« 2015年6月 | トップページ | 2015年8月 »

2015年7月

板橋区民、逃避行する。2015年夏






7月かぁ‥

いけない。また、やってしまった。
いろいろ追い込まれ、赤塚郷を飛び出してしまった。
今は新潟駅からいなほ5号に乗り、缶ビールを友に日本海を北上中だ。

北だ。とにかく北へ向かう。

新潟は雨が上がっていたが、酒田近辺でまた降り出したようだ‥雨にうたれる日本海はどんよりと鈍色に染まっている。やっぱり日本海はこうでなくっちゃ‥

さてさて、今夜は何処で留まるか酔いが醒めたら考えよう‥

| | コメント (0) | トラックバック (0)

板橋区民、乗り鉄と化す。









昨日は、秋田市に泊した。

今日は、五能線のリゾートしらかみ1号に乗り、ひたすら日本海沿いを北上した。こんなに鉄道に乗って旅をするのは、21歳のころユーレールパスでスペインのマラガからノルゥエーのキルナーまで行った以来だ。まだドイツが東西に分かれていた時代だったっけ。。(遠い目)

当ブログでは、たまに鉄道の話題を扱うけど私は鉄ちゃんではない。部屋にサボが飾ってあったり切符や鉄道関係のグッズもたくさんあるけど、私は鉄ちゃんではないのだ。(断固として。)

たぶんリゾートしらかみ号は、あまり鉄ちゃんには人気がない気動車だろう。しかし、一般観光客にはとても人気があるのだ。なんと言っても秋田から青森にかけての海岸線を200㎞も走るし、駅によってはホームで乗客向けのパフォーマンスをしたり、町の人たちが気動車に向って手を振ってくれたり、海岸線を離れて津軽平野を走る時は車内で津軽三味線生ライブが行われたり、とにかくおもてなしに必死な路線なのである。

そんなことで弘前駅でしらかみ号を降り、岳南バスに乗り替えて岳温泉を目指した。前回3月にやはり弘前に来たけど、あの時はバスの乗り継が合わず諦めたので今回はリベンジなのだ。
私は大の温泉好きだが、中でも硫化水素がプンプン臭う白濁の硫黄泉が至高の温泉とする信者なのだ。

まずは弘前駅前のバス停から岳温泉山の上ホテルに電話して名物マタギ飯の予約をした。マタギ飯は野趣溢れる釜飯で、出来るまで40分かかるので着いて直ぐ食べるには予約は必須なのだ。

で、バスに乗り約1時間、岳温泉に着きいざマタギ飯を‥まっこんなもんか、やっぱり鹿と熊肉の入ったカレーにすれば良かったかぁ‥なんてことはご愛嬌。さて硫化水素がプンプン臭う白濁の硫黄泉に入るとするか。おお、良いじゃんザブンと入ったらあっちっち〜ひぇ〜ってなもんで、せっかく来たのに1分くらいしか湯舟に浸かれないジャン、トホホホホ‥

仕方がないのでiPhoneで辺りの立ち寄り湯の情報を漁り、山の上ホテルの隣にある小島旅館に湯を求めるとこっちは湯舟が2つありひとつはそんなにアチチじゃない。あんまり気持ちが良くってウトウトし危なく帰りのバスを逃すところでした。。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

板橋区民、恐山で恐れ慄く。

















本日の赤塚郷は大雨だったようで‥

そんな赤塚郷を離れ、板橋区民は本州の最果て、下北半島の恐山にいた。

恐山はいつかは訪れてみたいと思っていた場所の一つだった。

初めての恐山、いや、なんといいますか‥
イメージしていたオドロオドロしさはなく、ここは父島か沖縄かよっと言う風景が目の前に広がっていた。

いや、積み上げられた石や噴出す硫化水素の蒸気、花の代わりとして手向けられる風車のカラカラという音‥やっぱりここはあの世とこの世の間にある場所なんだと思わせてくれる風景がそこに広がっていた。

いろいろ観光地とされる場所は行ったけど、ここは本物感がハンパないところだと感じ入りました。

なんですかね、心にそれぞれの宗教を持った方が一心不乱に祈る姿がそこにもここにもあるんですよ。

でも、広がる風景は白い砂浜と、緑濃い山を映す静かな湖畔。はっきり言ってリゾート地と見間違がっちゃいますね。

霊場への入り口には、無料の温泉がある。もちろんお湯は硫化水素がプンプン臭う白濁の硫黄泉だ。建物は一見粗末ぽいけど中は清潔感がある。早速いただいてみたが、お湯は熱いけど開け放った窓から涼風が吹き込みとても心地よかった。いままで100箇所以上温泉を訪れたけど、間違いなく上位に入りますね、うん。


う〜んまさに極楽浄土へ導かれちゃうような摩訶不思議な場所でした。恐るべし、恐山。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

板橋区民、自分のあまちゃんを恥じる。



















今朝は9時に久慈駅に着いた。
直ぐに三陸鉄道に移動しリアス亭へ行き幻のウニ弁当をGETした。我ながらミーハーで恥ずかしくなる。
然しである。久慈駅から観光に出るには交通の便が悪いので、あまちゃん観光バスツアーに参加しないと効率が悪いのであるのだ。ここは若い頃のようにカッコつけず、郷に入れば郷に従えでどっぷりはまって楽しまなくっちゃあですよ。

急に降り出した雨も袖が浜に着く頃には止んだ。バスが駐車場に着くと地元のあまちゃんガイドさんが待っていて、我々一行を海女の実演を行なう海女センターまで案内しつつ、あまちゃんロケ地のウラ話をしてくれた。

そういえば、2年前に大河ドラマのスタジオ見学に行った時に隣のスタジオで撮影していたのがあまちゃんだった。あの時はまだ放映一週目で、後々こんなにブレイクするとは思わなかった。見学した日はGMTをクビになったアキが悲しそうに昌平橋に佇むシーンのロケをしていたようで、スタジオはがらんとしていた。

ドラマで頻繁に放映されていた浜にはすでに沢山の観光客が海女の実演を見ようと集まっていた。拝観料は5百円で、浜の回りにはカラーコーンの規制線が敷かれタダ見厳禁の貼り紙が物々しい。ドラマの中で春子が北鉄や観光課に吐く毒舌が聞こえる‥ような気がしたりしたり‥

海女さん達も海に入ると大声でうひゃーひゃっこいひゃっこい!なんてパフォーマンスサービス満点で観光客を楽しませてくれる。さすが観光海女だ。
潜る度に獲物のウニをラッコのように振り翳し観光客の拍手を誘う。

15分ほどで実演を終え獲ったばかりのウニはさっそく海女の衣装を着た種市高校の女子高生観光あまちゃんの手で割られ、1個5百円で観光客に振るまわられる。板橋区民も早速いただいたが超新鮮なため2つに裂かれて内臓も取り去っているのに、まだトゲトゲが動いとる‼︎中国の牛肉かよっとツッコみつつ食べるとうんさすがに旨い。でも海水と身が混ざっているのでちょっとしょっぱかったのが惜しかった。

このあと、観光バスは琥珀博物館を回り久慈の道の駅に立ち寄り駅に戻った。
リアス線の発車まで大分時間があるのでまた歩いて道の駅へ行き、お待ちかねのウニ弁当とビミョウなまめぶ汁をいただき、ミッション終了となった。



海女さんの実演パフォーマンスのあと、女子高生あまちゃんがサービスする生ウニを貰った時、順番が最後のほうだったせいか、ウニを半身オマケしてくれた。おじさんと化した今、旅先で人から親切にされることがめっきり無くなった身としては、お嬢さんに親切にしてもらうのは嬉しいものだ。
あまちゃんドラマで、「きた時よりももっと幸せな気持ちになって帰ってほしい」と言うセリフがあるけど、まさにそんな気持ちで浜を後にしたのでした‥

うん、このブログも訪問してくれた方が、きた時よりももっと幸せになってページを閉じられるように頑張ろう!(酔ってます。)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

さてさて、あまりに暑いので兎月園のパンフでも見て涼むとするか。

1_22

連日、まいっちゃいますね。板橋区民は、暑さにからきし弱い。
埼玉県境のニトリで買った遮熱カーテンを引き、クーラーをガンガンにつけてもやる気がでない‥


このほど、漸く、ようやく、念願の兎月園のパンフを手にする時がきた。8年ほど前にも入手するチャンスはあったが、残念ながら後ろ髪を掴むことができなかったのだ。

今回のパンフは、前に見たものとは違う種類のものだが、情報量も多くいろいろなことが読み取れる。まず案内文を下に書き起こしてみよう。


兎月園案内

(沿革) 本園は月出づる山とてはなく草より出でゝ草に入る廣茅限りなき武蔵野の中央に極めて幽雅に富む形勝の地貳萬余坪にして遠く冨士の秀嶺筑波秩父の連峰を一望裡に蒐め四季共に得も云はれぬ仙境であります
(位置) 池袋驛より東上線にて三ツ目成増驛に御降車僅に二丁めの處に在ります(池袋より自動車の便在り)
(設備) 「ウラニウーム」含有の鉱泉を引用したる大浴場一日の舟遊び楽まるる大池大弓場花壇音楽堂殊に亭々たる老松古杉を背景としたる高燐の地壱萬餘坪に亘る大グラウンド相撲土俵其外各種の運動具設置又売店が御不自由なき様種々開店てあります
(料金) 入園料御壱名五拾銭であります 学校御遠足団体御申込には特に御相談致します
(附近の名勝) 三百年の昔家康公歸依の帝釈天の御神体を戴する古刹妙安寺、成増農園、白子不動の滝、山八公園、吹上観音、天海僧正の舊跡等数多の名所あり

都会の皆様!一日の御清遊に是非兎月園の楽境を御利用願ひます  東上線成増驛 兎月園主 敬白


(沿革)の冒頭は、歌枕の一節を流用している。
>武蔵野は 月の入るべき 山もなし 草よりいでて 草にこそ入れ『万葉集』

敷地面積はグラウンド部を含めて2万坪余り、池袋駅から3駅の成増駅とあるので、このパンフレットは昭和5年以前に作られたものだ。(下赤塚駅開業;昭和5年12月29日)池袋駅からは自動車で送迎もしてくれるようだ。

兎月園の売り物の一つに、滝を眺めながらの温泉露天風呂がある。この温泉についてはずっと気になっていた。単に地下水を沸かした湯のことを温泉と言っていたのかなぁ?とか、本格的にボーリングして掘り当てたのか?それとも何処かから運んでくるのか‥なんていろいろ想像していた。

パンフには「ウラニウーム」含有の鉱泉を引用したと書かれており、泉質はウラン鉱泉やラジウム鉱泉であったようだ。残念だが天然なのか鉱石を使用した温泉なのかまではわからないですね。この時代、イギリスなんかでもウラン鉱泉が流行っていたようです。鉱泉は秩父にもあるけど、ここら辺では出ないと思われます。近所の和光市の極楽湯は黒湯ですし。

入園料の部分には線が引かれており、料金の部分が消されている。開園当初は取っていたけど後から取らなくなったんでしょうかね?グラウンドでは様々な興行がおこなわれたようで、その度に木戸銭を徴収していたから入園料自体は徴収しなくなったのかもしれません。

兎月園は、西方向にある妙安寺の寺領を借りているので、(附近の名勝) の筆頭で宣伝されてますが、徳川家康”所縁”というわけではなく”歸依”している帝釈天とは、ちょっと苦しい言い方かもしれません。。成増農園は兎月園の前身として作られた農園です。白子不動の滝は今でも有名ですね。この間もテレビでお笑いタレントが滝行しているのをやってました。白子の吹上観音も当時はメジャーな場所で、特に結婚前の男女には”出会いスポット”として有名でした。
天海僧正の舊跡(きゅうせき)とは何を指すのでしょうか、わかりません。


さて、「山八公園」ですが、これはなんでしょうか初めて聞きました。とりあえずググってみると、土支田地域に山八マンションというのが散見されるので、かつて土支田に存在した公園なんでしょうかね?板橋区に現存する最古の公園・板谷公園が開園したのが昭和12年なので、それよりだいぶ古いです。もしかすると、現在の練馬区域で一番古い公園だったのかもしれないですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

板橋区民、自由研究をする。

275921Photo


  嗚呼、連日のこの猛暑は勘弁してほしい‥大好きなくるまやラーメンにも行けないじゃあないか‥

前回に続き、兎月園の考察をする。せっかく手に入れた資料をとことん研究しないとモッタイナイっす。

兎月園の全体を示す資料は私の知る限り、今回UPした物と、月刊光が丘新聞が1992年に関係者からの取材により描いた想像図しかない。案内図の絵はデフォルメされているので正確さに欠けるけれど、現存する絵葉書などの写真と地図で補完するしかない。

見つかったパンフ2点を比較してみよう。

先の1点は私が入手した物、もうひとつは8年前に入手しそこなった物だ。まず、どちらが古いのかを推測する。
大きな違いとしては、前者は門が一箇所、後者では二箇所描かれている。石神井公園近くの三宝寺には、かつて赤坂の勝海舟邸にあった長屋門が移築されているが、もともとは兎月園にあったもので、閉園後に三宝寺に譲られたという。
すると、兎月園には最終的に入り口は二箇所あった(案内図にも描かれているが)と考えられるから、前者の案内図方が古いと思われるのだが、後者の案内図には表門の横に売店が描かれていない。ここには、のちに園内にあった映画館(後者の案内図の真ん中の入り口から入った場所にある建物)が火災で焼失し、新たに映画館が設けられた場所で、何も描かれていないというのが不思議だ。

園内の建物の様子も微妙に違う。特に、滝(兎月大滝)と対面の露天付き大浴場は大きな売り物のはずだけど、後者の案内図では強調していないようだ。
グラウンド内の設備の位置も時代によって変わり、最盛期には後者の案内図の遊具が描かれている場所には猿や熊や鳥などのミニ動物園の檻が並ぶ。

兎月園は、もともと大正10年に華族や東京府内に住む富裕者層のための郊外農園として始まった。それは成増農園と命名され、のちの兎月園のグラウンド部分の場所にあった。池のある部分は、現在の光が丘公園北入り口の交番近くにあった”お玉ヶ池”を源流とする水路が白子川へ流れ込む流域にあり、小さい渓谷を作っていた場所の景観を利用して整備され、農園利用者のための休息施設を作りそれが兎月園という形に発展していったのだ。

兎月園の最盛期は昭和10年前後をピークとし、昭和19年2月に閣議決定された「決戦非常措置要綱」により高級享楽の停止(待合、カフェー、遊郭、劇場などの休業)が行われ、この頃までには表立っての営業を中止していたと思われる。兎月園の特殊な所は、朝霞に陸軍士官学校があり、高級軍人の利用が頻繁だったことで、戦時中でも軍の宴会が密かに行われ、特攻隊の送別の宴も開かれたこともあるという。軍が許可をすれば飲食物持ち込みで営業が出来たのだ。

B29の偵察機が昭和20年4月30日に撮影した空中写真を見てみると、不鮮明だが兎月園内にあった池は、元の小川に戻り、緑で覆われてしまったのかのようにみえる。隣のグラウンドも荒れ果ててしまっているようですね。


先日、かつて兎月園のあった場所を実地調査してみた。あたりは果てしなく続く住宅街に埋もれ、みる影もない。が、光が丘公園北口から続く流路は今でもその痕跡が辿れ、それを基準として眺めると、地形は激しく変化しておらず、なんとなく往時を偲ぶことができる。兎月園の池があったと思われる部分はそれとわかる程の低地で、ちょうど滝が存在していたと思わしき場所には急な階段があったりする。

実は、兎月園時代の建物の一つが今でも残っているという。それは案内図の右上にある”大休息所”として使われていた建物で、現在は駐車場や屋敷林に囲われ、容易に敷地内は見れないようになっており、表札も見当たらない。昭和40年代の住宅地図では如庵(花岡)とある。花岡とは兎月園のご当主の苗字であり、関係者がお住まいであったようだ。

仄暗い屋敷地を遠くから拝見すると、庭には大きな仏像などの石物が見え、かつての兎月園の風景が残っているように感じられる。他に兎月園を感じさせる物は、案内図手前の道が今では「兎月園通り」と名付けられ、通り沿いの板橋区側にある和菓子屋さんで売られている銘菓、兎月まんじゅうだけだ。


Photo_2


| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2015年6月 | トップページ | 2015年8月 »