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2015年2月

板橋区民、本気出す。2015*東上線創業時の池袋駅*

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 鬼は外福は内。今日は節分ですね。豆は西南西の方角に向かって投げましょう。板橋区内で一番賑わう豆まきが行なわれる場所は板橋の氷川神社ですが、我が赤塚郷から遥かに遠い場所にあるのでなかなか行けません‥


今年は東武東上線開業101回目の年。100周年の昨年、当ブログ上ではいろいろとお宝を公開してきました。
その時、創業時の東上鉄道の駅の写真がほとんどない(見つかっていない)ということを記事に書きました。始発駅の池袋駅を始め、板橋区内に置かれた下板橋駅や上板橋駅、成増駅の写真も無い(撮影年不明の大正時代に撮影された下板橋駅の写真はある。)のは残念だ‥と嘆いていたわけです。こういったお宝は、ある日突然目の前に現れるものだと信じて歩いて行こう、と記事を結んだのでしたっけ。

‥おまたせしました。本気出しましたよ。

すでに答えは掲載の写真に出てますが、大正4年の半ば頃までに撮影された東上鉄道池袋駅の姿です。「なんだ駅舎じゃねえじゃん。」なんて野暮なことは言わんで下さい。”御真影”ですぞ。

これは、大正4年8月10日に大日本交通協会から発行された「東上鉄道案内」に掲載されていた写真だ。この冊子の存在は以前から知っていたけど、どこに現物があるのかまで把握していなかった。

前回、外交資料館の所蔵資料で成増飛行場に進駐軍がやってきた日が判明したと記事に書きましたが、その流れで、久しぶりに国会図書館の憲政資料室で資料を漁ってみるかとやる気を出し、またまた寒風吹きすさぶ中、永田町へ出向いた。図書館の近くには国会議事堂があり、イスラム国が日本に対してテロ宣言を出したせいなのか国会質疑が行なわれているからなのか、たくさんの警察車両と警察官の警備で図書館の周りは物々しいと言うかピリピリした空気が漂っている。なんか”最前線”という感じがしますね。

憲政資料室での調べものは成果があり、マイクロフィルムからの複写を依頼し2階の複写コーナーで出来上がりを待っている間、ふと図書検索機で「東上鉄道案内」を検索すると、うぉ!あるじゃん!さすが図書館の総本山!‥てなことで所蔵されていることがわかり早速、借出し手続きを済ませワクワクしながら待つこと20分、受付が出してきたのはマイクロフィニッシュだった。”なんだ現物じゃないんか”と少々ガッカリしつつ機械で画像を見て行くと‥Oh! I can see! 池袋駅の写真が載ってるじゃん!

てなことで、”お宝は突然目の前に現れる”は現実のものとなったのです。。

この冊子は情報が豊富で東上鉄道創業時の資料としては超一級のモノと思います。できれば復刻版を出して欲しい‥。ただ残念なことに各駅の写真はなく、幻の田面沢駅も駅前の情報が多少わかる程度だ。
さて、池袋駅構内を写した写真を見て行くと、ちょっと違和感がある。左側に有蓋貨車群が写っており、前方の様子からも目白方面に向けて撮ったように思える。目白方面には機関車の転車台があったと聞きます。う〜んそれにしてもなぜこの写真を選んだのかなあ‥これじゃあ位置関係がよくわからん‥。

本文に池袋駅の様子を描いた部分があるので、抜粋してみよう。

「〜本線の起点は院線池袋駅構内の北角に在り陸橋に依つて山の手線と連絡する。島型式の歩廊(プラットホーム)は一丁余に亘り新設の待合室は陸橋に接続して諸般の施設は完備している。一日上下十八回の列車は約四十五分毎に発着し貨客常に充満して雑踏を呈して居る。本社営業事務所は西北隅に設置され現在は仮設備であるが近く本工事に着手さるる筈、本線専用の池袋停車場も七月十五日より開設された。

”貨客常に充満して雑踏を呈して居る。”はちょっと盛ってる気がしますね(笑)。当時、”東上線のカラ引き列車”という揶揄は有名でした。写真の右隅に映っている階段が山の手線への連絡陸橋かなあ。創業時、東上鉄道の本社は東武鉄道の本社内に置かれており、東上鉄道本社営業事務所の建物は、現在のルミネ池袋店あたりにあったようです。
しかし、”本線専用の池袋停車場も七月十五日より開設された。”とはどういう意味なんだろう?表掲の写真は新設された本線専用の停車場なんだろうか?もとは貨物と乗客のホームが一緒だったのか??etc‥。

なんだか謎は深まるばかりですね。。

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板橋区民、幻の田面沢駅の位置を特定する。

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 寒い。。


さて、前回は創業当時の東上鉄道池袋停車場(停車場って響きが好いですね。)の様子をお届けしましたが、今回は終点である「田面沢駅」について、引き続き「東上鉄道案内」から読み取ってみますね。

田面沢駅については、マニアを含め様々な方が研究や探求を行ない、発表をしています。ネットで検索すると詳しい情報がUPされていますので、詳しくは別ウインドウで検索してみて下さい。(手抜き)

では何故、田面沢駅が研究されるかと言うと、”正確かつわかりやすい記録が無い”からなんですね。駅が存在した位置すらわからないということが、”マニア心”を刺激するんでしょう。
敷設当時、東上鉄道はまず川越町駅までの開業を目指したけれど、川越町から入間川の手前までわざわざ軽便鉄道の免許を取得して田面沢駅を設置している。(下板橋駅〜池袋駅間も軽便鉄道の免許で敷設)駅は、入間川橋梁が建設され坂戸町駅まで路線が伸びると共に廃止された。僅か2年間しか存在しておらず、東上鉄道時代に廃止された唯一の駅だった。


田面沢駅がどこにあったのかを知るには、写真や公文書や地図を探し出すのが一番だ。しかし、駅の写真や公文書は現在までに確認されていない。地図については研究者のHPでもいくつか紹介されていて、それによると、現在の東上線が走っている入間川橋梁手前の築堤付近にあったと推定されている。

じゃあもう結論出てるじゃん。

‥と、言いたい所だがマニアはそれを許さない。駅は築堤の上にあったのか?下にあったのか?勾配が始まる手前にあったんじゃないのか?さらにはその地図の情報はホントなのか?とまで疑い、東上鉄道の創立計画時にまで遡り、様々な面から検証をしてみせる。中にはあまりに想像が膨らみ、河越館城趾公園の手前の対岸の位置にあったのではないか?とする説までも出ている。

まっ、それぞれの説もその見方から読んで行くと、なる程なあ‥と感心するのだが、やはり原点に立ち返ることが必要だ。では、写真や公文書や地図の他に知る手だては‥となると、当時の駅の様子を直接知っている人の証言を聞くことですね。しかし、駅が存在していたのは100年前の事なので、証言の記録を見つけることが求められる。

それが見つからないから苦労してるんじゃん。

‥おまたせしました。ここで、大正4年・大日本交通協会発行の「東上鉄道案内」ですよ。
冊子中、田面沢駅の案内から抜粋してみよう。

「〜田面沢の地は葦多く雁巣くひて秋は風情が多かつたので、古来名歌に数多く読まれてある。駅は入間川の景勝地に設けられ四望佳絶である。

横線で示した表現”四望佳絶”に注目して欲しい。簡単にいうと”高台にあるので360度絶景である。”と読める。ってことは最初に書いた通り、当時の地図に示された位置で正しい。と結論付けていいんじゃないだろうか。入間川橋梁へ向かう手前、跨道橋の煉瓦積みが残る築堤上で、多くの方が推定している場所だ。

マニアの方が仮説としてあげている「河越館城趾公園の手前の対岸の位置」については、田面沢駅付近の名所案内の項で「常楽寺」(河越館城趾公園に隣接)が紹介されており、そこに”停車場の北方4丁入間川の流れを隔て”と距離が書かれていることから、この説は当たらないと思われる。(1丁は109.2mなので4丁は436.8m)


「東上鉄道案内」には、他にも田面沢駅に関する興味深い情報が載っている。それが上掲の広告だ。

先に、川越町から入間川の手前までわざわざ軽便鉄道の免許を取得して田面沢駅を設置している。と書いたけど、その理由の一つに「入間川から採取される砂利の運搬」という必要性があった。
冊子の広告を見ると、駅前に「川越砂利商会 松田運送店」という会社が存在していたことがわかる。その出張販売店として、下板橋町の花井源兵衛とあるが、花井源兵衛さんは板橋の渋沢栄一と呼ばれる偉人で、幕末に板橋村の豪農に生まれ、村長や北豊島郡の議長を勤め、板橋乗合自動車始めたくさんの会社を興した人物だ。
「川越砂利商会」はおそらく築堤下にあったと思われ、Google map で確認すると現在、駅があったと思われる近辺には3軒の家屋が確認出来るけど、上掲の写真の建物に該当する家は無いようだ。

そしてもう一つ、鮎の季節に遊漁を楽しむ施設の案内が載っている。解禁期間は6月1日から秋までで、団体鮎狩り申込者には天幕や網漁の漁師4人と助手2人を用意したという。大正4年のシーズンからは川越から割烹店の出店を設けたとも書かれ、それなりに賑わっていた様子が伺える。
東京方面からの遊漁客は池袋発午前8時発、田面沢着9時10分。帰りは午後3時58分田面沢発、5時11分池袋着の列車が最も好適で、6時間余の遊漁が出来ると記載されている。駅から遊魚場までは1丁(109m)の距離だった。

田面沢駅が置かれた大きな理由の一つが砂利運搬にあったことは、東武鉄道の社史やその他で指摘されているが、鮎の遊漁客誘致のためという理由もあったことは、新しい発見だろう。

以上が確認出来たことだけれど、築堤上に駅があると採取した砂利をそこまで運搬するのは大変な労力がいるんじゃないかなあ、など新たな疑問が沸いてくる。今後、さらなる資料との出会いを願いつつ生きてゆこう。。

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2015年・赤塚郷田遊びまつり強化週間始まる!

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 超寒い。


さあ!今年もまた国指定重要無形文化財、田遊びまつりのシーズンがやってきました!

昨年末ニコンD750を購入し、新年明けの一般参賀でデヴューさせませしたが、その後ニコンから不具合の発表があり、しばし入院。ようやく戻ってきたので、田遊びまつりで再デヴューです。

このカメラはいろいろエフェクト機能が付いているので、ちょっと遊んでみようと”ミニチュアモード”で撮影してみました。
ミニチュアモードは、何年か前にある若いカメラマンが4X5カメラのチルト機能を使うと実写の風景がミニチュアっぽく映ることに気がつき、写真集を出したことで世間に知られるようになりました。
簡単に言うとピントの合う範囲を極端に狭めて撮る方法で、デジタルカメラではそれ風に加工した映像を作ることができる。

それで、早速その機能を使って撮ってみましたが‥う〜ん、イマイチ効果が出てない。。どうやら、もっと高い位置から撮らないといけないらしい。やっぱりいきなり実戦で使うのはダメっすね。反省。


てなことで明日2月11日は「徳丸北野神社の田遊び」です。”もがり”上での田遊び開始は午後6時ちょっと前くらいから。
そして中一日置いて13日は「赤塚諏訪神社の田遊び」です。境内での田遊び開始時間は午後7時過ぎからです。


前に開始時間を書いて”時間が違うだろ”と批判をいただきましたが、もともと田遊びは”適当に始まり適当に終わる”というものでした。また、”準備を含めての田遊びである”との考え方もあり、当日の朝から始まっている(諏訪神社の場合は前日から)、とも言えるのです。
なので、まあ、早めに行った方が良いですね。。

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