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2013年12月

板橋区民、散歩する。

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気がついたら、12月も半ば近いじゃないか。

約一ヶ月も更新をサボっていたお詫びに、板橋区民とっておきのお散歩スポットでも書いてみよう。。


ということでスタートはすでに赤塚郷民御用達となった、徳丸七丁目の「はま寿司」からにしよう。今日からはま寿司ではマグロ大トロキャンペーンが始まった。一皿に一個だけど、本日はみなみマグロの大トロだ。油でつるつる滑って箸でつかめないくらいの大トロ。これで90円!!!‥ああ満足。腹一杯食べたので、腹ごなしに板橋区民の育った徳丸六丁目界隈をぶらぶらしてみた。

徳丸六丁目は、武蔵野台地の突端に位置し、荒川や前谷津川などに削り取られ舌状台地を形成している。だから坂が多い。
徳丸は遺跡が多く、ほぼ全域が埋蔵物包蔵地に指定されている。旧石器時代から現代まで、延々と人間が暮らし続けてきた絶好の土地なのだ。特に六丁目には遺跡が集中し、鎮守である北野神社も遺跡の上に建っている。

そんなことを頭に描きながら歩いてみよう。

六丁目は昭和40年代から始まった宅地造成が進み、今では住宅地と化している。大きいマンションの建つ所は、たいていが苗木を作っていたお宅の土地だ。北野神社の周辺は私の子供時代、畑もあまりなく、雑木林と荒れ地の続く寂しい場所だった。

昭和50年代初め、埋蔵文化財に関する新法律が施行され、遺跡の包蔵地として指定されている場所を開発する時には、発掘調査を行わなければならなくなった。法律施行以前に宅地開発されたいくつかの場所はすでに破壊されてしまったが、それでも残された土地は多く、あちこちで緊急発掘調査が行なわれていた。
私はその頃まったく遺跡の発掘調査に興味が無かったので、なにのんびり工事してるんだ。くらいの印象しか残っていない。

調査の終わった土地は住宅地と化してしまったが、それでも区民農園になったり、畑になったりしている所が今でもある。そんな場所を散歩の時に目をこらしてみてみよう。ほら、よく見ると地表に数千年前の弥生土器とか縄文土器の破片が出てるのを見る事ができる。写真は縄文土器片だ。いやまさか植木鉢の破片じゃん、なんてことはない。発掘調査の時に出た残土の中に紛れ込んでいた物が雨に洗われ、地表面に出てるのだ。拾い上げると面倒な事になるので、目視するだけにしよう。

六丁目には崖が多い。もともとは川の浸食で崖になったのだろうが、現在出てる面はほとんどが道路の拡幅工事の為に削られたものだ。そんな崖もお宝の宝庫だ。
昭和30年代の初め、東京大学の学者が徳丸に調査にやってきた。戦時中に防空壕を掘っていたら貝の化石が大量に出てきたので、金属供出されてしまった柄杓やお玉をこの貝で代用品として作っていたのをどこかから聞き込んでやってきたのだ。これは調査報告書が残っていて、私の手元にもある。

私も小学生時代、道路造成中の工事現場で遊んでいたら、下水道を掘っていた残土の中に大量の貝が混ざっているのを見つけたことがあった。早速家へ持ち帰り、菓子箱に脱脂綿を敷き詰めて標本にしていたが、母親にそんな汚いもんは捨てろといわれ、皆処分されてしまった。今、様々な収集したり、物を捨てられないのは、その時の悔しさの影響もあるのだろう。

写真の崖は、かつて化石堀りをして遊んだ場所だ。現在では、誰も近寄ろうとしないであろう何の変哲もないと言おうか、雑草の生い茂るばっちい場所にしか見えない。しか〜し、雑草をかき分けて入り込むと、壁面に粘土層が露出しているのがわかるだろう。掘ってみれば、貝の化石がまだ出てくるはずだ。ほとんどの人達は気がつかずに通り過ぎるだろうと思う。あの時代、ここで這いつくばって遊んでいた人間にしかわからない場所なのだ。


ということで、ちょっと思考を変えて散歩してみると、別な世界が見えてくるもんですぞ。


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クリスマスイヴなので、雑談をする。

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 きよしこの夜。

‥そういえば、古の昔、板橋区民が通った板橋イオン駐車場棟北東角にある「まきば幼稚園」は確かキリスト教を信奉する幼稚園で、この時期、演劇会が催され聖書の一場面を演じさせられたっけ‥

イヴの夜、外は冷たい風が吹いてますね。街には寄り添い歩くカップルが多くいるのだろうなあ‥。そんな中、当ブログに来ていただいた方々、雑談にでもお付き合い下さい。


先週でしたか、テレビの情報番組などで東北自動車道上り線の「羽生PA」に、池波正太郎の時代小説「鬼平犯科帳」をモチーフにした「鬼平江戸処」がオープンしたという話題が放送されていた。
 「鬼平江戸処」は、鬼平犯科帳の主人公、長谷川平蔵が活躍した1700年代後半から、その後に続く文化・文政年間(1804~29年)ごろの日本橋大通りの街並みを再現したテーマパークみたいな施設だ。小説に登場する軍鶏鍋や日本そば、江戸めし、江戸風中華そばなどが食べられるほか、鬼平にちなんだ土産物も販売していると言う。

羽生と鬼平、なんの関係が??とは野暮な質問らしい。テレビで関係者へのインタビューを見たけど、羽生は東北道の江戸への入口にあたるから‥がその理由らしい。???。

こまけえことはいいんだよ、ってことで、私も「鬼平犯科帳」は大好きで、ほとんど全巻を読んだと思う。
小説の中に、しばしば長谷川平蔵の従兄・三沢仙右衛門が登場する。仙右衛門は巣鴨村の大百姓という設定で、平蔵はこの従兄を訪ねたびたび巣鴨へ出かける。そのため中仙道が良く物語中に登場するので、たまに板橋宿や志村も登場する。板橋宿こそが江戸へ出入りするための第一の宿場なので、と書くとカッコ良いけど、ようするに江戸の場末の宿場なので、盗人宿や盗賊が潜んだりしているシチュエーションで描かれる場合が多いですね。
「鬼平犯科帳」はさいとうたかお氏の劇画でコミック版が何作も出ていて、板橋宿がビジュアルで登場する回があるのでそれが楽しみだ。

作者の池波正太郎氏は浅草生まれで、最初は根岸小学校に通っていたが、両親が離婚し母親に引き取られ、下谷の西町小学校に転入した。実は、私の父の姉は小学校の頃、池波氏の同級生だった。叔母はもう亡くなっているが、生前、池波氏のことを「池波正太郎はねえ、正ちゃん正ちゃんとみんなから呼ばれ、人気者だったのよ。」と語っていた。西町小学校はもう廃校になったけど、女優の天海裕希さんとか萩本欽ちゃんも卒業生だ。
手元に本がないので薄い記憶を頼りに書くけど、「白と黒」という話だったかの冒頭で、私の家の墓がある谷中の寺が登場していた。たしか盗人が逃げ込んだったかなあ、そんな話でもうれしいものですね。


で、次の雑談いきます。

昨夜、板橋イオンシネマで「永遠の0」を観てきた。一番大きな箱ふたつで上映してるのはすごい。三連休最終日のレイトショーだったけど、40人くらいは入っていたかな。

小説「永遠の0」は文庫本が300万部を越えた大ヒット作で、私も読んだことは当ブログにも書きましたね。映画版はほぼ原作に沿った作りだったけど、朝日新聞社が製作委員に名を連ねているせいか、主人公の姉の彼氏であるインテリ傲慢な新聞記者の話はバッサリカットされ存在しないことになっている。

ネタバレをしますが、戦闘シーンは少なめで、CGはなんだかスカスカな印象だったなあ。でも、ラバウル基地の再現性は素晴らしかったですね。やっぱり、実写だったからですかね。登場する若者達も当時の人に見えました。ラスト、宮部搭乗員が米空母に肉薄しているところで終わったのは良かったと思いました。あれで体当たりしてたら、ファンタジーになっちゃいますからね。「永遠の0」と出た所で観客から拍手が起こったのにはビックリしました。お金払っても観て惜しくない映画でした。

どこかで作者の百田氏が、自分はパッチワーク職人だ。と語ったのを見たけど、小説の中の戦闘や戦時中の話は、そのほとんどを今まで先人が世に出してきたインタビュー本からパク、いや参考にしている。
私がたまに訪れるアメブロの、写真家・ノンフィクション作家「神立尚紀(こうだち・なおき)」のブログ、の神立尚紀氏は、NPO法人・零戦の会の代表を務めておられ、元零戦搭乗員に関する取材ではNo.1だろう。
確か百田氏の「永遠の0」が出た頃、人の出版した本を平気な顔してパクりやがって、と激しく怒っていたと記憶している。一般的に、きちんと出典元を明記すればその著作の一部を引用することは盗作ではなく、許される範囲のことだが、金と時間と人脈を作り、命がけで書いた著作物を、いくら「参考にしたからね」と巻末に書かれたところで、やっぱり腹立たしいのだろうと思う。
ところが、この映画の戦時考証を神立尚紀氏がつとめておられ、最近の氏のブログにも、あの当時のことを伝えるのは、伝記や史実ではなく小説という形でもいいのかな、と思う。などと書いておられるのはどういう気持ちの変化なんだろう?さてさてどこで手打ちをしたのだろうか。

ちなみに神立尚紀氏は、氏を知る人から聞いたけど、我が赤塚郷の隣町に住んでおられるそうだ。


今、響12年を飲みながら雑談書いてますが、頭がポーッとしてきましたので今夜はこの辺で‥


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年末なので、雑談をする。

 ‥ああ、もう年末かあ。。

板橋区民も、昨夜は恵比寿で忘年会だった。もう閑散としているのかと思ったが、恵比寿も渋谷もすごい人出であった。アベノミクス、恐るべし。


と、何かとお酒を飲む機会の多いこの頃。テレビでは胃腸薬のCMが花盛りだ。
その中に、俳優の小栗旬クンが出演する大正漢方胃腸薬のCMがある。このCMは物語形式のシリーズとなっていて、現在流れているのは「走る男帰郷」篇というやつだ。

「やっべぇ遅刻だ!」列車から降りて走り出す小栗旬クン。
そのシーン、冒頭に一瞬、小栗旬クンを乗せた電車が駅に着く場面が映る。この電車に見覚えはないであろうか‥?そう、その電車こそ板橋区民ならば忘れもしないであろう、かつて都営三田線を走っていた、東京都交通局6000形車両だ。1968年(昭和43年)12月27日の都営地下鉄6号線(三田線)志村 - 巣鴨間開業と同時に運用を開始し、東京地下鉄、南北線・東急目黒線との相互乗り入れの開始に先立ち、1999年11月28日のさよなら運転を以て三田線での運用を終了した。後にその車両の一部は秩父鉄道、熊本電気鉄道、そしてインドネシア鉄道会社に譲渡され、現在も元気に走っている。

ではこのCMはどこで撮影されたものであろうか‥。”帰郷編”というからに、熊本か?と思うがさにあらず、秩父鉄道の三峰口駅らしい。(CMでは架空の駅名)
板橋区民としては、どうせならこの役、志村坂下出身の俳優”瑛太”クンに演じてもらいたかったですね。


さて、電車の話題ということでちょっと不名誉な話。

昨28日、川越市駅~霞ヶ関駅間、東武竹沢~男衾間でほぼ同時刻に続けて人身事故が起こった。これで今年の東上線の事故記録は30件を越えたらしい。以下が月ごとの記録。

1/13森林公園 1/21若葉 1/23上福岡~新河岸 1/27みずほ台
2/06新河岸~川越 2/20坂戸
3/12霞ケ関~鶴ケ島
4/14鶴ケ島 
5/22川越市~霞ケ関 5/27東武練馬 5/28下赤塚
6/04北池袋
7/11上福岡 7/17上板橋 7/23大山~中板橋
8/08川越市 08/20若葉
9/04みずほ台~鶴瀬 9/05上福岡~ふじみ野 9/05東武竹沢~男衾 9/08若葉~坂戸 9/20高坂~東松山
10/16大山 10/21霞ヶ関 10/21大山~中板橋
11/04川越市~霞ヶ関 11/19鶴瀬~ふじみ野
12/04鶴瀬~ふじみ野 12/20北坂戸 12/26大山~中板橋 12/28川越市~霞ヶ関 12/28東武竹沢~男衾

これでも昨年より4件少ないと言う。2位の京浜東北線を抜き、今年の人身事故発生日本一と不名誉な記録となってしまっている。中央線の事故の多さはもう昔の話となってしまった。。

まったくもって嘆かわしい記録だ。来年は東上線が開業して100周年の記念の年。こんな不名誉な記録が続かぬように願うばかりである‥


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