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2012年3月

☆明日明後日は赤塚城へGo!☆

3月に入りました。
先月、新しいスクープをUPすると大風呂敷しましたが、いや〜年度末進行と確定申告処理で気持ちに余裕がないんすよ。もうしばしお持ち下さいネ‥すんません。

そんななか、宣伝をしなきゃなりません。明日、3月3日と明後日4日は赤塚溜め池公園にて恒例の「梅まつり」が開催される。それと同時に、3日は赤塚城戦国絵巻武者行列、4日は古武道実演会が赤塚城趾にておこなわれます。天気も回復するようなので、是非、足をお運び下さい〜☆


「梅まつり 赤塚城戦国絵巻武者行列」

3月3日(土曜日)
午後12時50分、板橋区立郷土資料館を出陣
  13時00分、板橋区立美術館前ステージ前、開会式待機
  13時30分、ステージにて到着状読み上げ&勝鬨
  13時45分、赤塚城趾へ向けパレード
  14時10分、赤塚城趾にて儀式開始
  14時40分、終了

「梅まつり 古武道実演会」

3月4日(日曜日)
午前10時頃から 赤塚城趾にて鷹など公開
  11時00分、開会挨拶
  11時10分、双水執流 居合い
  11時30分、正木流萬力鎖術・十手術(11時50分まで)
午後13時00分、根岸流手裏剣術(13時20分まで)
  13時30分、
  14時00分、バグパイプ演奏
  14時10分、西洋流火術鉄砲隊保存会演武
  14時30分、演目終了

「実施場所」
赤塚城趾公園  東京都板橋区赤塚5丁目35番地

☆板橋区立郷土資料館にて特別展「当世具足〜大名とその家臣団の備え」開催中!!


[緊急告知]
####予定されていた「鷹匠」は中止となりました!####
####予定されていた「鷹匠」は中止となりました!####
####予定されていた「鷹匠」は中止となりました!####

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☆祝!板橋区立郷土資料館・入館者二百万人達成☆

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 今日はめでたいひな祭り。爽やかな晴天に恵まれましたね。そんな赤塚郷は溜め池公園で、「梅まつり」が開催された。残念ながらかんじんの梅の花はほとんど咲いてないけど、たくさんの人で賑わってました。

そんな中、特別展「当世具足〜大名とその家臣団の備え〜」が開催されている板橋区立郷土資料館では、この日、めでたくも二百万人目の入館者を迎えた。
郷土資料館のある溜め池公園は、昭和40年代の初めから整備が始まり、昭和47年7月に資料館が開館した。そして、平成2年1月、現在の建物が完成し今日に至っている。

二百万人目のキリ番をゲットしたのは写真のご家族だ。この日は偶然にも赤塚城趾公園で行なわれた「赤塚城戦国絵巻武者行列」に参加された、坂本板橋区長と別府教育長が着到状の儀式を終えて資料館に戻ったところで二百万人目の入場があり、坂本区長から花束が贈呈された。あまりにも出来過ぎなタイミングだったが、区長が着替えをはじめていた時に連絡がきて、あわてて着衣しなおしたので、本当だったのかなと思います。坂本区長は我が赤塚郷土着の一族出身で、たしか区長で17代目だったかな。成増菅原神社の氏子総代や松月院の檀家総代などの重責も勤めておられます。

さて本日はもう1枚写真を。
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えっへん。とうとうカミングアウトしよう。この勇ましい甲冑姿の武士は初公開、不肖・ワタクシの勇姿である。火縄銃を持ち、板橋区のマスコットキャラ、りんりんちゃんとハイ・ポーズ。
きのう、年度末進行と確定申告で忙しいとのたまっていたのに何やってんじゃ、と思われますが、いつもお世話になっている関係上、たまにはボランティア協力しないと不義理ですので、コスプレ参加してみました。イミテーション甲冑ですが金属製(子供達のは紙製)なのでけっこう重いです。これで草鞋履いて戦えといわれてもムリですね。。こんなことやってるから仕事が捗らないわけで、ではこのへんで。
明日は古武道大会開催です。興味のある方は是非、お越し下さい。

[緊急告知]
当初予定されていた「鷹匠」は中止となりました。

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Wao! ケーシー線とグラントハイツ線、ドッチが正シイノデスカ?

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 今日は少し寒いですが、ようやく春の気配がしてきましたね。ワタシもそろそろ春眠から醒めなければ・・なんて、まだまだ年度末進行にしばられております‥

そんな日々ですが、いいかげん新ネタをupしないと訪問数も下がり忘れ去られてしまう‥のでコレクションからトピックを一つ。

最近、長年探していた終戦直後の「東上線列車運行図表」が手に入った。いわゆるダイヤグラムというやつだ。入手した運行図表は昭和26年(1951年)1月20日改正の物で、前年6月から始まった朝鮮戦争で米軍用物資の輸送が盛んだった時期のものだ。
それでは、さっそく現物を検証してみよう。まずは啓志線、ケーシー線から‥ん?無い?変だなあ‥ん?G.H線てなんだろう?

通過駅は「省池袋ー西山信号所ー下板橋ー大山ー中板橋ー武蔵常盤ー上板橋ー北部信号所ー練馬倉庫ーG.H.」とある。詳しく解説すると・・省池袋とは省線池袋、今のJR線池袋駅だ。終戦時にはもう”国鉄”の名称になってましたけどね。西山信号所とは現在の北池袋駅(付近)で、JR線から東上線に繋がる線路が乗り入れるポイントです。中板橋まではわかりますね。次の武蔵常盤はときわ台駅のこと。この時期はすでに現駅名に替わっていたはずだけど、旧表記のままですね。そして上板橋駅、北部信号所。北部信号所なんて初めて聞く名称ですが、西山信号所と同じく、グラントハイツ方面への分岐点を差すのでしょう。いまは洒落たマンションが建っている下り線ホーム南側に、かつては貨物用の建物とホームがあったので、そこの名称だったのかも。さてさて、分岐線に入ると‥練馬倉庫、これは今の練馬自衛隊ですね。戦時中は北区の陸軍第一造兵廠の倉庫でした。そして終点のG.H.駅。これはGrant Hieghtsの頭文字でしょう、間違いなく。
ケーシー線の名前は、練馬倉庫からグラントハイツまでの側線工事の現場指揮官だったヒュウ・ケーシー中尉の名前から付けられた”愛称”と思われ、基地が”グラントハイツ”と正式に命名されるまで使われました。
よって、開通した1946年3月下旬から1947年6月まで”啓志”が使われ、その後は”グラントハイツ(G.H.)”と名称が変わった、ということですね。


さて、運行図表の解析に戻りましょう。写真ではわかりにくいですが、図表記載の数値は、左から(下り列車に対する標準勾配)「上り」「下り」の勾配数値、練馬倉庫〜G.H.間のLと言う文字は”平坦な区間”の意味です。「区間キロ程」、「累計キロ程」、そして「駅名」と続く。上の右側写真「省イケ」「ニシ」などのカタカナは電報略字だ。2本の縦線は複線区間であること、1本は単線区間を表している。(上板橋駅までは複線、G.H.駅までは単線ということ)「開塞式通票」とは、線路を一定区間(閉塞区間)に区切り、1つの閉塞区間には同時に2つ以上の列車が入らない(入れない)ようにすることで、そうして安全を確保してます。通票はタブレットを使用していたようですね。方式についてはウィキでも見てね。

おまちかね、運行ダイヤグラムですが、この改正版では1日2本の貨物列車が運行されていたことがわかる。あれ、少ないなあ?とお思いでしょうが、物資輸送が盛んだったのはグラントハイツ建設当時だけで、あとは燃料用石炭などが主だったせいでしょう。出発地は下板橋の貨物ヤードからですかね。ちなみに国鉄線からの貨物列車の入線は24時間上下線1時間に1本ありました。G.H.方面への第1便、861貨物列車は9時39分発、上板橋駅(北部信号所)49分着、53分発、練馬倉庫58分発、G.H.駅10時4分着。折り返し862貨物列車として10時41分発、下板橋11時7分着。この時、国鉄線への貨物列車と重なるので、もしかすると連結をしてそのまま国鉄線へ出て何処か(横浜か?)へ行くのかもしれません。第2便は863貨物列車下板橋13時51分発、上板橋駅(北部信号所)14時0分着、4分発、練馬倉庫11分発、G.H.駅14時17分着。折り返し864貨物列車として14時57分発、下板橋15時38分着。こちらは下板橋で国鉄線との接続はないようです。


以上、ざっとした解説ですがダイヤグラムの見方にイマイチ自信ありませんので、間違いがありましたらご指摘下さいませ。それでは仕事に戻ります〜

*注)下の連続3枚の写真のダイヤグラムの段がズレてます。見にくくてすみません。

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