« 板橋区民、OUT THEREする。 | トップページ | ☆G.W.は、赤塚郷から始まった。 »

板橋区民、OUT THEREする。する。

0001004400640081

 春からいっきに夏になりましたネ。。

板橋区民は、まだぼーっとしている。恋をしたり、風邪をひいたわけではない。
昨夜、板橋区民は北の丸公園の日本武道館で行われた、Sir James Paul McCartney爵の夜会に出かけた。すでにさまざまなメディアでニュースになっているけれど、ポールが日本武道館の舞台に立つのは、ザ・ビートルズの一員として1966年(昭和41年)に来日して以来、49年ぶりのことだ。

東京ドームに比べれば1/5ほどの観客キャパシティしかないけれど、49年前に参加した方々から中学生くらいの少年まで、大勢の人が熱気を持って武道館周辺にあふれていた。
それにしても、正面入り口に掲げられた”Paul McCartney”の看板を感慨深げに見上げる人達の多いこと!道路を挟んだ反対側の駐車場にも無言で佇み看板を見上げている人で溢れていた。

コンサートは午後7時50分、Can't Buy Me Loveで始まり、午後9時55分、Yesterday→Birthday→Golden Slumbers/Carry That Weight/The Endで終了した。東京ドーム公演より30分短く、曲数も9曲少なかったが、観客のノリと一体感はドームより断然盛り上がっていた。お年の方も多かったが、ビートルズ公演の時は会場内に機動隊が入り、観客も着座で見なくてはならなかったが、その時のうっぷんを晴らすかのような総立ちノリノリ状態だった。


ビートルズが初来日した当時、板橋区民は現在の板橋イオン裏にあるまきば幼稚園に通う、いたいけな幼児でしたが、ガイジンのお兄さんを見ると指をさし「あっビートルズだ」と叫んでいた。これは自分の最古級の記憶としてハッキリ残っている。おそらく、来日騒動のテレビニュースを憶えていたんだろう。

さて、あまり板橋区と関係のない記事が続くのも気が引けるので、その当時の東武練馬駅近辺の住宅地図もUPしておきますね。

昭和40年代の徳丸は、買い物といえば北一商店街が基本だった。今は買い物客でごった返すイオンは広大な工場であり、北口側はどちらかというと閑散としたイメージがあったけど、住宅地図をみるとそれなりに店屋が並んでますね。
お年寄りの方に聞いた話では、徳丸で初めてテレビが置かれたのが、ラーメン花月あたりにあった「粕谷電気商会」で、当時、近所の人達がテレビを観に押しかけ、床板が抜けてしまったことがあったそうだ。まるで、映画「三丁目の夕日」の一シーンそのものですね。

ボーッとしつつ武道館から飯田橋駅へ向かう道すがら、年を重ねるに従い感動することが少なくなり、日々の生活でも新しいことを求める気力も薄れついつい引きこもりがちになるけれど、思い切って外へ出てみると(OUT THERE)すっかり忘れていたあの熱い感情を呼び起こすことが出来るんだなあと改めて気がついた、そんなG.W.前日の夜でした。。

|

« 板橋区民、OUT THEREする。 | トップページ | ☆G.W.は、赤塚郷から始まった。 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 板橋区民、OUT THEREする。する。:

« 板橋区民、OUT THEREする。 | トップページ | ☆G.W.は、赤塚郷から始まった。 »