« チョー久しぶりに兎月園の写真でもUPするか。 | トップページ | さらば、成増会。〜70年目の終幕〜 »

板橋区民、感懐に浸りながら回転寿司を食べる。

8005063806432


 9月も終わりかぁ‥3ヶ月後は大晦日ですね。。

9月27日、板橋区民の故郷、赤塚郷徳丸8丁目に回転寿司チェーンの「はま寿司」がオープンした。かつて存在した番場坂の近くにある。
え?番場坂って何?、と思われるのは無理も無い。昭和の終わる頃に行なわれた四葉地区区画整理以前、松月院通りは、新大宮バイパスからマルエツ四葉店方面に進み、紅梅小学校から不動通りに抜けるのが本道で、現在のコメダ珈琲とかユニクロの前を通る道は存在しなかった。
番場坂は、かつて紅梅小脇近くから高島平へ抜ける一番大きな坂道で、今では無惨に切り刻まれ、往時の面影はない。

左から3番目の写真、「はま寿司」の店舗を過ぎた所にある信号が、松月院通りから下った番場坂が、高島平へ向い右へ急カーブする位置にあたる。
掲出のモノクロ写真(左側)は、1970年代後半に撮影したもので、見切れているが、「はま寿司」は右端の方向にある。現在の同じ場所と思われる所から撮って見たが、わかりますかね?右端のモノクロ写真は、「はま寿司」の先の信号のもうちょい先で写したものだ。どうでしょう?殺伐としてますでしょ。

板橋区民は高校3年生の頃、ブローニーカメラの「マミヤプレス」を手に入れた。マクドナルド、サンシャインシティインポートマート店のオープニングスタッフとして一生懸命バイトして買ったものだ。「マミヤプレス」は名前の通り、新聞社などが使う速写性に優れたレンズシャッター式のブローニーカメラで、フイルムバック交換で6X4.5や6X6や6X9の撮影が出来た。カメラを手に入れたのがうれしくて、現在も売っているけど、創刊されたばかりの「月間カメラマン」誌にマミヤプレスのインプレッションを投稿し、創刊2号に堂々掲載されたのも懐かしい想い出だ。この頃から文章力はあったんですよ。(単に投稿が少なくて採用された‥のかもですが)

で、早速カメラを試してみようと持ち出して撮ったのがこの写真だった‥と思う。殺伐とした徳丸側と、整然とした高島平の団地群との対比を撮りたかったようだ。(自分で撮影したけど動機がハッキリ思い出せない‥)

しかし、感慨深いなあ‥左端の写真の真ん中に写るマンション(ワールドマンション)は現在もある。今は左右にマンションが建ち赤塚公園も整備され、木々に遮られてまったく見えませんね。
何回か書いてるかもしれませんが、東西に長い赤塚公園は、高島平の工事とともに整備された。現在は樹木が生い茂る公園になっている。だがしかし、である。ジモピーに言わせれば、赤塚公園の林は人工的に植林された林であり、オリジナルの武蔵野の面影を残した植生の林ではないのだ。(ニリン草公園あたりは昔ながらの林が残っているけどね)

なんかね、高島平と同じで”まるごと宅地開発されちまった”感は拭えない。そりゃまあさ、あんな殺伐とした風景よりよほどマシにはなりましたけどね。しかし、子供の頃に親しんだ景色が変わるのは、センチメンタルな気持ちにならざるを得ないのですよ。


オープンしたばかりの「はま寿司」に入店し、さっそくお寿司を食べた。「はま寿司」は初めてだが、九州の醤油も置いてあったので、九州地方が発祥の店なんだろう。シャリも少し甘いように感じた。
いままで私が愛してやまなかった回転寿司屋は、和光市のスシロー(川越街道とオリンピック道路の交差点近く)一択だったけど、この「はま寿司」のネタはスシローと同等で、しかも平日は94円!!。10皿食べて1000円でおつりがくる!!。こりゃもう板橋区民御用達の店はこの「はま寿司」に変更せざるを得ない。

かつて”東京の満州”だの”板橋のチベット”だのと蔑称されたこの四葉徳丸地域で、回転寿司が食べられるような日がくるとは‥心にこみ上げる感慨を噛み締めながら、次の皿を取る板橋区民であった。。

|

« チョー久しぶりに兎月園の写真でもUPするか。 | トップページ | さらば、成増会。〜70年目の終幕〜 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 板橋区民、感懐に浸りながら回転寿司を食べる。:

« チョー久しぶりに兎月園の写真でもUPするか。 | トップページ | さらば、成増会。〜70年目の終幕〜 »