

お盆休みのシーズンですね。昨日は、非公式記録ながら大和町交差点の大気汚染観測所で外気温40.0℃を記録したとか。
そんなことで、もう暑さに耐えられず、長年住み慣れた板橋区からついに引っ越す決心をしまして‥ではもちろんないです。表出のポストカードは、高島平団地に引っ越してきた人達が、転居挨拶に使用したであろうハガキです。
高島平団地は、昨年、オープン40周年を迎え、様々な記念行事がおこなわれました。先月も、NHKの総合放送「探検バクモン」にて2週に渡り高島平団地が取り上げられてましたね。ちなみに、案内人の爆笑問題の太田サン(東上線沿線の上福岡出身)は大東文化大学の付属高校に通っていたので、高島平に詳しいらしい。(彼は高校時代は変人で通し、まったく友達がいなかったと公言しているので、あやしいですが。)
高島平の開発工事が始まった頃、私は、赤塚郷の丘の上にある小学校に入学し、基礎工事から完成するまでをリアルタイムで見てました。まず、大量の作業員を運ぶため、地下鉄・都営六号線の工事が一番最初に行なわれましたっけ。
当時、乗り物関係に異常な興味を示していた私は、何故、あんな何もない所に電車が通るのか?地下鉄なのに地上を走ってるのはどういうことだ?と母親に詰め寄った記憶がある。
団地建設は、とにかく基礎工事期間が長かった。徳丸田んぼ時代だった期間は以外と短く、昭和の初めくらいからだったかな、荒川の直線化や新河岸川が開削されるまでは、ただの荒川の氾濫原として荒れ地の状態だったらしい。地盤が緩かったので、何メートルも土を盛ったり、コンクリを流し込んだり、長い基礎材を打ち込む作業が何年も続いた。私の小学校時代の想い出は、基礎を地面に打ち込むパコーンパコーンと言う音とセットになっているのです。
‥話が想い出に流れてしまった。えっと、そのNHKの番組を見てて、おやっ?と思ったのですよ。
番組では、2012年に有志により結成された「高島平観光協会(仮)ー(仮)までついて、正式名称」のお姉様方が、爆笑問題のお二方のナビゲートをしました。観光協会(仮)は、「高島平を訪れる人を増やしたい」「高島平に住みたいと思う人を増やしたい」「高島平に住んでいる人が楽しめることを増やしたい」「そのためにも、高島平地域の魅力を広く発信していきたい」が発足のコンセプトだそうです。
お姉様方と団地オタクの青年が加わり、団地内を歩きます。途中、自転車整理に励む謎のヒーローも出てきましたね。公園の小山で遊んだり、高島平団地の撮影スポットの紹介や、高島平団地新聞の事務所で昔話を聞いたり、開業当時の部屋を再現した一画を見たりして一週目は終わり。第2週目は、団地の問題や将来の展開についてを扱っていました。積極的に受け入れている外国人留学生の部屋を訪れたり、団地内に数カ所もうけられているコミュニティカフェ・グリーンの活動を紹介してました。
番組では大きく紹介されていなかったけど、これらはすべて大東文化大学が深く関わっている。2011年11月に「日本縦断住まい総合情報ブログ」でUPされた記事を引用させていただく。
「発端は、地元のタウン紙「高島平新聞」が行なった空室調整だった。七年前、毎月、新聞を配布するたびに残部数が増えるのを不審に思った代表が、スタッフと目算で調べると五〇〇戸以上が空いていた。空洞化への危機感が募った。翌年、地域の研究会で代表と大東大環境創造学部の前教授が出会い、コラボレーションが決まった。前教授は、その後大学を退任。「LLC環境創造カンパニー」に移って高島平再生プロジェクトを統括している。前教授は「街の生き残りが、プロジェクトにかかっている」と熱弁をふるう。「リーマンショック後の経済停滞が続いていますが、日本の運命を本質的に決めるのは少子高齢化。それによる財政破綻です。僕は団塊の世代ですが、日本の行く末が気になって仕方ない。むき出しの資本主義を批判できる市民社会の軸をつくらないと取り返しがつかなくなる。都市共同体のコミューンが実在するスウェーデンのような国なら、地域通貨もいらないでしょうが、日本は違う。市民社会の仕掛けを人為的に設けねばなりません。団地は人間関係も複雑でやりにくい面もあるけれど、学生のバイタリティに期待したい」プロジェクトでは、毎月、学生と団地住人が顔を合わせ、議論を重ねた。前教授のもとで地域通貨の決済システムを構築した男子学生は、IT企業に就職した。親元を離れ、自主的に高島平団地で暮らしている。「団地に引っ越して、すぐ上階、下階と左右両隣にタオルを持って挨拶に行きました。だけど、渡せたのは一軒だけです。簡単じゃないけど、後悔はしていません。代表さんたちと語り合っているうちにここが『新しいふるさと』のような気がしてきて、移り住みました。父が転勤族で全国を転々として、地元って呼べるところはなかった。高島平ってディープな店もあって、懐が深い。後輩の相談にも乗っています」
その後、「高島平再生プロジェクト」は、2012年から「みらいネット高島平」に移行して活動をしている。
「みらいネット高島平」規約
(事業の目的)
第1条
みらいネット高島平(以下、本事業)は、高島平住民、大東文化大学の学生、教職員による高島平地域のための協働のコミュニティー活動および学び合いの場である。こ の活動は、学生と地域住民が接する機会をもちながら地域社会の形成者として主体的な資質を養うとともに、相互の信頼向上を図りながら、高島平地域の活性化に寄与するために ある。
(本事業の構成員)
第2条
本事業の構成員は、高島平の在住・在勤者、大東文化大学の学生ならびに同教職 員とし、本事業の目的のために活動する者とする。 2 前項に該当する地域・大学以外の者で、他の構成員が必要と認める場合には、構成員となることができる。
(活動と活動拠点)
第3条
本規約第1条における目的を遂行するための、本事業の主たる活動拠点を東京都 板橋区高島平2-26-3に置く。
2 活動拠点の名称をカフェ・グリーン(以下、カフェ)とする。
3 カフェにおいて、以下の活動を行う。
一 学び合い・カルチャー教室の開催
二 イベントの開催
三 メディアによる情報発信
四 その他の教育・研究活動4 カフェの使用規則は別途これを定める。
‥おやっ?と思ったのは、実はこのプロジェクト、こんな裏歴史があったのだ。
私が高島平の再生プロジェクトのことを知ったのは、2007年くらいだったかな。確か読売新聞だった。調べてみると、2006年10月に毎日新聞に取り上げられたのが、大手マスコミに紹介された初出だった。それから2009年にかけて、このプロジェクトはNHKなど様々なマスコミで取り上げられる。
私のこのプロジェクトに対する第一印象は、「うさんくさい。」だった。当時関心を持って調べてみたけど、大学の学部教授が自分の研究目的のために高島平団地に目をつけ、住民や学生を取り込んで利用してみただけ、のようにしか思えなかった。そして、私はまったく関心を失い、もうその話題は追わなくなった。
で、2010年12月24日。このプロジェクトを立ち上げた学部教授は、業務上横領や詐欺などの疑いがあるとして、高島平警察署に告訴され、大々的に新聞に載る事になった。
そもそも話の発端は2001年、大東文化大学に環境創造学部が新設された事から始まる。ま、そこにAという教授とBという教授がいまして、学部長席をめぐり激しい派閥争いが起こる訳ですな。Aは学部創立当時から予算の管理をしてました。
環境創造学部は2004年、高島平再生プロジェクトを発案し、積極的にマスコミに宣伝し、派手に宣伝したわけです。ちょうど少子高齢化や団地の過疎化が問題になっていた時期で、多くのマスコミに取り上げられる事になった。環境創造学部は、この活動をベースに教育プログラムを作成、2007年に文部科学省に申請したところ、現代GP(2007(平成19)年度「現代的教育ニーズ取組支援プログラム」の「地域活性化への貢献」(地元型)部門)で採択された。文科省から5000万円もの予算をもぎ取り、コミュニティカフェの運営や高島平団地への学生入居などの具体的な活動が始まったんですね。
で、2008年からこのプロジェクトを推進するA教授とB教授の、覇権をかけたどす黒い争いが表面化してきた。そして、学部や大学を巻き込む激しい争いに敗れたB教授は、2009年に退職。しかし、不透明な文科省予算執行に対する訴えがお上に受理され、2010年2月、A教授による不正請求事件が発覚。A教授は高島平警察署に告訴される。
同年8月、争いはさらにエスカレートし、「週間ポスト」に大学長のスキャンダルが暴露され、学長が電撃辞任する事態となった。事件の根は深く、教授会によりA教授はふたたび環境創造学部学部長に再任されるが、決定的な証拠が出て就任一ヶ月後に解雇。2011年6月1日にA教授は、警視庁捜査二課、高島平署に逮捕される。
捜査の結果、A教授は07年以降、キャンプで余った約60万円を学生に返還しなかったほか、物品購入の領収書を偽造して約400万円を得ていたとしている。さらに、09年の海外出張がカラ出張だったといい、200万円を不正請求したとしている。あきれたことにこのスペイン出張、愛人を同伴し、その経費まで請求していたらしい。結局、このA教授は総額2000万円に上る横領を行なっていたそうだ。
一連の不正を告発したB元教授は、2011年まで「高島平再生プロジェクト」を引継いでいたが、やり過ぎたのか大東文化大学側から疎まれたのか喧嘩両成敗なのか(強引傲慢なやり口に、高島平の住人達から不信任を突きつけられたとの話もある)、A教授逮捕と同じ月に突然「高島平再生プロジェクト」から手を引くことになる。
ま、そして翌年、「みらいネット高島平」に継承され今に繋がる‥という流れなのですよ。
部外者には真相はわからないけど、「高島平を再生してやる!」とりっぱな御託を並べてプロジェクトを立ち上げたのは、自分の出世と学会での名誉が目的であり、かつ、自分の裁量で使う事の出来る予算を横領する(国民の税金ですよ)という、最悪な結果を辿ることになったことは違いない。尚、この事件に関する大東文化大学学長名の謝罪文は大学HPで公開されているし、ネット上で当事者達がUPしているレポートも含めて調べることが出来ます。
‥そんな事件もありましたが、現在の「みらいネット高島平」は、NHKの番組で紹介されたように「高島平観光協会(仮)」などの協力により新しく再生し、地域コミュニティとしての重要な役割を担ってます。運営するカフェ・グリーンでも、さまざまな教室が大東文化大学の留学生の方々などの協力を得て、盛況のようです。大東文化大学が、この事業を潰さなかったのは良かったですね。反面、予算が極端に少なくなったため、運営は大変だろうと推察します。ますます、高島平を愛するボランティアの方々の協力が重要になるのでしょう。
そうそう、私はこの事業が始まった時、「うさんくさい」と思ったのですが、それは、この事業を推進する側に、”愛”を感じられなかったからなんですよ。でも、「高島平観光協会(仮)」の方々からは”高島平愛”を感じましたので、応援をしたいものです。
*‥本日の記事は昨日観たTBSドラマ、「半沢直樹」に触発されたもので、酷暑の後遺症もあり、記事中に誇大な表現や、筆の走った部分があるかもしれません。先にお詫び申し上げます。。
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