいの入りだった。

映画のストーリーはこうだ。

「日本軍の敗北が濃厚となった第二次世界大戦末期のフィリピン・レイテ島。そんな過酷な戦況のなか、一等兵・田村は結核を患い部隊を追放される。野戦病院へと送られた田村は食糧不足を理由に入院を拒絶される。行く当てを失い再び部隊に戻るも、そこでも入隊を拒否されてしまう。空腹と孤独と戦いながら、レイテ島の暑さの中をさまよい続ける田村は、かつての仲間たちと再会する。戦場という異常な空間で極限状態に追い込まれた人間たちが描かれる。」

大岡昇平が自身の戦場体験を元に描いたフィリピン戦記3部シリーズのうち、「レイテ戦記」だけはずいぶん前に読んだ記憶がある。
きっかけは、私の姉の舅が認知症となり、体が元気なうちは徘徊行為に悩まされたが、足を骨折し寝たきりとなってからベッドの上でしきりと呻くという。よく観察すると、意識の中では若い頃に従軍したフィリピン戦線でジャングルの中を徘徊しているんじゃないかと思ったそうだ。

それほどの過酷な体験とはなんだろうと、「レイテ戦記」を読んだのだ。

塚本晋也監督の映画「野火」は、低予算で製作したためだろうか、ほとんどのシーンがジャングルの中だ。塚本監督自身が主演もしている。
映画では全シーンの95、いやもう100%がグロシーンの連続である。正視に耐えない人もいるだろう残酷なシーンの連続だ。リアルに作ってるんだかスプラッタ映画をつくりたかったんだか、わからない。特に米軍との夜戦シーンは、敗走する日本兵がただただ破壊され肉塊と化してゆく。こんなリアルな戦闘シーンはみたことがない。
日ごろ日本兵がバッタバッタと斃される反日映画を喜んで見ている三国の人も、思わず目を背けるだろう。
とにかく人体の破壊と人食をテーマとしてる作品ということはよくわかった。(人食については、唖然としてうまく書けないので省略)「戦場という異常な空間で極限状態に追い込まれた人間たちが描かれる。」のストーリー通りだ。


「野火」は映画ゆえのリアリティ感が満載で、姉の舅がいかに過酷な戦場にいたのかがよくわかった映画だった。決して”映画だから誇張してるだけじゃないの?”などと言えない迫力のある作品でした。マスコミの取り上げ方として反戦映画としてもてはやされる傾向にあるけど、”反戦”ではないなあ。


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