板橋区民、本気出す。2015*東上線創業時の池袋駅*
鬼は外福は内。今日は節分ですね。豆は西南西の方角に向かって投げましょう。板橋区内で一番賑わう豆まきが行なわれる場所は板橋の氷川神社ですが、我が赤塚郷から遥かに遠い場所にあるのでなかなか行けません‥
今年は東武東上線開業101回目の年。100周年の昨年、当ブログ上ではいろいろとお宝を公開してきました。
その時、創業時の東上鉄道の駅の写真がほとんどない(見つかっていない)ということを記事に書きました。始発駅の池袋駅を始め、板橋区内に置かれた下板橋駅や上板橋駅、成増駅の写真も無い(撮影年不明の大正時代に撮影された下板橋駅の写真はある。)のは残念だ‥と嘆いていたわけです。こういったお宝は、ある日突然目の前に現れるものだと信じて歩いて行こう、と記事を結んだのでしたっけ。
‥おまたせしました。本気出しましたよ。
すでに答えは掲載の写真に出てますが、大正4年の半ば頃までに撮影された東上鉄道池袋駅の姿です。「なんだ駅舎じゃねえじゃん。」なんて野暮なことは言わんで下さい。”御真影”ですぞ。
これは、大正4年8月10日に大日本交通協会から発行された「東上鉄道案内」に掲載されていた写真だ。この冊子の存在は以前から知っていたけど、どこに現物があるのかまで把握していなかった。
前回、外交資料館の所蔵資料で成増飛行場に進駐軍がやってきた日が判明したと記事に書きましたが、その流れで、久しぶりに国会図書館の憲政資料室で資料を漁ってみるかとやる気を出し、またまた寒風吹きすさぶ中、永田町へ出向いた。図書館の近くには国会議事堂があり、イスラム国が日本に対してテロ宣言を出したせいなのか国会質疑が行なわれているからなのか、たくさんの警察車両と警察官の警備で図書館の周りは物々しいと言うかピリピリした空気が漂っている。なんか”最前線”という感じがしますね。
憲政資料室での調べものは成果があり、マイクロフィルムからの複写を依頼し2階の複写コーナーで出来上がりを待っている間、ふと図書検索機で「東上鉄道案内」を検索すると、うぉ!あるじゃん!さすが図書館の総本山!‥てなことで所蔵されていることがわかり早速、借出し手続きを済ませワクワクしながら待つこと20分、受付が出してきたのはマイクロフィニッシュだった。”なんだ現物じゃないんか”と少々ガッカリしつつ機械で画像を見て行くと‥Oh! I can see! 池袋駅の写真が載ってるじゃん!
てなことで、”お宝は突然目の前に現れる”は現実のものとなったのです。。
この冊子は情報が豊富で東上鉄道創業時の資料としては超一級のモノと思います。できれば復刻版を出して欲しい‥。ただ残念なことに各駅の写真はなく、幻の田面沢駅も駅前の情報が多少わかる程度だ。
さて、池袋駅構内を写した写真を見て行くと、ちょっと違和感がある。左側に有蓋貨車群が写っており、前方の様子からも目白方面に向けて撮ったように思える。目白方面には機関車の転車台があったと聞きます。う〜んそれにしてもなぜこの写真を選んだのかなあ‥これじゃあ位置関係がよくわからん‥。
本文に池袋駅の様子を描いた部分があるので、抜粋してみよう。
「〜本線の起点は院線池袋駅構内の北角に在り陸橋に依つて山の手線と連絡する。島型式の歩廊(プラットホーム)は一丁余に亘り新設の待合室は陸橋に接続して諸般の施設は完備している。一日上下十八回の列車は約四十五分毎に発着し貨客常に充満して雑踏を呈して居る。本社営業事務所は西北隅に設置され現在は仮設備であるが近く本工事に着手さるる筈、本線専用の池袋停車場も七月十五日より開設された。」
”貨客常に充満して雑踏を呈して居る。”はちょっと盛ってる気がしますね(笑)。当時、”東上線のカラ引き列車”という揶揄は有名でした。写真の右隅に映っている階段が山の手線への連絡陸橋かなあ。創業時、東上鉄道の本社は東武鉄道の本社内に置かれており、東上鉄道本社営業事務所の建物は、現在のルミネ池袋店あたりにあったようです。
しかし、”本線専用の池袋停車場も七月十五日より開設された。”とはどういう意味なんだろう?表掲の写真は新設された本線専用の停車場なんだろうか?もとは貨物と乗客のホームが一緒だったのか??etc‥。
なんだか謎は深まるばかりですね。。
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