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板橋区民、大阪で涙する。

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 おばんです。ワイ、大阪に行ってましてんねん。

‥こんな大阪弁があるのかはわかりませんが、2年振りの大阪訪問ですね。前回は吹田市にお住まいの、元飛行47戦隊空中勤務者・一楽少尉宅をお訪ねした時でした。そのときは環状線内には行かなかったし、それ以前も開業したばかりのUSJと通天閣界隈をほんの少し回っただけで、実質今回が初めてと言ってもいいかもしれない。

いやそれにしてもすごい。着いて早々、環状線の中で東南アジア系の人に声をかけられた。英語だったけど訛りがきつく、しかも詳しく説明したいらしくいろいろ言葉を重ねてくるのでますますわからなくなる。そこへすかさず初老のおっちゃんが私の隣に割り込んできて、「あんたらなんやねん?どっか行きたいねんか?Where you goねん?」と大阪弁ブロークン英語でまくしたてる。間に鋏まれた私は??状態であった。結局、この電車は天王寺に止まるのかを聞きたかっただけで、しょっぱなからまるでテレビで見た事あるようなコテコテの大阪人劇場を体験してしまった。


‥本題に行きましょう。大阪へやってきた目的の一つは、本日をもって大阪環状線弁天町駅に隣接した「交通科学博物館」が閉館すると聞き、まだ訪れたことがなかったのでこの機会にと思ったことと、桜の時期の関西も行ったことがなかったので、数日間の予定で出かけたワケです。

「交通科学博物館」は、かつて神田にあった「交通博物館」の姉妹館として昭和37年(1962年)に開館した。運営しているのは交通博物館と同じ交通文化振興財団(親会社はかつての国鉄→JR東日本→JR西日本)である。
交通博物館は、文字通り”交通”のための博物館で、親会社であった鉄道関係の他にも船や飛行機、自動車など乗り物系全般の展示を行っていた。

2006年に交通博物館が閉館し、展示されていた鉄道以外の展示物は借りていた物は返却し、残った物は大宮の鉄道博物館の所蔵物になった。しかし、大宮はあくまで鉄道の博物館なので、鉄道以外の所蔵物を展示する予定はなく、一部は交通科学博物館へ貸し出すこととなり、その中に”航空エンジン”があった。

交通科学博物館には交通博物館から来た航空エンジンがいくつか展示されているけれど、その一つが中島製の”誉(ハ-45)”エンジンだ。
誉エンジン‥大東亜決戦機と呼ばれた四式戦疾風(キ-84)に使われた大馬力高性能の陸軍機エンジンである。そう、言わなくてもわかりますね。かつて成増陸軍飛行場の飛行47戦隊に昭和20年初頭から配備された戦闘機だ。戦争末期には陸軍特攻機として使用され、現存機は知覧特攻記念館に展示されている。

知覧に展示されている機体は、エンジン部分がカバーされているので見ることができないが、交通科学博物館展示のエンジンは、中島飛行機工場の地中から発掘されたもので、エンジンそのものをじっくりと見られる。どこで発掘されたのか記載がないのでわからないが、エンジンは三鷹の中島工場で製作された。この三鷹の工場は、米軍の東京空襲目標の一番にエントリーされている。ドゥーリトル以来の、昭和19年11月24日から始まった東京空襲の最初の目標がこの工場で、以降、頻繁に空襲を受けた。

この工場への攻撃は、伊豆ルートと房総ルートがあり、いずれも成増飛行場の47戦隊が迎撃を受持ち、伊豆半島コース(富士山を目標に侵入し、富士上空で東方向に転向して三鷹を目指す)では八王子上空が警戒空域となっていた。我が板橋区におとされた爆弾も、三鷹工場で落とし損ねた爆弾によるものもあったようだ。

とまあそんなことで、誉エンジンとは交通博物館閉館以来、8年振りの再会であった。交通博物館には”整備の神様”といわれた元47戦隊の整備中隊長・刈谷中尉が寄贈した四式戦の高度計が収蔵されていて、閉館直前の特別展示では、誉エンジンの横に刈谷さんの高度計が並ぶという奇跡のコラボが実現した。

本日をもって交通科学博物館は閉館したけれど、2016年春、京都の梅小路蒸気機関車館に隣接した土地に、新しく「京都鉄道博物館」として生まれ変わる。運営はJR西日本の作る財団が行なうのだろうが、鉄道博物館とあるように、大宮と同じく、鉄道以外の展示を行なう予定は無いそうだ。科学館に展示されていた鉄道以外の資料は、借りている物は返却されるが、大宮の鉄道博物館が所蔵しているものは大宮に返されても展示の予定はないし、収蔵場所の問題もあるので対応に苦慮していると聞く。もちろん、誉エンジンも行き先は不明だ。

まっ個人的には、所沢の航空記念館に貸出しされるのが良いと思いますがねえ。所沢には成増飛行場編成の沖縄特攻振武隊・堀山隊長の飛行服も展示されているし。ちなみに一楽さんの飛行服はスミソニアン博物館に展示されていた‥っけかな。刈谷さんの高度計も現在は鉄道博物館に所蔵されているけど、二度と表に出ることはないんだろうなあ‥


交通科学館は別れを惜しむファンで大盛況だったけど、さすが交通博物館の姉妹館だけあって、交通博物館を彷彿とさせる雰囲気や景色がそこここに残り、初めて行ったのに懐かしかったですね。特に模型鉄道パノラマ展示は交通博物館とそっくりで、思わず感涙しちゃいました。。

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コメント

本HPを楽しく読ませていただいています。

第二次大戦日本機、とりわけ疾風が大好きです。1973年に里帰り飛行を見て以来虜になりました。

第244戦隊解説には良書がありますが、第47戦隊には何か在りますでしょうか?47戦隊に関するまとまった資料を読んでみたいと思います。

なお、誉エンジンや高度計の展示は入間基地資料館=修武台記念館も良いのではないでしょうか?ここは元陸軍飛行場です。少なからず縁はあると思いますが。

投稿: 飛行中年 | 2014年4月13日 (日) 22時38分

>>飛行中年さま

コメントをありがとうございます
残念ながら、飛行47戦隊について纏めた本はありません。結成初期の話は光文社NF文庫「あぁ隼戦闘隊」に詳しいですね。
一番資料が揃っているのは、成増飛行場のあった場所にある「光が丘図書館」の光が丘の歴史コーナーでしょう。私が刈谷さんに知遇を得た時には47戦隊史を作ろうと、元の隊員や関係者から資料や文章を集めておられましたが、ほどなく刈谷さんが亡くなり計画は頓挫しました。

修武台記念館には先年、刈谷さんが所持していた、新任の47戦隊空中勤務者の教育係で、皆から慕われていた粟村准尉が発明した射撃板(粟村准尉は特攻に反対し、B公は射撃で必ず落ちるとこの射撃板を作った/昭和20年1月、銚子上空で弾を撃ち尽くし、最後にB29の垂直尾翼に体当たりし散華)が御家族により寄贈されているので、そこも良いでしょうね。京浜地区で発見されたキ-44のエンジンもあったような?
鉄道博物館に眠る高度計は、よほど力のある人物が間に入らない限り譲渡は難しいでしょう。

投稿: オーク | 2014年4月14日 (月) 09時49分

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