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板橋区と高倉健。

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 ‥いや、わかってます。何でもかんでも板橋区と関連付けるのは恥ずかしくないのか?ってコト。でもココはそういうブログなんです。。

今週水曜日(19日)、俳優の高倉健さんが都内の病院で逝去されたというニュースが日本列島をかけめぐった。各マスコミでは特集が組まれ、追悼の映画がテレビで放映されたり急遽放送が決まったり、と賑やかだ。特にNHKは生前最後の独占密着映像を持っているせいか、張り切りぶりが目立つ。昨夜は”クロ現”でも特集され、この週末には密着ドキュメンタリーの再放送を総合で行なうようだ。渥美清さんが亡くなった時も同じようなことをしていたっけ、と思い出した。

健さんの逝去が発表されると、追悼コメントを求めて縁の方々へマスコミが殺到していたが、その中で、映画監督の山田洋次氏が「撲にとって渥美清さんと高倉健さんは、間違いなく、めぐり合うことのできた2人の偉大な俳優でした。」とおっしゃっていた。健さんと渥美さんは山田監督の松竹映画「幸せの黄色いハンカチ」で共演もしている。

渥美清さんはあまりにも「男はつらいよ」シリーズが有名なため、”東京の下町生まれで下町育ち”のイメージが強い。しかし、確かに生まれは上野車坂(昭和3年・1928年)だが、8歳の時に板橋区清水町へ転居し、現在の志村第一小学校へ通い、卒業後は志村の高等小学校・国民学校を出て戦時中を板橋区内で過ごした。志村第一小学校には渥美清の記念コーナーが作られている。

で、健さんと板橋区の関係は‥

まず思い浮かぶのは、1975年公開の東映製作「新幹線大爆破」っすね。もう何度か書いてますがその内容は‥

<東京発博多行の「ひかり109号」に爆弾が仕掛けられた。その爆弾は「時速が80キロ以下になると自動的に爆発する」という恐るべき物であった。やがてデモとして仕掛けられた貨物列車が爆発脱線し、爆弾の存在は疑いが無くなる。大捜査線を展開する警察、爆弾解除を試みる国鉄、事実を知らされ騒然となる109号の1200人の乗員乗客達。博多に到着する12時間の間に事件は解決するのか?そして、犯人達の狙いは一体何なのか?>というストーリーで、この犯人達のリーダを演じているのが健さんだ。

当時は「ジョーズ」とか「大地震」とか「タワーリングインフェルノ」といったパニック映画がブームで、この映画もそれに便乗した体裁をとっている。しかし、これは営業の煽り文句に過ぎず、実は、その根底には高倉健さんがひたすら演じ続けてきた”社会の不条理に追いつめられた男が、最後の最後に立ち上がる”ということが根底に描かれている。
「新幹線大爆破」では、高度経済成長の時代に落ちこぼれた、社会の負け犬たちが寄り集まり、起死回生を求め、高度成長の象徴の一つとして、新幹線を狙う。社会に対する恨みが犯行の動機だけれども、むしろ体制への反抗という面を持っているのだ。

映画では、犯人達のリーダーである健さんは、板橋区志村で町工場を営んでいるという設定だ。その工場は河の近くにあるので、新河岸か舟渡あたりなのだろう。他の仲間も三田線の蓮根駅近くの女のアパートに潜伏していたり、志村車両工場での緊迫したアクションシーンも有りとなかなか板橋人を楽しませてくれる映画だ。


健さんと板橋区を結ぶもう一つの映画がある。それが2001年公開の東映創立50周年記念作品「ホタル」だ。ストリーはこうだ。

「鹿児島県知覧で漁師をしている山岡(高倉健)とその妻・朋子(田中裕子)。朋子は肝臓を患い透析を続けていた。時は昭和が終わり、平成に時代が移り変わったある日、山岡の元に青森から、藤枝が雪山で自殺をしたという知らせを受ける。藤枝は山岡と同じ、特攻隊の生き残りでもあった。
山岡は、かつて特攻隊員に“知覧の母”と呼ばれていた富屋食堂の女主人・山本富子から、ある事を頼まれる。それは体が不自由になった山本に変わって、特攻で散った金山少尉(本名:キム・ソンジェ)の遺品を、韓国に住む遺族に届けて欲しいという頼みだった。金山は山岡の上官で、知子の婚約者でもあったのだ。山岡は複雑な気持ちだったが、余命僅かな知子のことを考え、韓国に向かう決意をする。しかし金山家の人達は、山岡達を快くは思ってくれなかった。山岡は遺族に金山の遺品を渡し、遺言を伝えた。金山は日本の為に出撃したのではなく、祖国と知子の事を思い出撃した事を‥」

健さん演じる山岡が所属する特攻隊は、明野教育飛行師団が編成を担任した第51振武隊がモデルとなっていると思われる。その記事は以前書いたので以下に再録する。

『第51振武隊は、3月29日、明野で編成された。5月6日から28日にかけて知覧を出撃、9名戦死。この隊については、直木賞作家である豊田穣氏著「日本交響楽7・完結編」に描かれている。(以下引用)

「明野で編成された隊は、まず所沢に飛行機を受領に行った。彼らが受領したのは、隼三型という戦闘機であった。自分が乗って突入する飛行機が決まると、彼らは東京に近い成増の飛行場で、突入の訓練を受けた。この頃研究されていたのは、敵のレーダーによる発見を避けるため、敵発見までは低空で接近し、突入の前に千メートルまで高度をとり、急降下あるいは暖降下するという方法であった。陸軍の飛行機は軍艦に突入することになれていないので、海上を飛ぶための航法の訓練も必要であった。一ヶ月ほど成増で訓練を行った後の4月下旬、いよいよ知覧に移動することになった。その隊員の中に、背の高いがっちりした男がいた。男は京都出身で名を光山文博といった。実は、光山少尉は朝鮮人であり、今までに判明している朝鮮・台湾出身者14名の特攻戦死者のうちの一人であった。5月上旬、富屋食堂に光山少尉がふらりと現れた。昭和18年10月から知覧の教育隊で、一年間教育を受けている間に親しくなっていたのである。トメさんは懐かしそうに光山少尉を迎えたが、この時期にやってくるのは特攻隊員であるからと、瞬時に悟った。5月10日、第51振武隊員のうちの10名が富屋食堂にやってた。トメさんは、彼らが明日出撃なのだとわかった。隊員達にはあきらめの表情が浮かび、屈託もない。やがて宴もたけなわとなり、隊員一人一人が歌を歌うことになった。光山少尉の番がきた。では私の故郷の歌をうたいます—アリラン、アリラン、アラリヨ‥‥—隊員一同とトメさんは驚いた。そのとき初めて光山少尉が朝鮮人であることを知ったのであった。光山少尉は、朝鮮の布地で織った財布を形見としてトメさんに預け、翌日午前6時30分、知覧飛行場を飛び立ち、帰らぬ人となった。」』

第51振武隊は、3月末に成増飛行場へ移動し、4月一杯訓練を行なったが、その頃、成増飛行場を根拠としていた47戦隊は、四国沖に米軍艦隊が現れるとの情報で、大阪の佐野陸軍飛行場へ移動していた。東京への空襲も激しい時期で、板橋区内も大きな被害を受けていた。空襲警報のたびに飛行機を基地周辺に設けられた掩体壕へ隠さねばならず、飛行場大隊の方々も大変な労力だったろう。


いつも思うのだが、特攻隊員は出撃命令が下った瞬間から死への葛藤が始まるのではなく、葛藤は何波にも分けてやってくるのではないのだろうか。最初はもちろん特攻を希望した時、そして特攻隊員への任命が下った時だろう。(当然、血気盛んで葛藤を感じない隊員もいたかもですが)その葛藤を訓練に集中することによって克服してゆくのだ。
しかし、特攻隊の映画ではあまり訓練風景は出て来ず、描かれるのは知覧など、特攻の出撃基地での風景ばかりだ。天候不順で出撃が延びたり、機材の不調により代かえ機待ちで出撃出来ないこともあるけれど、特攻隊は、基本的には直前に前線基地へ移動し数日で出撃(生への執着を断つためとも言われる)する。先の引用にあるように、富屋食堂のトメさんの本では、出撃前夜の特攻隊員達は、すでに達観の境地にいる方々が多かったと述懐されている。

だから、特攻隊員の葛藤を描くには前線基地ではなく、それ以前の訓練基地を舞台にした方がリアルなんじゃないかと思うのだが、そんな丁寧な映画作品はなかなかないですねえ。。もし「ホタル」がそんな映画だったら、成増をモデルにした飛行場が出てきたのでは、なんて思うのですが‥


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