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今日から新年度だし久しぶりに兎月園の記事でも書くか。

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 今日も昨日に引き続き花見日よりでしたので、7-11で弁当買って前谷津川石川緑道で花見ランチしました。ここの桜は徳丸随一のお花見スポットですね。桜の木も古木然とした木が多いですがですよ、あたしが中学生の頃、まだ前谷津川が暗渠化される前は桜なんてなかったんですよ。なんか年寄りになった気分です。。


さて、新年度第一回目は久しぶりに兎月園の話題です。

成増駅から南東方向にかつて存在していた遊園地「兎月園」については何度か記事にしてきましたね。おさらいする場合は「兎月園 成増 板橋ハ」などでググって下さい。‥不親切で申し訳ない‥

先日、昭和5年(1930年)に発行された「旅の小遣帳」と言う冊子を読む機会があり、その記事から兎月園を紹介してみますね。板橋区域を通る東上線にはまだ、上板橋、下板橋、成増駅しかなかった時代の話です。


『野菜サラダのやうに、むさし野西郊の若葉が盛り上がるところへ、梅雨の雲がホワイトソースよろしくドロリとかかって東上線ーー列車と云っても機関車に客車一䑓は勇ましくも穂麥の波を押し分け走つてゆく‥‥。なつかしい煤煙の香り「成増!なりますーゥ」

池袋から三丁目、なりますーゥの駅から二町、兎月園へ‥‥。

 いきな造りの案内所を囲んで躑躅が燃へ盛り、黄色い小鳥の小屋があり、細い僕と太い園主が築山の径を上つてゆくと「蘭の間」と云つて、休憩用小住宅につきあたる。園内にはかうした家が二十三軒もあり、家族連れのお晝食に可く、電話をチリチリと掛ければ川魚料理、鯉コク、園内の畑からもぎたての茄子、胡瓜が運ばれる。で実業家、参謀本部の勉強家、時には水野、宇垣のおんたいがお見へになるさうだ。
瀧がある。そばの生簀に荒川の鯉がアラヒになるのを待つてる。風呂がある、無料である。

 松林の中に一如庵ー茶室。自称風流紳士がよく茶飯を焚いてこがすところ‥‥茶道一年生に手ごろな道場である。むさし野から圓く畑をどけたやうなグランド、遠足が二組、三組。
先生「さあーーこれから池に行きますから落ちないやうにーー」

 岐阜提灯にザブザブ藤の房がゆれて、虻がお昼のサイレンよりもはげしく唸り、向ふ岸、かきつばたの咲くあたりに、女中さんの洗ひもの姿がなまめかしい。見ていると虻が藤の花を落す。茶店の人がそれを池に掃き出す。次に緋鯉が麩と異がへてパクツとやるーーノンビリした遊園地ーー兎月園は、たしかにイキである。』 


なかなかに趣のある紀行記事ですね。
兎月園は、関東大震災後に東京市内の上流階級や資産家達がこぞって郊外地に畑を求め、休日に家族友人と畑作を楽しむために置かれた”成増農園”の休息所として始まった。オーナーが東武鉄道の社長である初代・根津嘉一朗と懇意で、根津は相当な遊び人(料亭・芸者方面)であったため、その意見を多く取り入れているという。

それにしても、記事中に出てくる「参謀本部の勉強家、時には水野、宇垣のおんたいがお見へになる」とは誰のことなのかなあ‥。宇垣は当時陸軍大臣だった宇垣一成で、水野は海軍大佐の水野広徳かな?二人とも軍縮・平和主義者ですね。兎月園は軍人さんの利用も頻繁で、成増陸軍飛行場設置の遠因になったとも言われているようです。戦時中は軍の慰安施設となり、戦争末期には特攻隊の宴会に使われていたと聞きます。

ただ、飛行47戦隊の方々によると、”遊びに行ったのは池袋とか新宿とか八王子だねぇ”とおっしゃってました。あとは成増駅近くの面会所とか。面会所は訪ねてきた家族や知人と合う場所で、たまに慰安に訪れる女学生と遊ん(トランプやったり懇談したり健全なやつね)だとか。


上に掲載のカラー図は、マッチのラベル(たぶん)に描かれた兎月園の広告です。”温泉”てありますが、当時の温泉の基準てなんだっんでしょうねえ。。今のおふろの王様光が丘店みたいなもんかな。

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