☆祝!東武東上線開業100周年☆〜静かなる開業日〜
もはや暑いっすね。でも吹き渡る風は涼しく、まさに風薫る5月ですなあ。
今日からちょうど100年前の大正3年5月1日、東上線が開業した。(池袋〜田面沢間33.5km・10駅)
100年目の記念日だから気の利いた話題でも書ければいいのだが、開業日の出来事に関しては把握出来ないでいる。その理由のひとつとして、明治天皇の后、昭憲皇太后が4月9日に崩御され、記念の開通式が半年先に延期されてしまったことがあげられる。最近も天皇皇后両陛下や安倍首相、オバマ大統領が昭憲皇太后百年祭が行なわれている明治神宮を訪れているニュースをやってましたね。だから、開業を確認出来るのは、せいぜい当時の新聞各紙に掲載された東上線開業広告によることくらいだ。
正式な記念の開通式は、大正3年10月17日に沿線の成増、志木、川越町駅等で行なわれ、各駅前では手踊りや神楽などの余興がおこなわれた。成増駅では花火も打ち上げられたという。
開通当初は、単線で蒸気機関車が客貨車混合車両を引き、上下2時間おきに1本、1日9本が運行されていた。池袋から田面沢まで1時間15分だった。
板橋区内で、大正時代の東上線の資料を求めるのは困難だ。写真はほんの数枚で、開業当時のものは見たことがない。成増駅ではわりと賑やかに行事が行われたようなので残っていても良さそうなものだけど、未だ発掘されていない。始発の池袋駅や終点の田面沢駅の絵はがきや写真が残っていないとは信じられないんですがねえ。
で、写真が無ければ他の物、というわけで冒頭の絵の紹介といきますね。
お題は「下板橋雪景」/1921年、描いたのは洋画家・児島善三郎(1893年2月13日 - 1962年3月22日)だ。集英社刊「現代日本の美術・12巻」から解説の一部を抜粋してみる。
「一度上京したが、胸をわずらい郷里福岡に帰り、闘病生活5年の後に再度上京(1920年)し、板橋に居を定め、下板橋付近の田園風景を描く。
雪の原を軽便鉄道が小さく煙を吐きながら走ってゆく。前景には、灰色の空をうつした堀と、鉄道の通る土手。そこから奥に引き込み、その向かって右に広がる雪の原は、しっかり描けている。児島は私たちが絵の批評を乞うと、いつも地面がしっかり描かれているかどうかを特に注意した。この<下板橋雪景>の広がりは、この雪の下の地面がしっかり描けているからだと、改めて思う。‥」
まぁ、絵ですからね。鉄道博物館の学芸員氏に確認したけれど、開業時の東上鉄道は、池袋〜下板橋間は確かに軽便鉄道として免許申請されたのだが、開業当初から普通のレール規格で運行していたはず、なのだそうだ。手前に描かれている線路は、赤羽線(日本鉄道線)と思われるが板橋駅との間にこんなにカーヴを描く場所はないし、”堀”とされるのはデフォルメされた石神井川じゃないだろうか。絵画は最終的に画家の頭の中にある風景を描くので、必ずしも写実(表面的に)ではないのであまり信じちゃあいけないが、それでもよくぞ描いてくれました。と感謝します。
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