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2012年8月

なかなか手に入らないもの。

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 暑い。いや、熱い。川越街道白子川そばのニトリで買った遮熱カーテンを通しても熱波がビンビン当たる。

7月下旬からお盆休み過ぎまで仕事が集中してまったく休む間がなかった。まあこんなご時世に仕事があるだけでありがたいものだが、暑いさのせいでよけいに体調と気力を奪われたように思う。

何かを調べたり文章を書いたりするのも習慣が必要で、いったんサボるとなかなか再開が難しくなるのはいつものこと。リハビリのため感想文から始めようと思いマス。


 先日、鳥取県にお住まいの、ある若い女性から本が送られてきた。本の題名は「えっ、そうなの!?」んっ、なんなの?と思わず言い返してしまいそうだが、表題上に小さく「実録:ほくろからみた陸軍少年飛行兵」とある。そう、この本は、陸軍少年飛行兵第13期生出身のある特攻兵に聞き取り調査を行い、それを纏めて上梓した本だ。イラストもふんだんに使われた力作だ。なぜ、この本を当ブログで紹介するのかというと、私も、このブログに記載した記事を通して著者である細田京香嬢から連絡をいただき、ほんの少しだけ協力をしたからだ。

最初に連絡をいただたのは昨年末か今年初め頃だったのか、まあ、ドキュメンタリーの本を出すのは精神的にも資金的にもなかなか大変なので、途中で頓挫しなければいいなあと思っていたけど、予想以上に素晴らしい体裁で出来上がり、驚いている。まだ内容を詳細に拝読していないので安易な感想は控えておくけど、主人公の方のことはともかく、いろいろ周辺状況も調べたようで、なかなかの力作だ。

私も、地元である成増陸軍飛行場については様々に調べ、時にはアメリカまで出向いたりしているが、いっこうにそれらの成果を纏められないでいる。それは一重に私の怠慢であるが、今さらながらドキュメンタリー取材の難しさを痛感している。細田嬢の場合、一人の主人公を軸に話が展開しており、その主人公の方はご健在で、細田嬢の取材には、時にはうっとおしい思いをされたこともあったようだが、協力を惜しまず、いわば二人で作り上げた幸運な本である。

戦争の取材、特に人間への取材はそうとうなストレスを伴うもので、よほど心が強くなければ継続出来ない。心が強いとは、仕事のため心を鬼にするとか、人の心に平気で土足で上がり込む根性があるとかそんな意味もある。
私が昔から参考として著作を拝読させていただいている戦記作家に、渡辺洋二氏がいる。この方の取材力は実に巧みで、過去多くの47戦隊の方々にも取材をされている。実際、私が7年くらい前に集中して聞き取り調査を行っていた時に、元隊員の方から、あんたの来るちょっと前に渡辺洋二氏が取材に来たよという話を聞いた。その時の取材の成果はそれから1年か2年後に「航空ファン」誌で紹介されていた。

渡辺洋二氏は1980年頃から戦記取材を専門として執筆を始め、実に多くの著作がある。裏付け調査も相当されているようで、文章もうまい。そんな渡辺氏だが、2年ほど前に突然、航空ファン誌上で戦記に関して絶筆宣言をし、ペンを置いてしまわれた。絶筆宣言には、もう取材対象者が高齢となり、新たな事実を発掘出来なくなった、等の理由が述べられていたが、昔、取材を行なった方に再取材したら、前と180度違う話をするなど、自分が取材し書いてきたことを否定されたことに非常に傷つき、それらも絶筆の原因となっているようだ。
私も、渡辺氏の絶筆宣言に書かれた気持ちが、わかるような気がしている。歴史は枯れなければ歴史にならないとはよく聞く話だけれど、その通りかもしれない。しかし、いままでの膨大な取材資料や経験がおありなのに、断筆されるのは非常に惜しいと思う。

しかし、今回紹介した細田嬢の著書のように、新しい書き手による本は毎年いくつか出版されている。だが、残念ながら大手出版社以外から出た、ほぼ自費出版に近い本は、よほど興味があって探し出す努力をしなければ発見も購入も出来ない。著者も自分の子供のように手をかけた本を、ネットが普及した現在でも世の人に知らしめるのはなかなか難しい。私も成増陸軍飛行場を調べるにあたっていろいろ関連本を探しているけど、奇跡的に手に入ったものなどもあり、見つけるのは大変だ。戦記本専門の紹介サイトってないのかなあ。。

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☆板橋区民、銀座パレードで手を振る☆

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 早くもリハビリ更新第2弾である。

今、ニュース番組でさんざん報道されているが、今日のお昼前、東京の銀座でロンドンオリンピックメダル受賞者を讃えるための凱旋パレードが行われた。

ちょうど銀座ニコンサロンに最近買ったNikonD3200の機材登録をしに行こうと思っていた私は、筆おろしを兼ねてちょっとパレードの様子でも見てやるかな、決して野次馬じゃなく、たまたま通りすがりに撮るだけだからね。なんて言い訳しつつ逸る気持ちを胸に、有楽町線で銀座(有楽町駅)に向かった。
ニコンは10時30分オープンだから、その頃に着いてすぐに手続きすればパレードを見れるだろう、なんて考えは大甘だった。すでに有楽町駅地下道は人で溢れ、銀座通りの封鎖も始まっていて、北側(晴海側)への移動は出来なくなっていた‥というか、近づくことも出来ないありさま。ニコンは松坂屋の近くにあるので側道を7丁目方面に進むが、人がどんどん押し寄せてくる。10時40分、ようやく松坂屋付近まで出るが、人波でまったく動けなくなってしまった。

もうこれ以上どうしようもないので、諦めてその場所からパレードを見ることに。しかし、暑い。いや熱い。気温もそうだが、満員電車のように人人人に埋め尽くされ、温度はヒートアップ。汗が滝のように出てくる。。倒れそうになりながら待ちつつ時計は11時15分、4丁目方向からざわめきがいっせいにおこり、
回り中の人々がカメラを持った手を伸ばし始めた。もうこんな状態じゃとてもフレーミングして撮影するのは無理だ。すぐにライブビューモードに切り替えた。選手の乗っているのは2階建てバスでタッパはあるが、カメラを向ける人、バンザイする人、帽子を振る人、団扇を振る人入り乱れた中で撮影するのは至難の技だった。

という訳で、それでも必死で撮った写真をupします。スポーツに疎い私はレスリングの伊調選手くらいしかわかりません‥(半分切れているのは小原選手かな、スミマセン)あとは背泳ぎの入江選手やバレーボールの女子選手ですかねえ。あとで知ったけど、体操の内村選手とか卓球の愛ちゃんとか室伏選手とか北島選手やサッカーの澤選手などは皆反対側にいたそうで、残念。。
パレードが終わった後もなかなか人波は引かず、銀座通りを渡るのに20分も待たされ、ようやくニコンサロンにたどり着きました。

このブログは基本的に板橋区関連の話題を語らなきゃいけないので無理矢理繋げてみると、北区の西が丘に「西が丘国立スポーツ科学センター」がある。住所は北区だが道を挟んで反対側は板橋区蓮沼町で、もより駅も三田線本蓮沼駅だ。ここは国の研究施設も兼ねていて、多くのオリンピック出場クラスの選手が出入りしているのだ。だから地元の掲示板でもちょくちょくメダリストの出没情報が出ているんですね。

それにしても、パレードの沿道はもの凄い群衆でした。こんなに日本人を見たのは新年の一般参賀くらいですかね。帰ってから見たニュースでは50万人が集まったらしい。これは板橋区の人口とほぼ同じだ。すごいですね〜


ところで、選手達の乗ったバスは4台で、ゆっくりしたスピードではあったが見物人の前をすぐに通り過ぎてしまい、物足りない感があった。そのせいもあるのだろうが、近くにいたおばちゃん達が、オリンピックに参加した全選手でパレードすればいいのにねえ、なんて話していたけど、それはどうかなあ。それこそ命をかけて日本のために戦場で戦った兵士の凱旋パレードならともかく、がんばった努力は認めるが、メダルに届かなかった選手達は、あの凱旋バスの上で手を振るのはダメだと思う。運動会で皆で手をつないでゴール、なんて愚は出来る人間の芽を摘むだけだ。努力の、さらにその向こうにある栄光を手にした者だけが得られる世界がなければいけないのだ。

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宣伝☆写された板橋展☆始まる。

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 リハビリ第3弾、という訳で宣伝を一つ。

先月14日から板橋区立郷土資料館では「描かれた板橋・写された板橋」展が行なわれている。前半は絵画に描かれた板橋風景で、昨日からは写真で撮影された板橋区の風景が公開されている。

会場には嘉永年間に撮影された板橋最古の写真や、徳川慶喜が明治時代に板橋で撮影した写真、戦中や戦前、徳丸たんぼで撮影されたものなど貴重な写真がずらっと並んでいる。板橋ファンならば見逃せない展示ですよ!!


会期:9月23日(日)まで


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☆大河ドラマは板橋区から☆〜綾瀬はるかと高島流〜

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 今週某日、栃木県内射撃場で来年の大河ドラマ「八重の桜」出演者及び制作スタッフ向けに、板橋区の誇る西洋流火術鉄砲隊保存会による銃の扱い方や撃ち方の指導が行なわれた。

いつもの如く、特殊な交渉術(by TSH)によりその潜入に成功しレポートをしますが、なにせ極度の自主規制を含めた配慮を求められるので、その範囲内での報告だ。

銃の指導は、主役の山本八重を演ずる今もっとも旬な女優・綾瀬はるか嬢とその最初の夫役(川崎尚之助)となる長谷川博己さん(セカンドバージンとか家政婦のミタの若い父親役)向けに行なわれた。白いニット帽を深く被り、あとは黒のシャツとレギンスと全身黒づくめの格好で現れたはるか嬢だが、高伸長(170㎝近い)と色白の肌、細身だがボリュームのある身はさすが女優さんであった。長谷川さんは紺色のキャップにデニムシャツのラフな格好だが背が高く(180㎝以上か)やっぱりカッコいいですね。それに、子供時代を演ずる小学校一年生くらいの女の子が見学に来ていた。

NHKでは警察の許可のもと、撮影用に3丁のスペンサー銃の模造品を作り、すでにはるか嬢も何度か構えているそうだが、実銃は初めてとのことだった。長谷川さんは先々週に板橋区の郷土資料館にいらして、いろいろ勉強されたらしい。
まずは西洋流による空砲実演を見学してもらい、その後、銃の構造や扱い方の講習を受けた。はるか嬢は大柄な方なので、銃を構えてもなかなか迫力がある。この日は発砲許可のある前装洋式銃を所持する方が実銃を持ってこられたので、その銃の実演も見学した。
はるか嬢はテレビなどでお見かけする通りの感じの方で、表情もクルクル変るし、発砲後の硝煙の匂いを「ん〜牛肉の焼けるニオイがする〜」(そんなニオイはしないと思いますが‥)などとおっしゃっていた。長谷川さんは、私が覗いていた射撃的(まと)を観察するスコープを「見せて下さいよ〜」と奪い、「うわ〜当たってんじゃん!」と少年心を刺激されたのかノリノリの感じだった。

大河ドラマ「八重の桜」は聞く所によれば、こんな感じでストーリーが進んで行くそうだ。

冒頭、アメリカ南北戦争の決戦地、ゲティスバーグの戦場が描かれる。折り重なって倒れている兵士と夥しい銃器。そこから1868年の会津戦争・鶴ヶ城攻城戦へと場面は飛び、スペンサー銃を駆って「ならぬものは、ならぬのです。」とつぶやきながら引き金をひき奮戦する八重の姿が。そして物語は1851年、6歳の八重から始まる。この時代、ようやく会津に洋式銃がもたらされた頃で、ドラマ中、高島流徳丸原調練のことが触れられるようだ。八重はとにかく山本家の家業である砲術に興味津々で裁縫よりも銃のことを学びたいが、女が銃に触るとは何事か、と固く禁じられてしまう。高島流砲術の奥義に、銃は人を殺傷する物でその扱いを厳しく諌める(規律する)条文があるが、その思想が強調されるらしい。(そりゃNHKが銃や武器を礼賛するわけにはいけないからね)

まっ、そんな感じで話は進み、3月上旬に藩主・松平容保(綾野剛)が京都着任・新選組誕生、下旬蛤御門、4月上旬長州征伐‥といったペースで話は進むんだとか。前半の重要人物で登場するのが西田敏行の西郷頼母や勝海舟、佐久間象山かな。会津に西洋流砲術を本格的に持ち込むのは八重の兄・山本覚馬で、藩の命令を受け、江戸へ蘭学の勉強をしに出、そこで勝海舟の紹介で佐久間象山(海舟の妹の旦那だ)の塾に通い砲術や蘭学を学ぶ。(象山は高島秋帆の高弟・江川担庵や下曽根信敦から高島流砲術を会得)その塾で川崎尚之助と出会い、意気投合して会津に連れ帰るといった案配だ。

とにかく維新までの八重は銃フェチで、ひんぱんに銃の事情が描かれる様子で、幕末兵器好きにはたまらないだろう。すでに茨城のワープステーションには鶴ヶ城攻城戦のオープンセットが組まれつつあるそうで、冒頭に使われるシーンを含め、戦場場面の撮影は来月にも行なわれる。NHKではアメリカで大砲も作ったそうで、それらも使われるのかな。最初の頃、見栄えや過去の戊辰戦場シーンで刷り込まれたアームストロング砲のような大砲を使いたがっていたけど、時代考証で、実際はもっと寸胴で地味なモルチール砲(臼砲の原型)が主に使われたので、それじゃなきゃおかしいとの意見が出されていたがどういう表現になるんだか。

大河スタッフ達との雑談で、はるか嬢が「監督う〜クランクインはいつからだっけ〜?、どの場面からやるの〜? 私、方言まだ入ってないの〜」とかいろいろ興味ある話が聞けたが、残念ながら配慮の範疇なので自主規制です。現場にはドキュメンタリーの撮影部隊も来て撮影していたので、この射撃場での様子も番宣として放映されるかもしれない。最後に本日の参加者全員で記念写真を撮影し、講習を終えた。西洋流鉄砲隊の皆様方、ご苦労さまでした。
‥それにしても本放映が楽しみだなあ。。

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板橋区民、あっちゃんの卒業でインディーズ時代のAKB48を思い出す。

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 昨日は、いまや社会現象ともなったアイドルグループ・AKB48の絶対エース?の前田敦子嬢がグループを脱退する日ということで、ずいぶんマスコミが騒いでいた。公共放送のNHKですら午後7時のニュース、午後9時のニュースでも伝えるほどだった。
それに便乗して‥とはいやらしいが、AKB48がインディーズグループとしてまだ秋葉原界隈のみで活動していた頃、ほんの少しすれちがったことを思い出したので、書いてみる。

2005年10月、会いに行けるアイドルグループとしてAKB48一期生のメンバーがオーディションにより選ばれた。最初のメンバーは24名、厳しいレッスンを経て同年12月に秋葉原48劇場で第1回公演が行われた。しかし、この時の関係者以外の純粋な観客は7人だったという。(この時期、テレビドラマ「電車男」がフジテレビでオンエア中であった。)
この頃、特殊な交渉術(by TSH)により神田須田町の交通博物館に出入りしていた私は、確か秋葉原の地元情報誌でAKBの存在は知っていた。その時は、ああ秋元康が当時人気絶頂だったモーニング娘に刺激され、おニャン子クラブとは別のコンセプトでまたアイドルグループを作り始めるのか、くらいにしか思わなかった。

その翌年、あの狂乱の交通博物館閉館騒動のまっただ中、フジテレビの電車男ドラマプロデューサーが、交通博物館閉館後に館内でドラマの撮影をさせてほしいと頼みに来た。当然だが博物館側の答えはノーだった。実は、前年に放映した「電車男」の撮影をするときにもロケ地の許可を求めたが、その時も拒否をされていたのだ。あんまりしつこいので何で交通博物館にこだわるのか?と聞くと、この博物館にはオタクの原点が宿っているんです。ここはオタクの聖地なんです。と言う。当時すでに秋葉原はアニメの街として出来上がりつつあり、(元はパソコンのエロゲのメッカだった)メイド喫茶も繁盛していた。いわゆる鉄オタとは違う種類だろ、と思っていた私だが、ドラマプロデューサーは根は同じ物だと考えていたようだ。

プロデューサーの熱意はすごく、放映されたドラマ内でも、確か、これなら文句ないだろうと近くの道路で交通博物館が写るように撮影したシーンがあった。まっ正攻法はダメだろうから交通博物館の運営本丸に行くといいかもねえ‥なんて独り言のようにいうと、はたして5月14日の閉館後に、館内でドラマの撮影が行われるとお達しがあった。そのドラマが「電車男」のスペシャル版「電車男Deluxe ~最後の聖戦〜>2006年9月23日放送、視聴率18.7%」だった。

交通博物館での撮影は、6月の第一週に行なわれた。ドラマのあらすじはウエキペディア等で検索していただくとして、秋葉原の征服をもくろむ、サイバーネクスト社の社長?(北村一輝)が電車男(伊藤淳史)を陥れるために作った「電車男博物館」に迷い込ませる、と言うシーンのロケ地として使われた。(これじゃなんだかさっぱりわからないと思いますが‥)そう、ここでAKB48が登場するのだ。AKB48の役はサイバーネクスト社のエージェント?だった‥かな??とにかく、博物館内のステージでコンサートを行うのだ。それは、6月4日の午後5時過ぎのことだった。

ようやく、本題に入る。なぜ、この日に撮影が行われたのか‥それは、3日後の6月7日に発売されるインディーズ2ndシングル「スカート、ひらり」発売記念として、チームA・K初の合同ライブが秋葉原UDXで開催された日に合わせたからだ。この時は約1500人を動員し、AKBはすでに秋葉原では大成功を収めつつあった。その時のコアなファンを選び、交通博物館内のステージでエキストラとして動員していた。(上右側の写真が、交通博物館駐車場で待機するコアなファン達。)

私はこの時、初めてAKB48を見たわけだが、印象は「良く訓練されたケバい少女達」だった。(ファンの方々ごめんなさい‥)たしか撮影のため、何度か同じ歌をステージで繰り返したんだっけ。今から思えば、すぐ目の前で歌や踊りを見れたのは良かったんだろうなあ。(こうして自慢げにブログで披露出来たからね。)当時はこんなにビッグ(あらゆる面で)なグループになるとはまったく想像出来ませんでしたよ。ホント。

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