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見えない板橋区。その1

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G.W.も近いですね。あっしはいつもG.W.期間は遠出をいたしません。ええ。

‥私が板橋区を趣味とする、との想いを得たのは平成の初め頃のことで、それは、こんな体験から始まった。昭和の後半から平成の10年くらいまで、板橋区内では遺跡の発掘が盛んに行なわれていた。大きな現場になると、縄文時代まで掘り上がると遺跡が一般に公開されることがあった。(旧石器時代の発掘は、関東ローム層を掘るので縄文以降の遺構が破壊されてしまうため)
ある発掘現場で、縄文前期の住居跡を見学する機会があり、出土した土器片が散らばる六畳くらいの竪穴式住居を見学した。中央には火を焚いた跡も残り、そこで確かに6000年前の板橋人が暮らした痕跡を感じることができた。住居跡の中で、ふと空を見上げると「ああ、そうか、6000年前の板橋人も同じ空を見、泣いたり笑ったりして暮らしていたのか‥」そんな感慨が胸に湧いてきた。同時に、6000年から現在までの歴史を意識する感覚が芽生えたのだ。「よし、これからは板橋区を知ることを趣味としよう。」‥

‥まあ、そういうことですね。

本題に入りますか。
最近、板橋区の統計を確認していないけど、区内では日々マンションや住宅が竣工しているので、人口は増え続けているのだろう。爆発的に増え始めたのは関東大震災以降と云われ、戦時中は疎開した人達などがいて減ってるかと思えば、軍需工場勤めの人達が流入しているので、そんなには変わらなかったのだろう。
有史以来、ということで鑑みるとさすがに旧石器時代は”人間が短期間暮らしていた”痕跡があるくらいだけど、板橋のすごいところは縄文時代や弥生時代、古墳時代には集落が点々と存在していて、それなりの人口があったことだ。人間が一番少なかった時期は奈良・平安時代といわれ、これは、発掘された遺構の少なさにより判断されている。
近現代では国勢調査のシステムが出来上がり、江戸時代には宗門人別改帳他いろいろな方法で人口を推測する方法があったけど、飛鳥時代や平安時代なんて古い時代では、まあ戸籍は作られていたけれどさすがに極わずかしか現存していないですね。だから、遺跡の発掘調査によって推測するしかない。

前説が少々長いっすかね。
当ブログは、基本的に自分の収集した逸品や写真を軸として話を展開してゆく、という様式で進めている。で、今回は左の写真、なんだかわかります?土器名は器台といいます。後の三方(神棚で神饌を乗せる台)ですかね。シールには「後期弥生式土器 東京都板橋区前野町(出土)」と書いてあります。(出土)とあるように、これはレプリカ品だ。教材用に作られた物かもしれない。本物は、前野町の常楽院というお寺にある。(隣の写真が常楽院が所蔵している本物)

常楽院は板橋区民の憩いの場、「さやの湯」の対面、イズミヤの北側裏手にある古刹だ。興味のない人はまったく知らないだろうけど、常楽院は、別名「土器寺」と呼ばれ、なんと常設の展示室まである。(3.11大震災で大きな被害を受け、現在、修復作業が続いている)なんで寺に土器が集まってるのかというと、ご住職であった守山聖真(明治21年〜昭和42年)が考古学に興味があり、勉強をしていたためで、場所も遺跡の包蔵地帯に位置し、時期的にも周辺の開発が進んでいた時代であり、また、農地を多く所有していたため、農作業中に土中から出てきた土器類が持ち込まれたという経過があった。

前野町は、もともと考古学者たちが目をつけていた地域で、1938、39年に杉原荘介(後、明治大学考古学教室主任教授)により本格的に調査された。守山聖真住職が常楽寺境内を中心に発掘したのは、その後の大東亜戦争中から戦後にかけてのことだ。
現在は「前野町遺跡群」と総称されているが、この遺跡群からは縄文から江戸時代までの出土物が出ているけれど、中でも充実しているのが弥生時代の土器で、この遺跡からの出土品は「前野町式土器」として分類され、弥生時代最後期の土器として位置付けられている。この次に分類されているのが、東上線の東松山市若松町の五領遺跡から出土した「五領式土器」で、古墳時代初頭という時代区分となる。あっしのようなトウシロには写真の器台の違いがわかりませんが、発掘された土器群を総合的に判断して決めるもののようです。


‥いやいや、すごいですね。これで”時代”が決められるわけですよ。あの弥生時代が前野町で終わり、東松山から古墳時代が始まる。。その橋渡しを東上線がしているようじゃありませんか。
ってね、この分類ってやつは数ある学会や研究会で様々に提唱されているもので、統一見解じゃあないんですよ。2004年に開催された「東北・関東前方後円墳研究会」で提示された編年指標ってことですね。板橋区民としてはこの指標を押すべきですな。うん。

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