« 2013年6月 | トップページ | 2013年8月 »

2013年7月

板橋区民、遥かなる八重山諸島を巡る。〜西表島編〜

P7010161P7010209P7010166_2

 東京は天気がいまいちなんすかね?

板橋区民は拠点を石垣島から西表島に移しました。本日の宿泊所は、泡盛飲み放題サービスがついておりまして、すでに酩酊状態です。。


西表島は大きな島で、板橋区民の宿泊場所は上原地区といってもピントこないかもですが、尖閣諸島側の港の方です。対面が大原地区で、波照間島に近いです。尖閣諸島といえば、海上保安庁の警備艇が何隻も石垣島の港に停泊しておりましたね。連日の激務、ご苦労様です。

きょうは星砂海岸でシュノーケリングしてみました。なかなか奇麗な所でしたが、魚が小粒で、ちょい残念でした。あ、でも星の砂はすぐ見つかるくらいの砂浜でしたよ。有名な竹富島の星の砂海岸では、ほとんど見つからなかったので、西表島のほうが採集するのはいいですね。

島内は、まだほとんど廻っていないので特に感想はないのですが、この島も人が優しい印象をもちました。


なんだかつまんない報告ばかりですまないです。明日は‥期待してください!


| | コメント (0) | トラックバック (0)

板橋区民、遥かなる八重山諸島を巡る。〜バラス島&鳩間島編〜

P7020361P7020219P7020272P7020356

 八重山諸島は完全無欠の夏空です。

今日は西表島からツアー船で10分くらいの所にあるバラス島と、そこからさらに10分の鳩間島へ行ってきました。

バラス島は珊瑚の骨で出来た小さな無人の島で、周辺の海底は珊瑚でびっしり。その珊瑚の林を本場物の熱帯魚がわんさかわんさかと泳ぐ‥まるで竜宮城とはこのことかっ!と感動するほどの海中景色ではありませんか。

(‥もうおわかりかと思いますが、この項を書きはじめてから泡盛を飲んでおりまして、早くも酔いが回ってまいりました。。)

比較対象が昨年の父島しかないですが、確かに八重山の海の方が、暖かく遠浅のリーフが続くので、珊瑚も熱帯魚の量も圧倒的ですね。そのかわり父島はイルカとかホイールウオッチングを楽しむことができます。

鳩間島は有人の島ですが、とても小じんまりしていて、のんびりまったりするにはもってこいの島です。驚いたことに小中学校まであるのですよ。(生徒数は合わせて10人くらい)
あ、のんびりまったりと書いてしまいましたが、日差しが殺人的に強くて蒸し熱いっすからね。
島内をのんびり歩いていると、たまにすれ違う人が、必ず挨拶をかわしてきます。なんだか山に登ってる感じです。毎度書いてますが、ここにはまって移り住む人がいるということがよくわかります。

‥私も板橋区の支店でも作って移り住もうかなあ‥なんて。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

板橋区民、遥かなる八重山諸島を巡る。〜西表島編2〜

P7030386_2P7030425P7030452

 東京は、と言うより沖縄を除く日本は天気の悪い日が続きますね。すみません。て、私が謝ることもないんすけどね。せめて素晴らしい西表島の朝焼け風景をプレゼントします。


今日は午前中にレンタカーで島内を回ってみることに。途中、水牛車で海を渡り(遠浅なんで潮が引くと歩いてもわたれます)由布島へ行きました。海を渡る水牛車の風景はのんびりゆったりして良いもんです。
由布島は、昭和50年くらいまで人が住んでいて学校もありましたが、台風による高潮で島民が石垣島へ移住してしまい、いまは植物園に姿を変えています。

西表島は大きい島だけど、そんなに都会化していなくて、大きな田舎の島といった佇まいです。風景も他の島とは違った印象がありますね。午後はカヌーでマーレー河を漕ぎ、ピナイサーラの滝が見渡せる地点まで行きました。河の両端はマングローブの林が続き、なんだかアマゾン河流域を旅するような風情ですね。

川は汽水と言うんでしたっけ、ボラとか海の魚や川の魚が一緒に泳ぐ摩訶不思議な感じです。川浜ではシオマネキが腕を振っていたり、オコゼがピョンピョン飛び跳ねていたり、う〜ん、”自然なディズニーランド”ってな感じでした。カヌーは去年、父島で鍛えただけあってバッチリでしたよ。


さて、明日はまた拠点を移動します。どこへ行くことやら。。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

板橋区民、遥かなる八重山諸島を巡る。〜波照間島編〜

P7040504P7040516P7040531

 板橋方面は相変わらずですか?八重山は今日も快晴っす。

板橋区民は西表島から拠点を移し、日本最南端の有人島、波照間島にやってきました。

いや〜船がはんぱなかったっす。西表からわずか35分の船路ですが、もうドカンドカンと波に乗りまくり。ジェットコースターにずっと乗ってる感じでした。これでも穏やかな方で、ひどい時は天井に頭ぶつけるくらい揺れることもあるんだとか。

苦行に耐えぬき上陸した波照間島はまたのんびりした島ですね。とりあえず原チャリ借りて日本最南端の碑を見学しに。学生が作って寄贈した碑がひっそり建ってました。

波照間島には西浜という日本で一番美しいと言われる浜辺があるのですが、いままでさんざん奇麗な海を見てきたので、おいおい、どうせ宣伝ばっかでそんな変わんねえだろ?と思いつつ西浜へ着くと・・うそっ!と絶句したまま目からうろこが落ちました。いや美しい。凄い。いままで見てきた海はなんだったのか‥と脱帽しちゃいましたよ。

ただ残念ながら浜に出た時間が午後2時頃で、午前〜昼の方が光が良いのでまた撮影の再チャレンジをしてみますね。
しかし、のんびりした島なのはいいんすけど、外食する店がほとんどない!特に夜は困ったもんだ。いや〜結局小さな商店で買った弁当で済ますはめに。。と書くと侘しいですが、満天の星空の下で心地よい風に吹かれながらの食事は最高でした。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

板橋区民、遥かなる八重山諸島を巡る。〜石垣島に戻る〜

P7040502_3

 板橋区も今日は暑かったと聞きました。


いや〜参りましたよ。波照間島にいたのですが、波が高くて船が欠航しそうで、今後の予定に響くといけないから早々に石垣島へ戻りました。他の離島便はあまり欠航はないのですが、波照間航路だけは事故が起こった(船が上下に激しく撥ねるので、骨折者が出た)ので、ちょっと波が高いと欠航してしまうそうです。離島の旅はいろいろアクシデントが起こりがちなので大変です。即断即決を求められますね。


てなことで今日はほとんど写真が撮れなかったので、昨日撮った波照間島西浜のパノラマ写真を貼付けます。ホント奇麗なビーチでした!


| | コメント (0) | トラックバック (0)

板橋区民、遥かなる八重山諸島を巡る。〜マンタと戯れる編〜

P7060637P7060628_7P7060733

 板橋区は猛暑だったようですね。梅雨明けしたんですか?

板橋区民、感激しましたよ。石垣島の川平近くにマンタスポットとして有名なポイントがありまして、そこで生まれて初めて天然状態のマンタさんに出会うことができました。今日はなんと5枚(そんな数え方かたすんのかよ!)ものマンタさんが現れ、板橋区民の前で優雅な舞を魅せてくれました。

なぜこのポイントに集中して現れるのかはわかっていないそうですが、一説には背面を掃除してくれる魚がいるかららしい。見ると中には背面に長い魚がくっついているマンタさんがいたりします。数匹が集まってくるくる回転したり、いや〜いつまでも飽きずに眺めていられますね。


で、いま板橋区民は再び拠点を移動し、日本最西端の有人島である与那国島に滞在しております。昨日心配していた通り、今日は波照間島ー石垣島航路が波が高く夕方の便だけの運行で、予定通り波照間島でもう一泊していたら飛行機の時間に間に合わず、与那国島に移動できなかったので、本当にラッキーなことでした。

さ、明日からは与那国島を本格的に探訪しよう。わくわく。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

板橋区民、遥かなる八重山諸島を巡る。〜与那国島編〜

P7070750_2P7070762P7070758P7070795P7070810Dsc_1903


 板橋区は猛暑日だとか、大変っすね。こっちは同じ暑いでも日差しが強烈でクラクラじゃなくグラグラですわ。


そんなことで板橋区民は日本最西端の有人島、与那国島に滞在してるのです。もうほとんど台湾の領域ですな。
この島も、他の八重山諸島と比べると違いを感じますね。もうさ、いきなり自衛隊歓迎派と反対派のせめぎ合いの凄いこと。集落中に賛成反対の横断幕が張り巡らされてます。ここの町長は確か自衛隊の駐屯に関して全国紙に載るようなことをしてましたっけ。

今週末、与那国島を舞台として国際カジキ釣り大会が開かれていて、最終日の今日は漁港で、豪快なカジキの丸焼きが地元の人観光客の人々に振る舞われました。(でも国際大会と銘打っても外国の参加者は見当たらず、松方弘樹がいるわけでもなく‥な大会でした。。)
会場には様々な露天が出て島の老若男女、とくに子供達がたくさんいてそれは賑やかでした。昼間の時間なんて人っ子一人歩いてないんすから、いったいどこからこんなに人がといった感じです。

与那国島のドメスティックな方々が集まるとそれは壮観です。飲めや歌えやゆんたくの世界。人々の風貌も独特なものがありますね。

島の景観は見事な物で、しばしばドラマやCMのロケ地として使われるのが納得いきます。とくに”与那国馬”と呼ばれるお馬さんが有名で、牧場エリアでは国道を堂々とお馬さんが散歩していたりしてます。でもそこらじゅうに馬糞しちゃいますので、原チャリで飛ばしているとグチャグチャ踏んで大変です、、

左上から二番目の家、どこかで見覚えありませんか?そう、もうずっと前に放映されていたドラマ「Dr.コトー診療所」のロケで使われた建物です、北海道にはいまだにドラマ「北の国から」のロケ遺物が残されてますが、北と西の端っこの方に同じようにあるのが面白いですね。

最後の写真は、日本最西端に沈む日本国内最後の夕焼け風景です。
おっと、そうだ今夜は七夕でしたね。さっき撮ったばかりの夏の大三角形、織姫&彦星の写真をUPしちゃいます。残念ながら天の川までは写りませんでしたね。(肉眼では見えるのですが‥)与那国島は満天の星空で、それはそれは美しいですぞ。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

板橋区民、遥かなる八重山諸島を巡る。〜与那国島を駈ける編〜

P7080891P7080972P7081020P7081005

 板橋区は猛暑と雷雨ですか?夏本番ですね。


うむ。今夜は泡盛パーティーで酔っぱらって帰着しましたので、文章は短めで。

今日の板橋区民は、Dr.コトー診療所前の浜でニモの撮影したり、夕方から与那国馬に乗って島内を回りました。もうね、すんごい自然の風景の連続で、感動しました。特に雲がすごいです。

八重山諸島は、島ごとに特色があり、リピーターが多いのも納得ですね。


以上。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

☆行方不明文書発見!☆高島流砲術と坂本龍馬と武市半平太と岡田以蔵。

Photo

 暑中お見舞い申し上げます。

みなさま方、蒸し暑い板橋の夏、お体の調子はいかがですか?不肖、私めは八重山島嶼周遊後、体調も変わりはなかったのですが、先週末、突如、昨年秋に襲われたような体調不良に遭い、数日間うんうん寝込んでしまいました。大好きな枝豆に島嶼で購入した塩をかけて食べ続け、急性高血圧症にでもなったのかと思いましたが、その後血圧の計測しても旅行前と変わらなかったので関係はないようですね。昨年と同じ、原因不明の病でした。。(原因を見つけるには入院して検査と経過観察するしかないようで、現実には無理っす。)

さて、私がうんうん唸っている頃、我が板橋区ではいろいろ事件が起こっていました。一つは19日に我が赤塚郷にて連続の斬りつけ魔事件、もう一つは21日に投票が行なわれた参議院議員選挙の開票トラブル。

その後、赤塚郷連続切りつけ魔事件は、被害者である小学生と中学生(面識はない)の虚言と判明しました。どちらが答えたのかはわかりませんが「親に構ってもらいたかったから」が理由だそうで、なんだそりゃ。の幕引きでした。事件の起こった日が公立学校の終業式の日なので、大方成績が悪くて通信簿を見せたくないがための虚言なんじゃないの?と思ったけど、我が故郷赤塚郷で起った事、せっかく成績が良かったのに親がほめてくれなくてやってしまった。と言う事にしておこう。


二つ目の開票トラブルはこんな事件だ。

「東京都板橋区で21日午後8時50分から始まった参院選東京選挙区の開票作業が大幅に遅れ、約15時間経過した22日正午すぎ、ようやく終了した。候補者の得票の束に別の候補者の票が混入しているのが見つかり、その後、立会人が票を念入りに点検したため。開票終了は全国で最も遅く、区の職員らはぐったりとした様子だった。
区選挙管理委員会によると、21日午後11時ごろ、無所属候補の票の束を点検していた立会人が、共産党候補の名前が書かれた投票用紙1枚が混ざっているのを見つけた。
約1時間後にも同様のケースがあり、10人の立会人が順番に、間違いがないか一枚一枚の票を手作業で確認することになった。
票の仕分けには自動読み取り機を使用。区選管の担当者は、どの段階で混ざったか不明とした上で「機械や、仕分けた後の票の点検に問題がなかったか、検証しなければならない」と話した。

 区選管の松田玲子事務局長は「信頼を損なう事態を起こし、反省している。大変時間がかかってしまい申し訳ない」と話した。(スポニチ)
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2013/07/22/kiji/K20130722006270090.html

この事件、良く言えば実に民主主義の守られた公平なる開票作業、だ。なので批判はしない。しかし善良な板橋区民として文句は言いたい。

今回の選挙から、初めて候補者がネットを使っての選挙運動が許されたそうで、いまだにテレビ番組でネット選挙特集が放映されている。だったらさ、早くネット投票の技術を確立しろよと思う。選挙には莫大な税金が使われる。そしてその経費の大半を占めるのが人件費だ。開票終了が全国で最も遅く、ぐったりとした区の職員の方々はお疲れさまだが、タダで残業させているわけではない。この生真面目で民主主義にのっとった素晴らしい開票作業により、どれだけ私の税金が使われたことかと思うと、寝込んでしまうほどだ。朦朧とした意識の中で思わず、で、それが選挙結果にどう影響したんだ?と民主主義様に対して唾を吐くような恐ろしいことが浮かんでしまった。これも体調不良のせいです。スミマセン。


以上、私的文句ばかりで表題とまったく違う話をしてましたので、本題へ。これも最近のニュースです。

「竜馬の血判を発見=砲術入門時の起請文で-高知」

高知県立坂本竜馬記念館(高知市)は24日、竜馬の血判や直筆の署名などが記された文書が見つかったと発表した。
入門していた高島流の砲術家徳弘孝蔵への「起請文」で、記念館によると、竜馬の血判が確認されたのは初めてという。
起請文は、行いにうそや偽りのないことを神仏に宣誓する文書。この書で竜馬は、入門後に学んだことを外部に漏らさないことや、新しい流派をつくらないことを誓約している。

「高島流砲術入門誓書一巻」と書かれた箱に入った起請文は、幅約19センチ、長さ約13メートルの巻物。竜馬が同砲術へ入門した安政6(1859)年9月のもので、直筆とみられる署名の上に血判が押されている。巻物には竜馬の他、幕末に尊王攘夷運動を行った土佐勤王党の武市半平太や岡田以蔵ら、216人分の名前も記されている。西洋砲術を取り入れた「高島流砲術」を習得し、土佐藩の砲術指南となった徳弘のもとに、1842年(天保13年)から63年(文久3年)に入門した216人の署名と血判が年代順に並ぶ。

巻物は高知市にあった徳弘家がかつて保管していたが、この数十年間、行方が分からなくなっていた。同家ゆかりの個人がこのほど、記念館に所在を申し出たという。

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2013072400794&p=0130724at60&rel=pv


ああ、スッキリした。前から坂本龍馬が高島流砲術を学んでいた事は聞いていたけど、その根拠について調べると、どうもよくわからなかったけど、そういうわけだったんですね。憶測だが、秋帆先生の幽閉蟄居が解かれ、名誉回復して以降、再び認められた高島流を土佐藩士達がマスターした後、その中から武市半平太が首領となって「土佐勤王党」が結成されたのだろう。砲術は、武術としては一段下にみられていたので、郷士が中心となって習っていたのもうなずける。

すごいぞ、高島流砲術!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

成増陸軍飛行場秘話10 〜昭和20年7月28日の悲劇〜

PhotoPhoto_2Photo_3

 宮崎駿監督の新作アニメ映画「風立ちぬ」が先週末に公開されましたね。板橋区民も板橋イオンシネマで公開初日のレイトショーで観ました。最終回なのに、あの大きな8番スクリーンの箱が満員で驚きました。

で、感想は‥というと、正直‥う〜ん、、え?こんなの?という感じでした。荒井由美(松任谷由実)の名曲「飛行機雲」のエンディングのかかり方も、CMのほうが出来が良過ぎ?な感じで、終焉時間が遅いからかもしれませんが途中で退席する人も多く、照明が明るくなった段階で出口には人が詰まってました。

ま、平和が第一と考えるけど兵器好き、という監督が、世界公開に向けいろいろ配慮しまくって製作した作品なのでしかたないのかもしれませんけどね。零戦なんて最後の1分くらいしか出てこないし。


零戦つながりですが、先週、ようやく百田尚樹氏の小説「永遠のゼロ」を読みました。こちらはとても面白かったです。簡単に解説すると、主人公の本当の祖父が零戦乗りで、姉とともに祖父の足跡を辿る、という話で(こう書いちゃうとよくある小説なんだけど)、たくさんの戦記を調査したであろう史実部分と、創作部分が絶妙の案配で構成されていて、零戦や戦争の話がわからなかった人にも十分に伝わる内容だ。最後のドンデン返しと、小説に登場する現代のA新聞かM新聞かT新聞の若い記者(インテリにありがちな思想)の傲慢な上から目線の歴史観を、見事に粉砕する手腕に胸を掬われた。同作を原作とした映画が12月に公開されるので、こちらは是非期待したい。

前置きが長くなりました。

68年前の今日、成増飛行場を根拠とした飛行47戦隊は、駐屯していた山口県の小月基地で米軍機の奇襲攻撃を受け、歴戦の空中勤務者6名を失うという大打撃を被ります。
防空戦隊に興味のある方は、すでに発表されている渡辺洋二氏などの戦記本で既知の出来事ですが、私は当時、現場にいた方々から直接話を伺ったことがあります。その話は今まで文章化したことはないので、今回、一部ですが書き起こしてみます。
〜第2中隊所属、伴少尉の想い出から。〜

「昭和20年7月28日。この日朝早、小月飛行場の空中勤務者宿舎で就寝中に拡声器から<空中勤務者は直ちに飛行場に集合せよ>とくり返し放送があった。急いでピストに集合し<四国南方から敵小型機の大編隊が北上中、これを邀撃せよ>との第12飛行団の命令により、第1、第2、第3中隊順に離陸した。第2中隊の自分の離陸は午前6時34分だった。各隊が高度900〜1500mに達した頃、上空から敵グラマン機群の奇襲を受け低位戦を強いられ、離陸13機のうち戦死6名、負傷入院3名の大損害を受けた。外の2機は離陸直後故障で着陸、2機は日本海方面に退避し無事だった。
各自状況は、<第1中隊長・清水大尉は脚が入らず着地><第2中隊・一楽少尉はプロペラピッチ故障で着陸><第1中隊・松崎大尉は第1撃を逃れ岡枝上空で空中戦となり、敵2〜3機に捕われ下保木近くの吉田の台地に墜落。住民が駆けつけた時にはまだ息があり、逆さまの状態だったが、機内にあった刀で住民がバンドを切るとずり落ちてきた。松崎大尉はその後死亡。墜落機の後かたずけが済んだ跡に小さな刀が残っており、それを拾った住人が持ち帰り、名前がわからないまま亡くなるまで戦後56年間、命日に法要を営んでいた。後を継いだご子息が、その刀を遺族の元に返したいと奔走した結果、ついに松崎大尉の遺族を探し当て、平成13年に返還された。その2年後の平成15年7月28日、墜落現場には松崎大尉の顕彰碑が建てられた><第2中隊の前原少尉は被弾発火し落下傘降下したが亡くなった。その様子を地上で見ていた一楽少尉は、攻撃を受けてフラフラ飛んでたので、もうだめだと思った、と語っている><第1中隊・吉村少尉は被弾発火で落下傘降下、火傷や負傷で入院><第1中隊の山家曹長は、僚機が遅れているので後ろをみると敵機が迫っていたので、回避しようと山へ向かったが、エンジン被弾発火で落下傘降下。本人曰く、降下後かけつけた住人達に、顔が真っ黒で敵と勘違いされ殴られそうになったと話している><第2中隊長・大森大尉は攻撃を受け機上戦死。第4旋回地点に墜落><第2中隊・大石少尉は被弾発火で落下傘降下。火傷を負い入院><第2中隊・蛭川曹長は被弾して落下傘降下。自身も傷ついており、病院収容後、敵1機撃墜したと報告し死亡><第2中隊・原田曹長は離陸上昇中敵機を発見、小隊長機の三瓶曹長に合図を送るも気がつかれず、やむを得ず単機で日本海方面に退避><第2中隊の三瓶曹長は飛行機に異常を発見、第4旋回で着陸降下中、敵機に後方から射撃をうけ高度50メートルで左急旋回で滑走路北100m地点に落下。機上戦死><第3中隊長、波多野大尉は日本海方面に退避するも戦闘空域に戻り、敵機4編隊と戦うも戦死。撃墜の様子は地上の防空監視哨にて確認><第3中隊・窪添中尉は攻撃を回避、日本海方向に退避し生還>

以上が7月28日の戦闘状況である。47戦隊が受けた打撃は大きく、この日以降、3中隊制を維持出来なくなり、終戦の日まで変則の編成で任務を続けた。なお、空中勤務者の中には、飛行機が間に合わず地上から見ていた者や、当番以外で基地の外に宿泊していた隊員がおり、この空戦に気がつかなかった者もいた。


写真左は、現在の自衛隊小月航空基地。戦時中と同じ場所にある。敵戦闘機は、後方の山の後ろから奇襲攻撃をかけてきた。真ん中の写真は、飛行場近くの丘に建つ、小月基地駐屯部隊戦死者の慰霊碑。右の写真は、愛機の前に立つ、戦死した第3中隊・波多野中隊長。

以前、成増会の靖国神社昇殿参拝の後の直来の席で、波多野中隊長が何故、戦闘空域に戻ったのかを語り合う、元47戦隊員達の動画をUPしていたので、ここに改めて再掲する。(2010年収録/2分45秒より)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2013年6月 | トップページ | 2013年8月 »