


うわ〜G.W.になってしまったあああ‥、と焦ってみた。個人的な事です、すみません。
いいかげん部屋にいろいろなモノが溜まり過ぎ、G.W.になったら片付けようと新年に誓いましたがまったく作業が進まない。。なので気分転換にお宝自慢でも始めてみようと思ふのです。
今回のお宝は絵はがきです。
大正時代に、東京府北豊島郡第二高田尋常小学校保護者会が作らせた記念絵はがきで、大正10年8月に行なわれた3本の行事をそれぞれ2枚づつ、計6枚がセットになっていて、このうち第一部は「学校團」、第二部は「郊外團」、第三部が「林間團」に別れている。
なんでわざわざ絵はがきに?と思うけど、当時は生プリント代が高く印刷した方が安く済むしハガキにすれば知人縁者に送るのも簡単‥と考えたのでしょうかね。前に掲出した板橋第六尋常小学校の南京城陥落記念の写真も絵はがきでした。
第二高田尋常小学校は、後の「雑司ヶ谷小学校」で、近隣の「日の出小学校」「高田小学校」と合併して現在は「豊島区立南池袋小学校」となっています。
絵はがきのうち、「学校團」は小学校校庭で体操する生徒達の俯瞰写真と安国堂(法明寺)境内で撮影された集合写真、「林間團」は”天狗岩ノ登山”と”馬場邸室内娯楽時ノ状況”とあり、場所はわかりませんが現在の林間学校時の記念写真と思われます。
さて、掲出の絵はがきは「郊外團」で行なわれた行事で、”石神井公園池畔ノ集合”と”石神井水泳場の遊戯”の写真です。
現在の都立石神井公園は1959年に開園しましたが、それ以前は三宝寺池とか石神井城とか石神井池とか記念庭園(1916年、豊田銀右衛門氏が「第二豊田園」として 開園。あずまや、茶亭などのある庭園だった。)とバラバラに存在してました。ちなみに、1930年に一帯が石神井風致地区の指定を受け、石神井池(ボート池)が出来たのは1934年のこと。
じゃあ、この絵はがきの場所は何処なんだというとですね、”石神井公園池畔ノ集合”はおそらく「第二豊田園」で撮影されたもので、”石神井水泳場の遊戯”の水泳場は、現在の石神井城跡と茶屋「豊島屋」の間にある水辺観察園の場所に存在していました。1918年(大正7年)、三宝寺池の一部を利用して日本初の100mプールが造られ、オリンピックを目指す日本選手団が合宿をしたという由緒あるプールなんですよ。後に府立第四水泳場と名付けられました。
ちなみに、当時の日本水泳界の状況はこんな感じでした。<立教大学体育会水泳部の歴史より引用>
我が国の本格的な水泳競技大会は大正3年8月10日、極東大会代表を選ぶという前ぶれのもとに、大森のガス会社構内の掘り割りで開かれた「第1回全国水泳大会」が発端であるといわれている。往時の泳法は武道・武芸としての流れから「抜き手泳法」が主流であったが、外国と対抗するためには、日本泳法よりクロールが有利との判断に立ち、競技としての泳法研究が盛んに行なわれるようになったのもこの時代からである。折しも、大正6年神田のYMCAに冬季でも泳げる室内プールが完成し、これが関東全体の冬季練習場のような形となり、大学の選手が集まって水泳研究の中心となっていった。このYMCAプールで練習するには、東京基督(キリスト)教青年会会員(要会費)にならねばならなかった。(引用終わり)
掲出写真の第二高田尋常小学校の生徒達は、おそらく西武池袋線(当時は武蔵野鉄道)を利用してやってきたのでしょう。最寄り駅である石神井公園駅は1915年(大正4年)4月15日、石神井駅として開業し、1933年(昭和8年)3月1日、石神井公園駅に改称されました。でも、雑司ヶ谷から石神井まで片道10キロもないので歩いてきたことも考えられますね。
で、なんでわざわざ水泳に来たのかといいますと、当時の北豊島郡あたりの小学校がどんな夏休みを過ごしたかの資料がありますんで、それを示します。
夏期休業中に於ける宿題に関する件/北豊島郡板橋尋常高等小学校(大正13年)
一、尋常一学年より高等科二学年に至るまで全部の児童に対し夏期休暇練習帖を使用せしむ(別冊印刷物八冊の通り)。
二、其の他各学年及び各学級にて補習課題を命ず。
三、尋常科第三学年以上の児童に随意に児童図書室にて読書せしむ(学校内備付の児童文庫)。
四、休業日中に二回各学年共登校せしむ(健康状態調査、宿題の進度調査の為)。
五、尋常科五学年以上の男女児有志の児童を石神井水泳場に引率して三週間水泳をなさしむ。
六、宿題に費す時間左の如し。一年 四十五分 二年 一時間三、四年 一時間半 五、六年及び高等科 二時間
七、宿題を課す時及び休業中の注意事項は、主として児童に起案せしめしを印刷物として配付し、実行せしむ。
てな感じで、夏休みと言えど結構忙しかったようですね。約100年前の話ですよ、これ。ちなみに、この石神井水泳場の人気に目をつけそれをパクり‥いや、インスパイアされて同じ石神井川沿いの中板橋に遊泉園プールが出来たのが昭和2年のことです。
練馬区には、この石神井水泳場の写真が、絵はがきその他数枚所蔵されているのですが、年代がハッキリしておらず、一番古いとされる写真が大正後期〜昭和初期とされ、プールの施設も掲出の絵はがきみたいな釣り堀風ではなく、コンクリートで造られています。これは関東大震災でプールが崩れてしまい、頑丈に作り直したからのようです。100mプールとなったのもこの改修工事の時でした。したがって私の収集した絵はがきが、年代の確実な最古級の石神井水泳場写真と思われます。へへ。(自慢)
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