宣伝☆開館40周年記念!「高島平蘭学事始」☆特別展始まる
朝晩は涼しい、でも昼間は暑いですね〜 きのう我が赤塚郷ではアブラゼミが鳴いていましたよ。
最近、宣伝ばかりですが、今週6日(土曜日)から板橋区立郷土資料館では開館40周年を記念として、特別展「高島平蘭学事始」が始まる。
私もこの特別展にはほんの少し協力しているので、おおいに宣伝に勤めなくてはならない。
さて、板橋区高島平地区の街の名前が、江戸時代後期に長崎町年寄筆頭を勤めていた”高島秋帆”の名字を由来としていることは、板橋区民ならば承知のことかと思います。
戦国時代、高島家は近江国の武士であったが、小谷城落城後、逃れ逃れて長崎に土着した。なぜ長崎だったのか‥それはキリシタンであったからと言う。その後、平戸でポルトガル人を相手にする頭人としての権利を得た。三代目の時、出島の設営に莫大な寄付(後にオランダ人から出島の賃貸料として返済を受ける)を行なったことから出島管理の役人の地位を手に入れ、結果その利権により長年に渡り蓄財して裕福になった。
高島家がエライのは、秋帆先生の父親の代になり出島警備を任じられ、砲台の整備をするために砲術の研究に没頭し、莫大な私財を惜しみなく投げ打って西洋の軍事を取り入れようとしたことだ。
最新の研究では、秋帆先生は西洋の軍事知識を、オランダの商館長で元軍人であったスチュルレルからではなく、シーボルトから得たのだと言う説が出てきた。その証拠となる古文書が今回の展示では披露されている。
天保12年(1841)5月<現在の6月下旬ころ>、江戸幕府の命により、武州徳丸ヶ原の幕府砲術演習場にて幕閣や諸藩重役の見守る中、西洋流の砲術を初披露してみせた。この演習は日本国中に大きな衝撃を与え、それが後の幕末維新に繋がり、明治という近代国家への出発点になったのは過言ではない。
「近代国家への出発点になった」いや〜、そりゃ言い過ぎじゃね?なんて不敬なことをいっちゃいかんですぞ。それは今までほとんど宣伝していなかったからで、来年の大河ドラマ「八重の桜」で取り上げられるし、これから大いに世間に認知されていくんですぜ。
ではなぜ、砲術「高島流」や高島秋帆先生の事象がマイナーなものであったのか‥それはやはり先の大戦が負け戦となり、敗戦国として生きなければならなかったことが大きい。
昭和20年8月15日、天皇陛下による終戦の宣言から日本は世界に平和を誓い、(名目上)軍備を捨て平和憲法の元に国家の運営を行なう方針と定めた。それにより戦前の価値観はすべて悪とされ、国を守るために戦うという行為すら否定されかねない”空気”が蔓延していた。
かつて勝海舟は、高島秋帆について「秋帆先生は、日本陸軍の祖である」と公刊された「陸軍歴史」の冒頭に記した。陸軍では自らの立場が危うくなると、国民世論に訴えるため陸軍に功績のあった人や場所に対し顕彰を行なってきた。それにより、秋帆先生の没後50年祭を行ない、出身地である長崎の旧居は史跡に指定され、弁天塚と呼ばれた徳丸原演習指揮場跡(新高島平駅近く・ポスター写真参照)に碑を建て、宿舎となった松月院にも砲塔の記念碑を建てた。
先日、自民党の新総裁に安倍晋三氏が返り咲いた。安倍氏は平成18年12月19日、第165回通常国会終了後の安倍内閣総理大臣記者会見で”戦後レジームからの脱却”を所信表明の中で述べた。このおかげでリベラルを自称する朝日新聞その他マスコミから総攻撃を受け、結局は氏自身の健康問題で内閣を投げ出してしまった。朝日その他にとっては戦後レジームからの脱却がよほど許せなかったんだろう。
じゃあ戦後レジームってなによ?だが、ようするに戦後に作られた体制をあらため、憲法改正や愛国心教育などを進めて新しい時代を築いて行こうじゃないか。と言うことですな。で、話を戻しますが、高島秋帆先生の徳丸原演習から171年が経ち、その功績を顕彰した碑が建てられてから90年余が過ぎている。しか〜し、その碑は現在も板橋区の文化財にも指定されず、高島平駅近くの徳丸ケ原公園に移設された碑にはクギのようなもので落書きまでされている始末だ。
なぜ高島秋帆先生関連の碑が文化財にもならず保護もされていないか‥(公園に管理責任がありますが)それは文化財指定を審議する場で承認されないからだ。肩書きや権威の有る学者識者が審議するのだが、そこには”リベラルな”人々が集まっている。過去に何度か秋帆先生の碑については議題に上がったが、旧陸軍の手によって建てられた碑を文化財に指定するなどとんでもない。とのリベラル派の頑強な学者先生の意見により却下され続けてきた。
平成の世も24年が過ぎた今では、戦前戦中戦争直後を経験してきた学者先生はすでに表舞台から去ってしまっている。しかし、その”リベラルな空気”の呪縛は未だに伝統として残り続けているのだ。
まっ、戦後世代にすれば、いつまでもそんなこと引きずってないで、もう歴史として認識していいんじゃないの?なんて気軽に言うけど、戦後レジームな方々に「その歴史を忘れるとまた戦争に突っ走るぞ」と返される訳で、話はまったく進まないのが現状ですな。
ええっと、特別展の宣伝のはずがまた脱線しました。今回の展示は、軍事面のみで捉えられがちな高島秋帆先生だけれども、西洋砲術という手法を通じて先進性のある思想・技術を伝え、たくさんの有用な人材を育成し、明治の近代工業、医学などに貢献し、影響を与えたということを教えてくれる展示会なのだ。
会期:平成24年10月6日〜11月25日 午前9時30分から午後5時まで。
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