☆東上線の野望☆〜啓志線を買収セヨ!〜
最近、鉄砲演武のドキュメンタリーばかりでツマラナイ‥とおっしゃる読者の皆さん、久々に私のコレクションから逸品を紹介しましょう。(ちなみに、私は板橋関係紙屑コレクションを長年続けており、今日も滅多に拝めないお宝が届きました。すぐにブログへUPしないのはウンチクを調べるのに時間がかかるからなんすよ)
で、本日の逸品は東上線で配布されていた沿線案内パンフレット2種です。収集難度は高いですね。そのワケは写真をご覧いただけばわかりますね。何か変ですね。あれ?上板橋駅から支線が伸びてる?終点はグラントハイツ?ん?啓志線はRTOと国鉄が管理してたはずだけど??
と、いうまこと不思議な沿線案内ですね。早々に種明かしをすると、答えは東武鉄道の社史に出てますね。要約すると、啓志線の貨物運行は昭和30年頃には終了し、東武百年史によると昭和34年7月22日に東武鉄道が啓志線路線を買収しました。その後、運転営業免許を申請したが‥結局新線開業は断念したようです。百年史には断念の経過は書いてませんね。まこと怠慢で申し訳ないけど、買収断念については確か公文書があった記憶があります。(私の資料の山のどこかにあるんですがなにせあの地震でry)
さて、掲載の沿線案内の考察をしましょう。上板橋駅からの新路線がハッキリ描かれてますね。このパンフ、いつごろ発行されたのかという記載はありません。買収が昭和34年ということ、それと、池袋駅にビルが描かれてますねえ。悪名高い池袋駅西口の闇市を撤去し、東武百貨店のビルが完成したのが昭和37年です。描かれたビルが東武百貨店ならばそう書くだろうし、2種類のパンフのビルの形状が異なるので、丸物デパートか完成したばかりの西武百貨店なのかな。(でも当時、西武は宿命のライバルだから描かないかも)ということから昭和34年〜36年くらいの間に作られたものと推察します。沿線案内写真3・4には上板橋駅と成増駅の間にグラントハイツまで実線で描かれた部分があるけど、これはバス路線だそうです。実際は池袋駅からハイツまではバスで行くのがデフォルトでした。(でも気になる点がひとつ。池袋からお茶の水まで地下鉄線が描かれてますが、丸ノ内線がお茶の水駅まで開通したのが昭和29年、東京駅まで伸長したのが同31年‥ということは昭和29〜30年という可能性もあるかなあ、あ、でも買収が昭和34年ですからね、その数年前にパンフにはしないかな。)
そういうわけで、東武鉄道でも新路線開業には大いに乗り気だったようですが、実現には至りませんでした。その理由は推測するしかありませんが、昭和30年代初めにはすでに朝霞のキャンプドレイクへ連合軍基地としての機能の集約が進み、グラントハイツは近い将来、日本に返還されるとの観測がありました。しかし、話はなかなか進展せず、(返還実現は昭和49年)その間に沿線の宅地化が進み、複線の敷地買収も厳しくなったのでやめちゃった‥というのが納得出来るストーリーですかね。他の理由もあるとは思いますが。でも、沿線案内のパンフにはグラントハイツがしっかりと描かれているのが気になりますねえ。グラントハイツ線として開業するつもりもあったのかなあ‥、なんて秋の夜長に思いを馳せるには格好の資料ですね。東武鉄道百年史に記載されている短い文章だけではこんなに想像力をかき立てはしません。あっしはね、紙屑に大枚はたいて”夢”を買ってるんでっせ。へへ。
沿線案内4(一番右の写真)で、鎌北湖のところに”パウルハウス”と記載がありますが、これなんでしょうかね、気になるなあ。私の管轄外なので、どなたか調べて下さいね〜
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近のコメント