
暑中お見舞い申し上げます。
みなさま方、蒸し暑い板橋の夏、お体の調子はいかがですか?不肖、私めは八重山島嶼周遊後、体調も変わりはなかったのですが、先週末、突如、昨年秋に襲われたような体調不良に遭い、数日間うんうん寝込んでしまいました。大好きな枝豆に島嶼で購入した塩をかけて食べ続け、急性高血圧症にでもなったのかと思いましたが、その後血圧の計測しても旅行前と変わらなかったので関係はないようですね。昨年と同じ、原因不明の病でした。。(原因を見つけるには入院して検査と経過観察するしかないようで、現実には無理っす。)
さて、私がうんうん唸っている頃、我が板橋区ではいろいろ事件が起こっていました。一つは19日に我が赤塚郷にて連続の斬りつけ魔事件、もう一つは21日に投票が行なわれた参議院議員選挙の開票トラブル。
その後、赤塚郷連続切りつけ魔事件は、被害者である小学生と中学生(面識はない)の虚言と判明しました。どちらが答えたのかはわかりませんが「親に構ってもらいたかったから」が理由だそうで、なんだそりゃ。の幕引きでした。事件の起こった日が公立学校の終業式の日なので、大方成績が悪くて通信簿を見せたくないがための虚言なんじゃないの?と思ったけど、我が故郷赤塚郷で起った事、せっかく成績が良かったのに親がほめてくれなくてやってしまった。と言う事にしておこう。
二つ目の開票トラブルはこんな事件だ。
「東京都板橋区で21日午後8時50分から始まった参院選東京選挙区の開票作業が大幅に遅れ、約15時間経過した22日正午すぎ、ようやく終了した。候補者の得票の束に別の候補者の票が混入しているのが見つかり、その後、立会人が票を念入りに点検したため。開票終了は全国で最も遅く、区の職員らはぐったりとした様子だった。
区選挙管理委員会によると、21日午後11時ごろ、無所属候補の票の束を点検していた立会人が、共産党候補の名前が書かれた投票用紙1枚が混ざっているのを見つけた。
約1時間後にも同様のケースがあり、10人の立会人が順番に、間違いがないか一枚一枚の票を手作業で確認することになった。
票の仕分けには自動読み取り機を使用。区選管の担当者は、どの段階で混ざったか不明とした上で「機械や、仕分けた後の票の点検に問題がなかったか、検証しなければならない」と話した。
区選管の松田玲子事務局長は「信頼を損なう事態を起こし、反省している。大変時間がかかってしまい申し訳ない」と話した。(スポニチ)
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2013/07/22/kiji/K20130722006270090.html
この事件、良く言えば実に民主主義の守られた公平なる開票作業、だ。なので批判はしない。しかし善良な板橋区民として文句は言いたい。
今回の選挙から、初めて候補者がネットを使っての選挙運動が許されたそうで、いまだにテレビ番組でネット選挙特集が放映されている。だったらさ、早くネット投票の技術を確立しろよと思う。選挙には莫大な税金が使われる。そしてその経費の大半を占めるのが人件費だ。開票終了が全国で最も遅く、ぐったりとした区の職員の方々はお疲れさまだが、タダで残業させているわけではない。この生真面目で民主主義にのっとった素晴らしい開票作業により、どれだけ私の税金が使われたことかと思うと、寝込んでしまうほどだ。朦朧とした意識の中で思わず、で、それが選挙結果にどう影響したんだ?と民主主義様に対して唾を吐くような恐ろしいことが浮かんでしまった。これも体調不良のせいです。スミマセン。
以上、私的文句ばかりで表題とまったく違う話をしてましたので、本題へ。これも最近のニュースです。
「竜馬の血判を発見=砲術入門時の起請文で-高知」
高知県立坂本竜馬記念館(高知市)は24日、竜馬の血判や直筆の署名などが記された文書が見つかったと発表した。
入門していた高島流の砲術家徳弘孝蔵への「起請文」で、記念館によると、竜馬の血判が確認されたのは初めてという。
起請文は、行いにうそや偽りのないことを神仏に宣誓する文書。この書で竜馬は、入門後に学んだことを外部に漏らさないことや、新しい流派をつくらないことを誓約している。
「高島流砲術入門誓書一巻」と書かれた箱に入った起請文は、幅約19センチ、長さ約13メートルの巻物。竜馬が同砲術へ入門した安政6(1859)年9月のもので、直筆とみられる署名の上に血判が押されている。巻物には竜馬の他、幕末に尊王攘夷運動を行った土佐勤王党の武市半平太や岡田以蔵ら、216人分の名前も記されている。西洋砲術を取り入れた「高島流砲術」を習得し、土佐藩の砲術指南となった徳弘のもとに、1842年(天保13年)から63年(文久3年)に入門した216人の署名と血判が年代順に並ぶ。
巻物は高知市にあった徳弘家がかつて保管していたが、この数十年間、行方が分からなくなっていた。同家ゆかりの個人がこのほど、記念館に所在を申し出たという。
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2013072400794&p=0130724at60&rel=pv
ああ、スッキリした。前から坂本龍馬が高島流砲術を学んでいた事は聞いていたけど、その根拠について調べると、どうもよくわからなかったけど、そういうわけだったんですね。憶測だが、秋帆先生の幽閉蟄居が解かれ、名誉回復して以降、再び認められた高島流を土佐藩士達がマスターした後、その中から武市半平太が首領となって「土佐勤王党」が結成されたのだろう。砲術は、武術としては一段下にみられていたので、郷士が中心となって習っていたのもうなずける。
すごいぞ、高島流砲術!
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