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2012年7月

板橋区民、さらに母島へ。

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P7020187P7020201P1000934P1000918_2P1000971P1000989P1000998P7030267P7030264P7030295P1010001 ここ数日間、upしませんでしたが、板橋区民は父島よりさらに東、東京から1050キロ離れた母島まで足を伸ばしていたのですよ。
今はまた父島に戻ったけど、宿泊先のネット環境が悪く夜は使用出来ないので、早朝、あわただしく作業をしている。そのため、写真の配列や文章の推敲をしている余裕がないので、へんな部分はご容赦くださいませ。。
と、いうわけで母島滞在記はダイジェストでお送りする。

 7月1日、二見港から”ははじま丸”に乗船し、母島へ。約2時間の航路だ。小笠原丸よりもずっと小さいので波の影響を受けやすく、けっこう揺れたりする。宿にチェックインし、すぐに母島最高峰(463m)の乳房山を目指す。ガイド本なんかでは乳房山ルートは”遊歩道”と紹介されてるけど、と-----んでもない。
父島もそうだけど、観光地図では高度の変化がわかりにくいが急峻な島なので坂道が多い。乳房山も入り口から坂道で、標高は低いが”登山”といっていいだろう。登り始めそうそう、すぐにへばってしまった。おまけに蒸し暑い!!くじけそうになりながらもなんとか頂上へ。残念ながら天気が悪く頂上は視界が悪く途中の写真をup。さすがに樹木の雰囲気も独特ですね。塹壕跡など戦跡もいたるところに。(戦跡に関してはまた、あらためて。)

1日目は登山だけで終わり、翌7月2日。原チャリを借りて南北に長い母島を探索。真ん中に石の桟橋っぽいのが見える写真は一番北の端にある「北港」、次の写真は一番南端の”小富士”頂上から撮影した南崎ビーチです。砂浜ではなく”小石浜”で歩くのに難儀しました。水中写真もうまく撮れませんでしたが、海流が激しいところなので、魚も珊瑚もそれほど‥いないようでした。

さて夕焼けです。う〜〜ん、これは素晴らしい!!泣きたくなるような、そんな感動を覚えました。
で、夜はガイドの案内でナイトツアーへ。光るキノコ、グリーンペペ。ホント、幻想的でしたね。自然探求路の途中にあるんですが、とても一人じゃ行けない所です。その後は港ちかくの砂浜でアオウミガメの産卵を見学。当然自然の物なのでいつでも見られる訳ではなく、ラッキーでした。ライトは禁止なので写真はあまりないですが、産んでるところはガイドさんの指示に従い、少しだけ撮影可能。だいたい120個くらい産むそうです。雄叫び上げながら産んでました。
ピンポン玉のような卵は産んでるそばから、すぐに掘りだして近くのふ化場へ。ほっとくと蟹が来て片端から食べちゃうそうです。。
 
 あけて7月3日、無人島の平島と向島へ行きました。ここは奇麗な珊瑚やたくさんの魚がいました。‥しかし、せっかく買ったオリンパスのTG-1でしたが、どうも使い勝手がよくないですね〜。とにかくレンズ内部が曇るんですよ。これは欠陥じゃないかなあ。upした写真のサイズが微妙に違うのは、もう一台のパナソニックとの混在だからです。


ではまた。さっき島内放送で、本日入港の小笠原丸は乗員550名、午前11時30分入港予定と言ってました。今日も父島はカンカン照りだ〜〜


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板橋区民、母島の戦跡へ。

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ここ母島にも戦跡がたくさん残っています。昭和19年には混成第1連帯が置かれ、約2200人が駐屯していました。開戦時には母島からグアム島攻略部隊が出撃したそうです。建物の跡や、弾薬庫も残ってます。弾薬庫の内部には計器(車の物か?)なんかがありました。天井の照明も状態よく残ってます。
ジャングルの中には12センチ砲が2門ありました。大きくて迫力があります。そのうちの一門の近くには探照灯の残骸があり、おそらくセットで使用されたのでしょう。
さて、板橋区民の皆様方のために、漁船をチャーターして海からしか見れないトーチカを撮影しました。当時の状態とあまりかわらないそうですよ。今でも遥か海上に睨みをきかせている砲もあります。

さて、戦跡の写真ばかりじゃ無粋なんで、母島の夕日をお楽しみください!!それはそれはチョー奇麗でしたよ。

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板橋区民、父島の大自然と戯れる。

 きのう朝のことですが、頭がガリガリするなと思ったら、頭皮がベロリンチョと剥けました。(少ない髪の毛と一緒にです‥)

さ、気を取り直して父島滞在後半、ネイチャー編を一気に公開!!

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境浦海岸に沈む「濱江丸」。太平洋戦争中、米軍の攻撃を受けつつも物資を守ろうと浅瀬に逃げ込み座礁しました。30年くらい前はもっと船体が海上にでていたんですが、風化で崩壊して今はこんな感じです。水中には巨大な残骸がいっぱい折り重なり、珊瑚や魚の住処となってました。

さて、父島観光のハイライト、南島上陸です。南島は自然保護のため一日100人の上陸制限があり、ガイドツアーでなければ入島出来ません。島の砂浜には1000年くらい前に絶滅した”ヒロベソカタマイマイ”の化石がいたる所に。
海ではイルカやマッコウクジラの親子にも会えました。兄島水中公園では愛嬌のある魚クンのご挨拶も。いろんな熱帯魚が乱舞して夢の国のようでした。。

三日月山のウェザーステーションから見た父島の夕焼けです。‥美しいですねえ‥。まあそんな時期ですからしかたありませんが、若人がいちゃいちゃしてやがりました。いまのうちだからな。けっ。

二見港と街を照らす月明かり。夕ご飯は寿司屋で亀肉の煮込みを食べました。刺身肉は淡白な味でしたが煮込みはクセがあるようですね。この店では観光客が食べやすいようにショウガ醤油味付けてました。う〜ん、一回食べればもういいかも。


では本日も予定が詰まっているので、このへんで。

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板橋区民、父島の山中に祈る。

 とうとう、小笠原を離れる日が来た。はっきり言ってさびしいもので、名残惜しさは尽きない。島のガイドさんに聞いた話だが、先月も案内した若いカップルが島を大変気に入り、本気で移住を考えて村役場に仕事を探しにいったそうだ。東京から1000キロも離れた離島だが、イオンやマックやケンタや吉牛やすき屋やかつ屋や大江戸屋が無くてもそんなに不便を感じないし、島を走る車のナンバーが「品川」表記なのも、”東京”に守られているようで安心感を与えるのかもしれない。

最後の写真は後半の日程で訪れた父島の戦跡の続きを送ります。

P1010411P1010431P1010426P1010428P1010473P1010476P1010479P1010488P1010491P1010492P1010493P1010499P1010502P1010504P1010507P1010518P1010529P1010525P1010526P1010527 父島のいたる所に残る戦跡は、自然探求路のそばにあることが多い。しかし、不思議なもので戦跡を見るという眼を持って歩かなければ気がつかないのだ。
今回はまず景勝地、”ハートロック”という南島に面した赤土の崖(この赤土が海上から見るとハートの形に見える。)を目指した。けっこう山登りがキツいコースと聞いていたが、だらだら登るぶん、母島の乳頭山よりは楽だ。

ここは崖付近まで軍用道路が通っていたので、置き捨てられたトラックの残骸が多く残る。電源車や観測車なんてめずらしい車もある。車は日産とトヨタでしたね。軍用はこの二社が独占していたんですかね。タイヤはDANROPとかYOKOHAMA、ブリジストンなどなじみ深い社名が刻んでありました。すでに70年近く放置されると、かつてはトラックが走っていた道もジャングルに戻ってしまいます。

お次ぎは今回のハイライト、通称”グラマン谷”へ向かう。
この谷には大戦半ばに登場し、それまで世界に誇っていた日本軍機を蹴散らし、大戦末期には日本本土でも暴れ回った憎っくき米国戦闘機「グラマンP-51」が、我が友軍対空砲により撃墜された現場だ。
ここも自然探求路の一角にあり、入り口から15分くらいの場所にあるのだが、ガイドさんですら迷ってしまうという、まるで青木ヶ原の樹海みたいな所だ。墜落現場へ行く途中にもドラム缶の残骸やら壕が残る守備隊のいた痕跡が至る所にある。

なんとか迷わず現場に到着。おお、最初に見に入るのはあの特徴的な主翼の片側ではないか!ちょっと離れた場所に防弾壁、そして谷の下にはイギリス・ロールスロイス社製のマリーンエンジンが転がっている。側にはプロペラ部の先端が‥。プロペラは残念ながら一部は切断されて持ち去られているようだ。機体にペイントされていた、U.S.ARMY P-51の文字がかろうじて読み取れる。

さらに谷を下ると、壕の中にその他の機体の残骸が集められていた。そして、壕の入り口には「REST IN PEACE P-51」と書かれたコンクリート製のプレートが‥。”安らかに眠れ”とでも訳すのですかね。。


かつて激しい戦争が行われた痕跡は、70年という時が流れ、この小笠原の豊富で美しい自然の中で、静かに眠っているようです。

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宣伝 ☆描かれた板橋・写された板橋☆展始まる

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 ‥暑い‥。同じ暑いでも小笠原の暑いとは全然違う‥

未だに小笠原の素晴らしい風景が頭から離れない板橋人であったが、連日の海海山山海山山と駆け巡った日々のダメージが体に負担となり、復活するのに5日かかってしまった。


さて、昨日から赤塚溜め池公園にある板橋区立郷土資料館では、”板橋区制施行80周年記念展”と冠し、「描かれた板橋・写された板橋」と題された展示が始まった。(平成24年7月14日〜9月23日まで)

展示内容は「第1期展示/描かれた板橋 7月14日〜8月19日」「第2期展示/写された板橋 8月20日〜9月23日」と2つに別れて行なわれる。
”描かれた”、とは絵や地図に描かれたもので、”写された”、とは写真で写されたものだ。

私にとっては大変に興味を引く展示内容なので、さっそく見学に出かけた。会場には、浮世絵や古文書、地図や絵画で描かれた板橋区内の様々な風景が並んでいる。でも(批判するわけじゃないですよ)過去、別の展示の際に見たものが多かった‥気がするのはしかたない。だいたいこのようなお題の展示や、”区民のお宝公開””秘蔵収蔵品公開”なんてお題のついた展示の時は、予算がない場合の企画と相場は決まっている。
でも今回は渡辺華山直筆?の”板橋”の挿絵(表現に困るけど、板橋宿の石神井川に架かる板橋のことね)や、隣の美術館から借りて来た寺田政明の描いた絵などは見た記憶がなかった。特に渡辺華山の絵は、石神井川の川面に降りる石段や船着き場も描かれていて、それがリアルでした。ほとんどの板橋の絵は、橋と川と店や家だけのパターンですからね。しかし、浮世絵で描かれた板橋はどうもねえ‥どれもこれも何が板橋なの?という感じだ。

予算がないからしかたないけど、日本洋画家の大家、中川一政( 1893 - 1991)の「下板橋の川辺、冬」国立近代美術館蔵、や「 風景;下板橋火薬庫附近 」横須賀美術館蔵、児島善三郎(1893-1962)の「早春の下板橋付近」なんて作品が並んでいるところを見たかったなあ‥

上に告知したけど、展示は2期に別れて行なわれ、「第2期展示/写された板橋 8月20日〜9月23日」では写真が並ぶ。パンフレットに記載はないけど、ここでは私が収集し、当ブログで紹介してきた板橋のお宝写真がいくつか公開される予定だ。
今年はいくつかの博物館から資料の貸出し依頼があり、私の所蔵資料が展示される機会も多いようだ。その告知は期日が近くなってからしますね。

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