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2012年9月

成増陸軍飛行場秘話8 〜終戦直後の悲劇〜

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 暑い‥いや、熱い。もう九月に入って一週間になるというのに‥。


一昨日、秋田県の十和田湖から、墜落し湖底に沈んでいた旧日本軍機が69年ぶりに引き上げられたとのニュースが報じられた。

墜落の旧陸軍機か、70年ぶり湖上に…十和田湖/読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120905-OYT1T01188.htm

不時着水から69年、旧陸軍機を引き揚げ 十和田湖/朝日新聞
http://www.asahi.com/national/update/0906/TKY201209050769.html

旧陸軍機、69年ぶり地上へ 青森・十和田湖で引き揚げ/産經新聞
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120905/trd12090518550009-n1.htm

[関連動画]
http://www.youtube.com/watch?v=fqvihM3UU_s

引き上げられた機体は「一式双発高等練習機」という陸軍の軍用機らしい。一式双発高練は立川飛行機により1941年・皇紀2601年に制式採用され、乗員は5〜9人で、連絡機としても使用された。機体は水深300m強の湖底に着底しており、年間を通し水温4~5℃かつ淡水のため腐食は少なく、塗装も当時の状態をほぼ保っているそうだ。

さて、ここからが本題。この練習機はとても優秀な機体で、陸軍航空の各部隊で使用されていた。当然、成増陸軍飛行場でも使用されていたが、こんな悲しい話が残されている。この話は、成増飛行場を離れた47戦隊と入れ替わりに赴任した「第百飛行団」の第101戦隊に空中勤務者として所属し終戦翌日の8月16日、成増飛行場を最後に離陸した疾風(キ-84)を操縦していた中村吉明氏からお聞きした。(中村氏は数年前に逝去)


 第百飛行団は、昭和19年7月下旬、団司令部及び飛行第101〜103戦隊の三個戦隊にて臨時編成された部隊である。当初はフィリピン戦線に投入される予定であったが、訓練中の昭和20年1月下旬、フィリピン戦線の戦況悪化により派遣は中止された。3月上旬になり、予想される沖縄戦援護のために、各戦隊は九州の都城西・東、隈庄基地に展開した。3月下旬、沖縄作戦が発動され、主に攻撃隊の援護・戦果確認の任務に着いた。 沖縄の戦況は日増しに悪化し、第百飛行団は特攻隊「振武隊」を編成し、4月5日夜から行われた第一次航空総攻撃に参加した。その後、5月下旬の第八次航空総攻撃まで出撃を続けたが、この間に各戦隊はほとんど壊滅してしまった。そこで、戦力回復を計るため、団司令部を都城西飛行場に残したまま、戦隊は成増飛行場に移動することとなった。6月上旬に成増へ展開した各戦隊は、新しく着任した操縦士の訓練などを行っていた。しかし、飛行機の補充が遅れ、7月に入り102戦隊を解散し、101・103戦隊に吸収させた。
 
 中村吉明氏は、昭和20年5月より101戦隊に空中勤務者として勤務し、所属する101戦隊とともに6月5日、成増飛行場に到着した。だが、新しい戦闘機の補充がなかなか行なわれず、箱根の保養所などで日々を過ごした。その後ぼちぼちと補充が進み、成増で訓練を続けたが、8月に入り部隊は四国地域の防衛を命ぜられ、8月10日前後に101戦隊は高松飛行場へ、103戦隊は由良飛行場へと移動した。ところが、中村氏と部下二人はそのまま成増に残るよう命令されたという。そして8月15日、その前日に天皇の重大放送が行われる(終戦の放送とは思わなかったそうである)との情報を知った中村氏は、当日は訓練を中止し、所用で新宿に出ていた。正午、伊勢丹近くの路上で玉音放送を聞き、急いで飛行場へ戻り、高松に展開していた本部と連絡を取った。そして、本部からこちらへ合流するように指示を受け、ただちに向かおうとしたが、当時、飛行場にあった3機の疾風のうち2機は動かず、かろうじて可動状態であった1機に乗って高松へ移動することにした。残った部下2人は、本部から連絡機を迎えに寄越し、これに同乗して出発することになった。翌16日、中村氏は大きく翼を振って成増飛行場を後にしたが、その翌日・17日に後を追った連絡機(一式双発高等練習機)が離陸直後に失速し、旭町に墜落してしまう。この時、操縦士を含め3名全員が殉職してしまった。

中村氏によると、滑走路を飛び立った一式双発高練は、上昇旋回の途中で機体のトラブルに気がつき、飛行場に戻ろうとして失速し、墜落したのではないかと話しておられた。

飛行機は、戦闘により失われることはもちろんだが、戦闘以外でも事故で失われることが多い。成増飛行場でも事故は頻発しており、47戦隊においても成増にいた時は、戦闘で失われた機体より、事故で失われたほうが多いくらいだった。

冒頭の写真は成増飛行場で使用されていた99式高等訓練機で、飛行場近くの麦畑に不時着、大破した様子。

こうしてみると、戦争とはいかに犠牲を多く生むものかと思うのだ。。

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宣伝☆鉄道の開通と小さな旅/西武・東上沿線の観光☆特別展

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 9月も半ばと言うのに、暑い。いや熱いですね〜 数は少なくなりましたがまだセミ君達が頑張って鳴いてますね。何年か前は光が丘公園で10月までセミを見かけたことがあります。


今回は、お隣、練馬区で開催される特別展の紹介をしますね。
日ごろ板橋区贔屓な記事を書いているせいで、かつては同胞であった練馬区の話題をあまり取り上げることはなかったかと思う。と、こう書くと練馬区民の方々は不愉快な気分になるかな。
練馬区は、昭和22年8月1日に板橋区から分離し、東京都特別区の最後として誕生した区だ。昭和7年(1932)10月1日、東京市の周辺5郡82町村を東京市に編入し、これを改編して新たに20区を設置、それまでの15区と合わせて35区とした、いわゆる「大東京市」の成立時、練馬村の住人の願いも空しく板橋区とされてしまった。よっぽどこのことが悔しかったのか、終戦後練馬区として独立するとやたらと板橋区をライバル視し、独立の周年ごとに旗を立て独立記念行事を行い、威嚇行為を続けている。区界においてはゴミ問題などしばしば紛争が起きたりして‥(ま、これはモラルの問題だが)これはまるで我が国と隣国との諍いと同じ、おっと、だんだん話題の趣旨がはずれてきた。私は平和主義なので練馬区さんとは穏便にしてますよ。同じ北豊島郡の仲間じゃないですか。

えっと、特別展の紹介でしたね。
2010年3月28日、石神井プールのあった場所に「練馬区立石神井公園ふるさと文化館」がオープンした。
(http://www.city.nerima.tokyo.jp/manabu/bunka/furusato/)
それまでは近くの石神井図書館(こちらも現在は新築)の地下にひっそりと資料館があるのみで、私は成増陸軍飛行場の調査でしばしばお世話になったことがあります。

新しくオープンしたふるさと館はガラス貼りの斬新な建物で、敷地内には茅葺き古民家も移築されている。
ふるさと館では、今週土曜日22日から特別展「鉄道の開通と小さな旅」が始まる。これは全面に出ていないが、西武池袋線(武蔵野鉄道)開業100年をきっかけとして企画された展示だ。練馬区を通過する西武池袋線、新宿線、そして東武東上線を対象とし、各鉄道沿線の観光地を紹介している。

練馬区に東上線?と思う人もいるかもしれないけど、我が故郷、東武練馬駅周辺では東上線の線路は練馬区の敷地に微妙に重なっていたりする。だから練馬区北町領である東武練馬駅南口には練馬区内の駅に設置されている松本零士氏のアニメキャラを使った看板が設置されている。以前、練馬区の観光関係の課長から聞いたことがあるが、練馬区の売り物は”農業とアニメ”です。ときっぱりと言っていた。そのせいか、ふるさと館の常設展示も大根栽培やアニメ関連の展示が幅をきかせている。


私は今回の特別展にほんの少し協力をしたので、先に展示物を拝見しているが、西武鉄道の関係各所をはじめ、鉄道博物館や江戸博、豊島区の資料館、その他多摩地区の資料館や個人コレクターからレアで貴重な資料をこれでもかと集め、マニアや興味のある方ならば一日中楽しめる内容となっている。是非、ご観覧をお勧めする。


開催期間 2012年9月22日〜11月11日(休館日 月曜日ー祝日は開館)午前9時〜午後6時

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