さらば、成増会。〜70年目の終幕〜
10月。砲術の秋ですね。いい季節です。。
本日10月3日は、1943年(昭和18年)、今からちょうど70年前に成増陸軍飛行場を根拠地とした帝都防空戦隊・飛行第47戦隊が発足した日だ。
この頃、成増飛行場は第2期工事(南北滑走路整地)が終了したばかりで、まだ基地としての機能が揃っておらず、戦隊は調布飛行場に間借りしていた。それまでの47中隊から昇格し、隊員も増員され飛行中隊は2個中隊から3個中隊(1中隊12機×3中隊=36機)となり、戦隊としての形式が整った。10月末、まず第2中隊が新装なった成増へ移動し、12月21日に戦隊全ての移動が完了した。
成増会は、戦後、第47戦隊と飛行場の管理をしていた第43飛行場大隊の有志が集まって結成された戦友会だ。いつから始まったのかは聞いていないけど、昭和50年代に撮影された写真を見たことがある。そのころは、地方でも戦友会が開催されていたようだ。(まん中の写真は昭和60年代の成増会)
会は、10年程前、長年会長を務めておられた刈谷元意氏(整備隊中隊長)の逝去をもって一度、正式に解散した。しかしその後も、成増会の解散を惜しむ有志が集い、戦隊が発足した日に、靖国神社への昇殿参拝を続けてきた。その頃から、板橋区民も末席に参加させていただいてきたのだ。
今年の夏、会の連絡役を勤めておられた白石氏(整備隊)から手紙が届き、そこには、ご本人が歩行困難になったこと、他の当時現役だった方々も90歳の卒寿を迎え、昇殿参拝に出ることが難しくなったので、もう昨年の参拝を最後に、今年は行なわないことにしたい、と書かれていた。意見を求める文面ではあったが、元の隊員や親族は別にして、興味本位から参加(関わりは、当時中学生・現在の高校生であった父親が勤労奉仕で飛行場整地作業に従事していたくらい)していた私が意見を述べることなどおこがましく、返事は保留していたが、9月に正式な文面をいただいた。
90歳という年齢は、日本人男性の平均寿命を越えており、身体的負担は相当なものだ。私の知る限り、足を悪くされていたり、耳が遠くなった方が多いようだ。しかし、整備隊だった高橋氏などは、まだまだお元気で、自転車で近所に買い物に出かけたりしている。堀山隊長に至っては、資料をpdfでメールに添付して送れ、なんてパソコンライフを十分に活用している強者もおられたりする。
戦時中、現役だった方々が年に一度、靖国神社に集まり、亡くなった戦友の慰霊を行い、その後は昔話に花を咲かせる‥そんな機会が永遠に失われたことは、いつかこの日が来ることはわかっていても、寂しいかぎりだ。私も、興味本位で参加させていただいていたが、兵や将校として日本の防空のために戦った方々の経験を、生でお聞き出来たことは貴重な時間だった。
今日は、せめて成増飛行場から近い赤塚郷の地から、靖国神社や光が丘に建つ碑に向い、亡くなられた方々の冥福を祈り、手をあわせることにしよう。
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