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2012年12月

板橋区民、零戦のエンジン始動を体感する。

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 今日から12月。師走ですなあ‥と感傷に耽るのもつかの間、どうしても行かねばならぬイベントがあり、早起きをして木枯らし吹く中行ってきましたよ〜

さてそのイベントとは‥、マニアな方々ならばご存知、航空公園内にある”所沢航空発祥記念館”で行なわれた「エンジン始動見学会」

あの、アメリカはキャリフォルニア州にある、プレーンズ・オブ・フェーム航空博物館所有の、世界唯一のほぼ完全オリジナル機体である零式艦上戦闘機(零戦52型機)の”生きている栄エンジン”を動かし、ペラを回す姿を公開しちゃうぞ!てなイベントである。

私は成増陸軍飛行場を信奉する人間なので、基本、陸軍機が興味の対象ではあるが、大東亜戦争を戦ったオリジナルな機体を持ち、なおかつ可動な戦闘機を日本で見る機会は無いので、是非ともその御尊影を拝み、焦げたエンジンオイルの二ホイを嗅ぎたい‥とすっかり重くなった腰を上げたのだった。

東上線住みの身上としてはアウェイである西武線に乗り、いざ航空公園駅へ。駅から広い公園の中を通り記念館へ急ぐ。少し汗をかいた体に木枯らしが心地よかったが、記念館の建物の周辺には黒山の人、人、人、‥
時計を見ると午前8時半を回った所だ。告知によれば整理券の配布は10時からということだが、どうしたどうした‥なんと一日3回設定されているエンジン始動会の初回&第2回分はこの時点ですでに満杯であった。

‥うかつだった。。1回の整理券が定員420人分なので1時間半前に行けば余裕さ!なんて考えたのがあまかった。。急いで第3回分の列を探し、走った。しめた、まだ列が短い!息を切らせて並んだがすぐに列は長く後方へ伸びてゆく‥。思えば、木枯らし吹きすさぶ中、長い長い行列に並ぶのは去年のイギリス・ノーザンプトンのジョンロブ・ファクトリーセール以来のことだった。。

おそらく9時頃にはもう第3回目も満員になったであろうか。しかし後から後から人が押し寄せてくる‥。
整理券の配布は午前の部が10時から、午後は12時半からの予定であったが、もう満杯状態で並んでいるわけだから主権者の計らいで9時半過ぎから一斉に整理券の配布が始まった。やった、番号は30番代だ。

整理券を大切にしまい、カチカチに凍えた体を動かし記念館の建物の前へ行くと案の定というか、整理券を貰えなかった群衆が、関係者テントを取り囲んでの怒号の嵐であった。。こんな風景は鉄道マニアならば慣れた景色であろうが、整理券に間に合った人間からするともっと早く来れば、、と思いつつ遠方の方はお気の毒だなとも思う。期待を胸に遠路はるばる辿り着いたが入場出来ない、となればその怒りをどこかにぶつけたくなるのも無理はないかもしれない。。聞けば先頭は昨日の午後7時から並んでいたそうで、明け方で200人の列が出来ていたそうな。

いやはや恐るべし零戦人気である。前回は1995年に茨城県の竜ヶ崎飛行場他で公開され、この時はデモンストレーション飛行をした。このようなヴィンテージ大戦機を飛ばすのは非常にデリケートな行為であり、今回はエンジン始動だけではあるがそれでも様々な問題をクリアしての日本公開で、もうこれが最後の機会と記念館では告知している。

時計を見ると10時だ。記念館のオープン時間だが長蛇の列!そりゃ整理券並んだ人間が1000人以上いますからね〜、外はちょー寒いし。。始動会を見るには特別展の入場券が必要なのでそれを求める方々ですね。入場券は事前にコンビニでも買えるので私はそうしました。さて、私の見学する第3回目は午後2時50分からなので、西武線でもう少し飯能へ向かった稲荷台駅にある狭山市立博物館へ行くことにした。

なぜわざわざ稲荷台へ‥それは、今、狭山市立博物館で「ジョンソン基地とハイドパーク展」が行なわれており、その展示にほんの少し協力したからなんですよ。ジョンソン基地とは現在の航空自衛隊入間基地と東京家政大学の敷地にあった米軍の基地で、戦時中は陸軍士官学校が置かれていました。ハイドパークは基地に併設されたグラントハイツと同じ家族住宅地域の名称です。私は写真と学校関係の書類を提供しました。

いや〜私もいろいろ収集してますが、ドアノブや照明器具、洗面台やはたまた道路標識、米軍ジープのガソリンタンク等々いろんなレアグッズが展示されてますねえ。。ほとんどが個人のコレクションのようです。マニア恐るべし!ですな。
現在、終戦後から基地の返還される昭和40年代までこうした基地で働いていた人達がご高齢の域に達し、今が聞き取りの最後のチャンスかもしれません。

1時間くらい見学して昼ご飯食べて記念館へ戻り、常設展示を見学。ここにはいつもお世話になっている堀山隊長(成増飛行場結成特攻隊・振武隊隊長)が寄贈した飛行服などが展示されているそうで、3階へ行くと、おお、ありました。冒頭の写真が堀山隊長の寄贈品です。飛行服は2着ありますが、後ろが隊長の服です。約70年前にこの服を着て四式戦・疾風に乗っていたのかと思うと感慨深いですね。飛行帽と航法計算板もありました。

見学をしつつ、第2回目の始動会の時間が近くなったので様子伺いに建物隣の会場へ行くと、なんだか人だかりが‥惜しくも整理券を貰えなかった人達が、せめて音だけでも聴こうと集まっていたんですね。(写真)
エンジン音は外からもよく聞こえ、オイルの焼けた匂いもしてきました。エンジン音が止むと、自然と拍手が沸きました。さあ、次はいよいよ第3回目の番です。。

午後2時15分、待ちにまった入場が始まりました。太陽もだいぶ傾き、逆光がきつくて撮影には不向きだったけど、なんとか順光かぶりつきの場所を確保。そこから開始までの待機時間は冷たい風に吹かれ寒いのなんの、久しぶりに手がかじかんじゃいました。
2時45分、解説がはじまりスタッフ紹介の後、いよいよエンジン始動です!プレーンズ・オブ・フェーム航空博物館のスタッフ3人もスタンバイ、あれ?なんだか外部バッテリーを繋いでますね。。どうやら始動はオリジナル零戦には無いセルモータを使い、エンジンをかけるようです。後の様子は動画でお楽しみ下さい!!


無事、イベントが終わりあらためてスタッフの紹介がありました。70年前のヴィンテージエンジンを動かすのは非常にナーバスな問題なので、年間20時間くらいしか稼働させないようです。本来は、12月に根拠飛行場のプレーンズ・オブ・フェームで行なわれるイベントで飛行ショーをするのが恒例ですが、今年は日本のファンのためにこちらで公開するとの事でした。ああ、実際に飛んでいる姿を見たいなあ。。いつか必ず‥

次回のエンジン始動会は来年3月に行なわれます。

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師走だしコレクション自慢を始めるか‥

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 ‥今年は健康を損ねた為、ことのほか寒さが堪えますね‥


昨夜(12月4日)、テレビ東京で放映していた「何でも鑑定団」を観ていたら、鑑定品として陸軍戦闘機、一式戦”隼”キ-43の主輪が紹介されていた。
詳細は忘れたが、どこかの田舎でリヤカーとして使われたのを交渉して1万円で譲ってもらったらしい。
鑑定額は、なあんと50万円! 2輪だから1本25万円かあ‥。んじゃあ私の持ってる四式戦”疾風”キ-84の主輪は幾らかなと気になった。。

それはさておき、私の主輪はどのようにして手に入ったのかというとですね、栃木県にお住まいのミリタリーマニアの方から譲って貰いました。そのマニアの方は、鑑定団に出た方と同じような経過で、休日になると、戦時中に中島飛行機の工場のあった太田市周辺の田舎を車で走り回り、農家の方が使っているリヤカーを見つけ、その車輪が飛行機の主輪らしいとわかれば後日、一升瓶をぶら下げて家を訪ね交渉し、譲って貰って歩いたとのこと。他にも97戦とか隼の主輪もあったそうな。

主輪が手に入ると、さっそく成増陸軍飛行場を根拠飛行場としていた元47戦隊の整備中隊長で、”整備の神様”と称されていた、故・刈谷正意さんの所に鑑定してもらいに行った。刈谷さんは将校だったので、営外居住が許されており、赤塚の東上線の線路に近い所に家を借りていた。刈谷さんの詰めていた”吉野隊”のピストは、その家からほぼ南に直線の場所にあった。当時すでに結婚もしており、戦後その家を買い取り、亡くなるまで暮らしておられた。

最初の写真は刈谷さんに見てもらっている時のもので、私の持参した主輪を懐かしそうにごらんになっていた。もちろん、本物のお墨付きをいただいたが、今から思えば鑑定書を書いてもらうんだったなあ‥。

この稿を書くにあたり改めてチェックしてみようと保存してある箱から出してみると‥ありゃ〜!タイヤがへこんどるではないか!!最後に出したのは数年前に豊島区の資料館の展示に貸し出した時以来だ。。タイヤは結構重く、20キロくらいある。立てた状態で置いとけば、圧力が一点にかかるわけだからへこむのは道理だ‥いまさら仕方ないが、横にして保存しておけば‥といっても横に置いておける程広いスペースもなし。。まいったな〜

主輪には記号などが刻印されているので、それを解読すればどんな戦闘機に使用されていたかがだいたい判断できる。おもな記号は「650X170X336」、「B.S」、「岡本工業株式會社」、他に空気圧の表示と製造番号が書いてある。

「650X170X336」はタイヤの直径と幅とホイール径と思われます。四式戦はこの大きさでした。「B.S」はブリジストン製ですかね?鑑定団に出ていた隼のタイヤは横浜護謨株式會社と漢字で書いてありましたが、なぜローマ字なんでしょうか?「岡本工業株式會社」はホイールを製造した所ですね。”アルミ”の文字も刻まれていました。
他に情報はないかとネットでググルと、四式戦の主輪として私の物とまったく同じ表記のタイヤがありました。


「なんでも鑑定団」では50万円の値段がつきましたが、番組に登場した主輪はだいぶ状態が良い物でしたね。めずらしいとは思うけど、存在が知られてないだけで、結構マニアが持ってたり、それと知らずに納屋かなんかに眠っているんじゃないかなあ。成増飛行場の周辺も農家が多かったから、戦後に払い下げてもらった所もあるのかも‥

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開戦記念日だし、二式単戦(鍾馗)の飛行音でも公開してみるか。

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 奇跡だ。この頃いままでにない頻度で当ブログの更新をしている。希少焼酎「森伊蔵」を定価で手に入れた喜びも原動力になっているかもしれない。

先週、所沢の航空発祥記念館で行なわれた、世界唯一のオリジナル零戦のエンジン始動会に参加したことを記事にした。私は、今は陸軍機のファンであるので、叶うならば陸軍機のエンジン音を聴いてみたい。。と、思っていた。唯一可動していたはずの、知覧特攻記念館に展示されている四式戦(疾風)キ-84は、現在ではもうその音を聴けなくなってしまっている。同じく飛行第47戦隊が使用していた二式単戦(鍾馗)キ-44に至っては実機は存在しない。

ああ‥エンジン音が聴きたい‥と夜な夜な願っていると、おお、なんと神様に願いが通じ、オークションで鍾馗の飛行音を録音したレコードが出品されていたのに気がついたではないか!!

このレコードは、戦時中に陸軍がおそらく兵隊教育用に作製したもので、高度1000m、3000m、5000mの音を録音したものらしい。札束を握りしめてオークションに参戦し(オーバーか)無事に入手したレコードを、さっそく専門業者に頼んでCD音源化してもらった。もう一方の面には、同じ中島飛行機製の重爆撃機”呑龍”の飛行音が入っていた。

零戦エンジン始動会の時は、あくまでもエンジン始動であり、アイドリングの音だった(フルで回したら飛んじゃいますからね)。この録音版は”飛行音”なんですよ。エヘン。
それでは、いつも当ブログを楽しみにして訪問いただいている方々のために、お歳暮としてその飛行音を公開しちゃいましょう!!



さて、いつもならこれで終了だが、今回はお歳暮&大東亜戦争開戦記念日特集として、成増陸軍飛行場を根拠地とする47戦隊の開戦時の様子を書いてみよう。

 昭和16年8月の半ば、福生にあった飛行実験部に、技量優秀な搭乗員9名と、陸軍航空各部隊から選りすぐった整備兵が集められた。これが新鋭機・キ-44の試作機による新しい部隊の誕生であった。
隊長は坂川少佐、その下には神保大尉(本土防空戦隊結成時の戦隊長、後にフィリピン上空で戦死)黒江中尉らがいた。黒江中尉は鍾馗による敵機撃墜第一号を記録した。(47中隊が内地に招集された時に飛行第64戦隊、あの”加藤隼戦闘機隊”に転出し、加藤戦隊長戦死後は中心となって戦い、英軍から「魔のクロエ」と恐れられた。戦後は航空自衛隊の創設に尽力したが、昭和40年に不慮の事故で亡くなってしまう。)

 目前の開戦に備え、新鋭機のテストを行ないながら部隊を作るという構想の元に、連日のように厳しい訓練が続けられた。その47中隊の整備兵として、刈谷正意さんがいた。刈谷さんは昭和9年2月、所沢陸軍飛行学校が募集した陸軍少年飛行第一期技術試験を受け、高知県出身受験者220人中、ただひとり合格者した。学校を卒業し、平壌の飛行第六連隊に赴任し、日華事変後は独立第9中隊員として大陸各地を転戦する。昭和14年4月、陸軍航空研究所に転任し、甲種学生を卒業の後、中島飛行機が開発していたキ-44の審査担当となった。(刈谷さんは誕生から終戦までキ-44の生涯を見届けたのだ)

 昭和16年12月4日、陸軍福生飛行場格納庫の前に、茶褐色の迷彩塗装を施された9機のキ-44と空中勤務者、整備兵をあわせた「かわせみ部隊」全員が勢揃いした。一同は航空総監に見送られ南方の戦線へ向けて飛び立った。刈谷さんたち整備兵は、97式重爆2型2機に分乗し、戦闘機隊の後を追った。
この時、キ-44はまだ増槽の装備を持っておらず、航続時間が2時間しかなく、この日は大刀洗飛行場を経て九州の鹿屋飛行場で一泊した。翌日は航行時間ギリギリの那覇飛行場まで飛んだが、雲海に遮られて一機が喜界島の海軍基地に不時着した。遅れた一機の到着を待ち、6日、部隊は台湾の嘉義飛行場へ、7日、大陸の広東・天河飛行場に到着する。一方、刈谷さん達整備隊は一日遅れで広東に到着した。

 飛行場についてみると、97式戦闘機が盛んに離発着を繰り返しており、そこで初めて英米との開戦を知った。戦闘機隊は8日の午後、海南島・三亜基地まで飛び、9日、仏印東海岸のナトランへ到着した。黒江中尉が、簡易舗装された飛行場に着陸すると、基地の整備兵が来て「お宅のキ-44がさっき墜落しましたよ」と告げた。着陸時の旋回で失速してしまったことが原因だった。戦闘機はバラバラになったが隊員は一命を取りとめ、意識不明のまま病院へ運ばれた。

 事故はあったが、戦闘機隊は命令によりサイゴンまでの飛行を急ぎ、午後5時に着陸した。刈谷さん達を乗せた97式重爆は、三亜基地から直接サイゴンまで飛び、合流した飛行第47中隊は、そこで第三飛行集団の指揮下に入った。一番右の写真は昭和17年1月1日にサイゴンで撮影された47中隊の記念写真。左から2人目、しゃがんでいるのが刈谷さん、右から2人目の立っている人物が黒江中尉だ。

記念写真のバックは茶褐色の迷彩を施されたキ-44だが、刈谷さん曰く「あの迷彩は、ドイツから持ってきたメッサーシュミットをまねて塗ったんだけど、現地に持ってゆくと緑深いジャングルで合わなくってさ、ありゃ砂漠用の迷彩だったんだね。」と笑っておられた。


その後の戦いの日々の話は、またいづれかの機会に‥

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☆大河ドラマは板橋区から☆〜「八重の桜」第一回試聴版を観た。〜

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 皆様、選挙に参加しましたか?全国投票率は6割を切っているとか。せっかくの権利を行使しないのはもったいないですぞ。
板橋区・第11区は下村博文先生の圧勝でしたね。下村先生は安倍総裁の子分なので、何がしかの役職に就かれることでしょう。そうそう、我が母校、赤一中OBで前国家公安委員長の松原仁氏も比例で生き残りましたね。

先週某日、来年1月6日スタートのNHK大河ドラマ「八重の桜」第一回を試聴した。前半生を会津の女砲術士として生き、「幕末のジャンヌダルク」と呼ばれた新島八重の一代記だ。
この大河ドラマには、板橋区の誇る西洋流火術鉄砲隊保存会(高島流砲術)が協力をしている。この8月には、栃木県の射撃場で、主役の綾瀬はるか嬢や最初の夫役の長谷川博己さんや監督に実銃の指南をしてみせたという縁がある。


さて、放映試聴版を見た感想ですが‥う〜ん、素晴らしい!! いや、う〜〜〜〜ん素晴らしい!!!!と書くべきか。

すでにドラマストーリー本や八重の桜公式H.P.などで紹介されているが、オープニングはアメリカ南北戦争の激戦地、ゲティスバーグの戦いから始まる。このシーンはアメリカで撮ったのかと思っていたが、ラトビア共和国で撮影したようだ。うん、とにかく迫力がある。昨年まで放映された「坂の上の雲」の陸戦を彷彿とさせるような作りだ。すんごくゴージャス。おまけにバイザピープル、フォーザピープルまで登場する豪華さだ。途中、幕末の会津城攻防戦と映像を交互にオーバーラップさせるがそれが違和感ない!過去の大河ドラマはおろか、映画でもこんな幕末の戦場シーンは見たことないっ!!ついにラストサムライを越えたか?ってな感じでした。つかみはOKだ。特に、少年達を叱咤しながら七連発スペンサー銃で応戦する八重からテーマ曲のオープニングに繋がるシーンは、銃器オタク&綾瀬はるか嬢ファンが涎を垂らして悶絶するかもしれん。。なあんて、たった7分弱の冒頭シーンを褒めちぎり過ぎたかしらん。

主題歌の映像は、、まあ綾瀬はるか嬢のプロモビデオかシャンプーのCM風(美しく表現されているという意味)って感じかな。曲も荘厳かつ優しげですね。

第一回の本編は、八重の子供時代と会津の状況&山本覚馬象山塾入門を描くので、はるか嬢は出てきません。子八重ちゃんはとても愛くるしく、表情もクルクル変りとてもカワイイですね。演技も自然で達者、見入っちゃいます。オープニング映像にはドラマ後半から本格登場する新島襄もチラッと映りますが、ああ、このシーンのためのオダギリジョー採用なんだ、と思わせるくらい雰囲気があります。カッコイイっす。

線の細い松平容保役の綾野剛さんは役に合ってますね。家老の西田敏行さんもうるさいオヤジ役でいいです。無骨な中村獅童さんはやっぱり軍隊の大尉クラス役がはまりますね。佐久間象山の奥田瑛二さんなんて、まるで象山が乗り移ったようです。小栗旬さんは、腰が軽くて気持ちのよい吉田松陰を演じてます。
セリフは方言での会話ですが、上手過ぎて聞き取れない所がありました。字幕を出すか、あとで再生して確認しないとついて行けない人もいるかもしれません。

映像の質感は、夏の日差しのシーンが多かったからか「坂の上の雲」の映像に、もうすこし明度をアップさせた感じですかね。ちょっとだけ公開されている番宣映像の二度目の黒船来航と、子供ながらに銃の自主訓練に励む子八重ちゃんで第一回は終了です。次回予告かどうかはわかりませんが、これまでに撮影されたシーンのダイジェスト映像と、いつものショート紀行映像も出来てました。

そうそう、肝心のあれですよ、高島流はどうなったか‥それはですね、本編が始まり、角場でのゲベール銃射撃練習の後の食事シーンで、高島流や徳丸ヶ原調練のセリフが出てきますので板橋区民の皆様方は、お聞き逃しなく!!


それにしても、銃を構える綾瀬はるか嬢はカッコいいですね。栃木の射撃場で、「銃を持ったことがありますか?」と質問すると、「ちょっと前に練習しました。」とおっしゃっていたが、先週放映された「輝く女」の中で銃の特訓を受けるシーンが流れ、ああ、この時なのか、と思いました。男勝りの演技を要求される女優さんは大変なのだなあ‥と改めて感心しました。

ああ、本放送の綺麗な映像で、早く見たい〜!

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