« 2011年10月 | トップページ | 2011年12月 »

2011年11月

☆東上線の野望☆〜啓志線を買収セヨ!〜

1234

 最近、鉄砲演武のドキュメンタリーばかりでツマラナイ‥とおっしゃる読者の皆さん、久々に私のコレクションから逸品を紹介しましょう。(ちなみに、私は板橋関係紙屑コレクションを長年続けており、今日も滅多に拝めないお宝が届きました。すぐにブログへUPしないのはウンチクを調べるのに時間がかかるからなんすよ)

で、本日の逸品は東上線で配布されていた沿線案内パンフレット2種です。収集難度は高いですね。そのワケは写真をご覧いただけばわかりますね。何か変ですね。あれ?上板橋駅から支線が伸びてる?終点はグラントハイツ?ん?啓志線はRTOと国鉄が管理してたはずだけど??
と、いうまこと不思議な沿線案内ですね。早々に種明かしをすると、答えは東武鉄道の社史に出てますね。要約すると、啓志線の貨物運行は昭和30年頃には終了し、東武百年史によると昭和34年7月22日に東武鉄道が啓志線路線を買収しました。その後、運転営業免許を申請したが‥結局新線開業は断念したようです。百年史には断念の経過は書いてませんね。まこと怠慢で申し訳ないけど、買収断念については確か公文書があった記憶があります。(私の資料の山のどこかにあるんですがなにせあの地震でry)

さて、掲載の沿線案内の考察をしましょう。上板橋駅からの新路線がハッキリ描かれてますね。このパンフ、いつごろ発行されたのかという記載はありません。買収が昭和34年ということ、それと、池袋駅にビルが描かれてますねえ。悪名高い池袋駅西口の闇市を撤去し、東武百貨店のビルが完成したのが昭和37年です。描かれたビルが東武百貨店ならばそう書くだろうし、2種類のパンフのビルの形状が異なるので、丸物デパートか完成したばかりの西武百貨店なのかな。(でも当時、西武は宿命のライバルだから描かないかも)ということから昭和34年〜36年くらいの間に作られたものと推察します。沿線案内写真3・4には上板橋駅と成増駅の間にグラントハイツまで実線で描かれた部分があるけど、これはバス路線だそうです。実際は池袋駅からハイツまではバスで行くのがデフォルトでした。(でも気になる点がひとつ。池袋からお茶の水まで地下鉄線が描かれてますが、丸ノ内線がお茶の水駅まで開通したのが昭和29年、東京駅まで伸長したのが同31年‥ということは昭和29〜30年という可能性もあるかなあ、あ、でも買収が昭和34年ですからね、その数年前にパンフにはしないかな。)

そういうわけで、東武鉄道でも新路線開業には大いに乗り気だったようですが、実現には至りませんでした。その理由は推測するしかありませんが、昭和30年代初めにはすでに朝霞のキャンプドレイクへ連合軍基地としての機能の集約が進み、グラントハイツは近い将来、日本に返還されるとの観測がありました。しかし、話はなかなか進展せず、(返還実現は昭和49年)その間に沿線の宅地化が進み、複線の敷地買収も厳しくなったのでやめちゃった‥というのが納得出来るストーリーですかね。他の理由もあるとは思いますが。でも、沿線案内のパンフにはグラントハイツがしっかりと描かれているのが気になりますねえ。グラントハイツ線として開業するつもりもあったのかなあ‥、なんて秋の夜長に思いを馳せるには格好の資料ですね。東武鉄道百年史に記載されている短い文章だけではこんなに想像力をかき立てはしません。あっしはね、紙屑に大枚はたいて”夢”を買ってるんでっせ。へへ。


沿線案内4(一番右の写真)で、鎌北湖のところに”パウルハウス”と記載がありますが、これなんでしょうかね、気になるなあ。私の管轄外なので、どなたか調べて下さいね〜


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011初興行!☆伊豆韮山演武☆

123

 ちょっと遅くなったけど、先週の日曜日(6日)、伊豆の国市はJR韮山駅近くの江川邸駐車場特設会場で行なわれた「担庵フェア2011」に、我が板橋区の誇る西洋流火術鉄砲隊保存会が参加し、集まった韮崎町民の皆様方の前で空砲演武を初披露した。ええ?駐車場で演武披露?ずいぶん落ちぶれたんじゃないっスか?‥なんて早とちりはいけませんな。重要文化財に指定されている”江川邸”でっせ。”韮山””江川”ときたら、そう、代官江川担庵(太郎左衛門)先生ですよ。なんと源頼朝の挙兵を助けた功によりこの地を賜り、それ以来、700年間に渡り領域を支配して来た名家中の名家である。おまけにその現御当主子孫様はなななあんと、お隣の練馬区氷川台に住んでおられるのだそうな。

前フリはこのくらいにしまして、このまつりは2005年(平成17年)に伊豆長岡町、大仁町、韮山町が合併して伊豆の国市が誕生して以来、市を代表するイベントを作れないかと模索して来た結果、古より伊豆の国市地域を支配して来た江川家を中心に据え「担庵フェア2011」を立ち上げることにしたのである。そう、今回はその栄光の第一回目のまつりなんですね。で、なぜそのまつりへ板橋区の誇る西洋流にオファーがきたのか・・江川家は豊臣秀吉による小田原攻めの際に、第28代英長が寝返って徳川家康に従い代官に任ぜられ、以降江川家は、享保8年(1723年)- 宝暦8年(1758年)の間を除き、明治維新まで相模・伊豆・駿河・甲斐・武蔵の天領5万4千石分(後26万石に膨れ上がる)の代官として民政に当たりました。その江川家でなんと言っても有名なのは幕末に活躍した、第36代の江川英龍先生ですね。英龍は徳川家幕臣で一番最初に高島秋帆先生の直弟子となり、西洋流の普及に勤めました。不幸にも秋帆先生は徳丸原調練の後、憎っくき南町奉行・鳥居耀蔵の策謀により罪人として埼玉県岡部に10年もの間幽閉されましたが、その間も秋帆先生の生活を助け、黒船来襲の機会に赦免を取り付け、その後は幕府の砲術指南役として名誉回復させるまで尽力をつくしました。そんな関係から、高島流を継ぐ我らが西洋流砲術隊がその恩返しとして演武を行なうことになったんですね。

まつり当日は一日雨の予報でしたが、演武の時は雨も止み、集まった見学者の前で堂々のパフォーマンス披露でありました。演武の際、銃が江川邸に向き、その方向が少し小高い丘であったため銃声の爆音が反射し、それはそれは勇ましいものでした。驚いて泣き出した子供もけっこういましたね。空砲演武を初めて見た方も多く、感激の拍手が鳴り止みませんでした。午後はステージ上で西洋流砲術の解説を行ないました。まつりはこれから毎年行なわれる予定で(時期は未定)、西洋流の砲術も常連のプログラムになるようです。

集合写真の真ん中に写る武士は、まつり当日、江川太郎左衛門に扮していた地元の方で、なかなか貫禄があり、英龍先生に似ておりましたよ。


さて、西洋流鉄砲隊、今年最後の撃ち納めは、いよいよ今週土曜日、赤塚体育館周辺で行なわれる「板橋農業まつり」オープニングパレード、赤塚城戦国絵巻武者行列の後方でおこないますのでよろしく。発砲は一発のみですので、お見逃しなく〜。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

☆2011板橋農業まつり☆

20111201122011320114

 かくして晴天に恵まれ2011年板橋農業まつりは成功に終わった‥。

と、いうことで速報ではないけど先週の土日両日にわたり、赤塚体育館周辺にて「第34回板橋農業まつり」が行なわれた。期間中、こんなに天気が良かったのは久しくなかったような気がします。11月は一年の間でもわりと東京の降雨量は多いのだとか。ともあれ、無事に赤塚城戦国絵巻武者行列と我らが西洋流火術鉄砲隊保存会による祝砲披露が、オープニングパレードの花を飾れることができて良かった。鉄砲隊の今年の興行もすべて終了。来シーズンは来年3月初週に行なわれる「赤塚梅まつり」が最初の興行ですのでよろしく足をお運び下さいませ。

戦国武者行列の出場も今年で4回目、だったかな。地元赤塚小学校と農業まつりでパレードの看板持ちや警備などで縁の下の力となっている、ボーイ&ガールスカウトの生徒等が参加してくれている。恥ずかしいのか、最初は甲冑姿になるのをイヤがるけど、いざコスプレ姿になり刀を差すとテンションがあがる所がカワイイ。ただし着物がきれる姫様部隊はさすがに人気で競争率が高いですね。

今年は天気もよく、人出もだいぶありました。でも、毎年のことだけど、午前中の、しかも早い時間に行かなければすぐに産直品が売り切れてしまうのはどうにかなりませんかね。数にかぎりがあることはしょうがないけど(天候にも左右されるし)せっかく出かけてもなんにもないのはガッカリしちゃいますからね〜

| | コメント (0) | トラックバック (0)

☆啓志線☆〜練馬自衛隊に残る枕木の秘密解明篇〜

222

 早いもんで、そろそろもういくつ寝るとお正月‥である。最近急に寒くなってきたが、それでもずいぶん暖かいような気がする。私の子供の頃は、垣根の垣根の曲がり角、焚火だ焚火だ落ち葉炊き〜の歌が納得出来る寒さだったような記憶が残るのは年を取ったせいか‥

さて、今年最初のスクープ、覚えてますか?もう覚えてない?そうですか。いけませんね。練馬自衛隊敷地から出た「啓志線」の線路発掘と枕木発見の大スクープでしたね。当該記事では線路については解明出来たけど、枕木については不明という調査結果でした。”枕木に関する研究書は、ない”したがってわからない、という結論でした。しか〜し、である。最近、その時にもお世話になった、元交通博物館学芸課長、現鉄道博物館学芸部長でおられ、”歩く鉄道図書館”の異名をもつ、佐藤先生から興味深い資料をご呈示いただいた。

その資料は、「新線路」1955年1月号 鉄道現業社という冊子に発表された、「リングによる枕木の割止」長谷川鉦之輔という論文で、枕木に関する延命対策について実験し、実用新案特許を取得した報告である。この論文には現物の写真が載っているが、それはまさに練馬自衛隊のコンテナの下に噛ませて使われている古枕木と同じものでした。すでに結論は出てしまっているが、この論文は1955年(昭和30年)1月に発表されたものなので、少なくとも自衛隊に残る枕木は、啓志線に使われたものではない、と思われますね。

リング付きの枕木について(論文より引用)
1、材質 普通鋼 延板
2、種別 A型(一般割裂防止用) B型(チョック切込から端面までの欠損防止用)
3、形状寸法 A型 厚1.6㎜ 内径126.8ミリ 巾13.5㎜ B型 厚1.6㎜ 内径126.8ミリ 巾27.0㎜
4、取付方法 リングを約200度前後に炭火等で熱し当へしで枕木小口に打ち込み、焼きはめます。
       はめ込み直後急冷すると緊締効果が一層増大します。
5、本考案は、実用新案特許品です。

実験は、東海道線及び高山線で各四ヶ所を選び、それぞれ640本及び400本の枕木を用い、割裂の進行状態調査、割裂試験、犬クギ支持力試験、労力調査及び経済比較等をおこなった。(約1年間)


論文をそのまま書き写すのはシンドイので、要点のみを書きましたが分かり辛いですかね。従来の枕木には延命対策として”鉄線巻”(文字どおり枕木に鉄線を巻付けた方法)が施されていたけど、鉄鋼製の輪っかを打込んだ方が実験の結果はるかに良かった、ということです。(特にB型)
こういった、枕木に関する論文を地道に発掘してまとめれば、枕木の研究書として役に立ちますね〜。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

秋帆先生からの手紙。

Photo

 昨日(11月22日)に放映された東京12チャンネル(TX)の「なんでも鑑定団」を見ていたら、坂本龍馬の未発見真筆の手紙が2通発見され、なんと40,000,000円!の値段が付けられていた。いくらなんでも桁が一桁多すぎだろうと思うが、歴史的価値も高い手紙らしい。
で、さっそくコレクション自慢をするが、私も板橋区ゆかりの偉人、高島秋帆先生の書状を一通所持している。坂本龍馬の手紙につけられた値段には遠く及ばないが、秋帆先生の手紙は残された書画に比べ枚数が極度に少なく、市場でもそこそこの値段がつく。残念ながら私は古文書を解読出来るほどの知識もなく、書き物をパソコンで済ませるようになってから漢字の読み書きすら危うくなっているこのごろである。わかるのは、最後の方に記された”寅十月”くらいだ。干支を調べてみると、該当しそうなのは1830年 文政13年 庚寅(かのえとら)1854年 嘉永7年 甲寅(きのえとら)と思われる。内容が解読出来ないのでいかんともしがたいけど、1854年の線が強いかな。ペリー襲来直後、岡部陣屋に幽閉されていた秋帆先生はほどなく釈放される。その頃書かれたもののような気がしますね。1830年だとまだ有名になる前ですし。いずれにせよ、内容が気になるところである・・

 話は、ごく個人的なことになり恐縮ですが、あの3月11日、私はかたわらのテレビで「ミヤネ屋」を流しながらパソコンで作業をしていた。そして運命の14時46分18秒、東日本大震災が起こった。ミヤネ屋は大阪のスタジオから放送しているので、あまり緊迫感がなかったのでムカついたが、こちらはそれどころではない。まず、机の上部に置いてあるプリンターの上に飾っていたB29の模型、これは1/48の巨大なもので、わざわざその道のプロに昭和20年2月10日に47戦隊第二中隊小隊長、吉沢中尉が特攻撃墜した機を再現してもらったもので、何回か博物館に貸し出したことがある。その模型が墜落し、バラバラになったと思いきや、本棚の上に無造作に積み上げていた書軸の箱がドカドカ落ちて来て中身も飛び出し部屋中に散乱し、ドアへの道を完全に塞いでしまった。揺れは今まで経験したことがないほど長く、別室の液晶テレビが台から落下する音が聞こえてこりゃ逃げなきゃダメだと観念し、揺れが続くなか掛け軸を掻き分けなんとか部屋を出て外へのドアは近かったので表に出た。その時、隣の家の2階の瓦屋根がずり落ちて行くのを見てこれはいかん・・と思ったがほどなくして地震はおさまり、ようやく落ち着きを取り戻して部屋に戻ったが、本棚からも本が落ち、惨憺たる状況に愕然としてしまった。ライフラインを確保してから、よろよろと片付け始めたけど、掛け軸がどの箱に入っていたのかがわからなくなったりして参ってしまった。しかも、余震が断続的に続く状況では、元の場所に戻してもまた落ちてくると思い片付けるのがむなしくなり、作業を中断してしまった。(で、今日に至るわけで・・)

世の中にコレクターは多くいますが、私は基本的に、紙物を収集している、いわゆる”紙屑コレクター”に分類される。困ったことに何をどのくらい所蔵しているかのリストを作っていないので、総数は把握できないけど、書け軸は高島秋帆先生を始め、板倉重宗書状(徳川家康家来で、最初の京都所司代となった板倉勝重を始祖とし、重宗はその息。板倉家は板橋区や練馬区などに領地を持ち、大名となった)や常盤台に暮らした日本画家の西澤笛畝、徳丸原調練に参加した山本春海や大槻磐渓その他もろもろ、数十本に及ぶ。特に我らが秋帆先生の書画は30点くらい?集め、おそらく個人では一番所蔵しているかもしれない。板橋区の資料館や松月院が集めている高島秋帆の書画を合わせると、日本中に残る秋帆先生の書画の半分以上は板橋区にあるんじゃないかな。他に扁額や扇、鉄扇なども持ってます。コレクションのうち、資料的価値の高い物は板橋の資料館に譲ったりしちゃいましたが。。(今になって惜しいと思う物も・・)交通関係もすごいですよ。切符関係はもちろん、ホーロー駅銘板とか三田線のマスコンとか三田線の布製方向幕とか東武鉄道の古レールとか国際興業のバス停とか時刻表とか車内時計やあれやこれや。しかし、この震災にあってから考えちゃいますね。はたしてこのままコレクションを持っているのがいいのかどうか..でも、収集癖は直りそうもないからなあ。。ちなみに私の収集癖は完全に遺伝だ。父方の祖母は古銭を集めていたし、父方の叔父は練馬区在住で、宝くじやタバコのパッケージ等の”紙屑コレクター”として資料館が作れるほどの収集家だったらしい。らしい、というのは訳あって叔父のコレクションを見たことがないからで、それでも古い国際興業のバス券などは叔父から譲ってもらったことがある。乗り鉄の人でもあった。
面白い(というか迷惑だが)のは、私の父にはまったく収集癖がなく、そのかわりギャンブル狂だった。最古の想い出のひとつでもあるが、東武練馬駅南口の、いまはサンクスになっているが、その場所にあった「ニューギンザ」というパチンコ屋によく連れて行かれた。まだ座席というものはなく(鉄の棒だったかなあ)玉をひとつづつ入れるタイプの台だった頃だ。戸田の競艇場や後楽園の場外馬券所はもとより、中山競馬場にもよく連れて行かれた。中山競馬の時は、勝てば帰りは秋葉原の「万世」でステーキ、負ければ今は無き池袋駅の立ち食い処「スナックランド」で食事をした。もちろんスナックランドばかりだったですね。嗚呼その頃はまだ北口の階段のところに”傷痍軍人”がいてアコーデオン弾いてたりしたなあ、とかいろいろ思い出しますね。父親はギャンブルで家族にそうとう迷惑をかけたので、私の収集癖の方がまだましかもしれない、なんて。

 では長くなるので自分語りはこのへんで。今週末からちょっと遠出をしますんで、久しぶりに現地からライブ書き込みをするかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

板橋区民、倫敦へ行く。

PhotoPhoto_23

 楽しいロンドン♪愉快なロンドン♪ロンドンロンド〜ン♪‥ということで、板橋区民は今、ロンドンにいます。ロンドンといってもさらに私鉄で約50分ほどリバプール方面に向かった小さな町からUPしています。いや〜やっぱり東京より寒いですね。こちら時間午後2時30分についた時はそんなに寒くはなかったですが、日が落ちるのが早く、いきなり寒くなりました。なぜにそんな町に?という疑問には後ほど答えますがとにかく夕食は手早くmacで済ませ、宿泊中のホテルから有料WIFIでアクセスしてるというわけです。それにしてもインターネッツはすごいですね。さびしいのでBGMがわりにBBC放送をつけてますが、ノートパソコンの環境は日本でネットしているのと変わりませんから、本当にイギリスにいるんだかわからなくなります。駅からホテルまでの道のりもグーグルビュー先生のおかげで先にシミュレーソン出来たので駅降りて表に出た瞬間にデジャブー(概視)状態でした。

さて、私にとっては20年振り3回目の英国滞在です。1回目は約30年前!ですかね、驚いちゃいますね。過去2回も来ておきながら、恥ずかしいことにほとんど記憶がなく、まるで初めて来たかのようです。参考に、過去に訪れたときの日記を読み返してみましたが、30年前はなんと1£=400円でした。今回は両替手数料なんかを加えると140円くらいですかね。3万円が210£少々でした。空港で両替したけど、手数料ぼったくりのひどいところで両替してしまいました。それでも昔にくらべるとすごい円高ですが、ロンドンは物価がどんどん上がってますからあんまり円高の恩恵は感じません。安いと思うのはホテルくらいですか、日本のビジネスホテル並みの値段です。今いるのは一泊朝食付きで42£。部屋は日本の3倍くらいひろくベッドもW以上の大きさ、浴槽はありませんが清潔なシャワールームもありタオルも完備しています。
しかもHな番組も見放題のようです。あ、でも冷蔵庫はありませんね。これでネット接続料がタダならいうことなしなんですが‥

到着したヒースロー空港からはエキスプレス地下鉄でパディントン駅に着きましたが地下鉄への階段の上に、なんと回転すし屋!があってびっくりしてしまいました。考えてみれば、ヘルシーで合理的な方式だから、イギリス人にはウケるのかもしれません。ちょっと試してみたかったのですが、目的地がまだ遠かったのであきらめました。かっぱずしの内容で三崎港クラスの値段といった感じですね。テイクアウトのベントーも売ってました。

いや〜この歳で完徹状態なのでまぶたが急に落ちてきました。明日も早起きしますので今日はこのへんで。日本はちょうど土曜朝6時30分ですか。こちらはまだ金曜日の夜9時30分です。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

板橋区民、「ジョン・ロブ」を大人買いしてみる。〜john Lobb Factory sale 2011〜

45Photo

 いや〜疲れた&眠いっすね〜。実は今回の倫敦入りについてなぜこの時期を選んだのか‥というとチケットが一年で一番安のもそうなんですが、イギリス靴の最高峰のひとつ、「John Lobb」がその製造地であるノーザンプトンの工場で、年に一度ファクトリーセールを行うのでそれに合わせた、ということなんですね。ノーザンプトンには他にもチャーチとかクロケット&ジョーンズとかトリッカーズの名だたる英国靴メーカーの工房があります。

意外に思われるかもしれませんが、私、靴もちょっとフェチ気味なんです。でも丸の内に勤めるようなエリートサラリーマンでも実業家でもないので高級靴を履く機会もあまりないし、それに高い。超がつくほど高い。伊勢丹や正規店で買うとゆうに20万円はこえますから。で、そんな人にチャンスがくるのがこのファクトリーセールなんですよ。(ノーザンプトンまで行かなきゃいけないですが)ま、アウトレットセールなので検品で撥ねられたリジェクト品が売られるわけで、品質は良くない、ものもあるけど、なにせ最高峰の工房が作る製品、どこに難があるのかわからないのだ。

さて、今回の私の行動ですが、倫敦に泊まると始発電車でも開店の2時間前にしか着かず、しかも電車の運行がいまいち信用出来ない。日本に住んでいれば正確なのがあたりまえで気がつかないけど、他の国ではほんとダイヤが適当な場合が多いんですよ。インターネットが普及する以前、コレクションはコレクター仲間や入札誌などから情報を仕入れ、マニア間の入札はギルトみたいな感じで行われるので、そこに潜り込むまでが大変であり、また電車部品即売会なんかはマニア達が独自のルールを作って仕切ったりしてそれはそれは独特の世界だったのですよ。現在は、無精な私はもっぱらネットで情報を集めたり、また、もう昔のような根性がないので、最初から参加しなかったりとすっかり老成してしまいました。そんな自分ですが、今回はわざわざ倫敦から約1時間離れたノーザンプトンまで来たんですから気合いを入れねば、と意気込んだのはいいけど、オープンは9時からだから6時半頃にいけばいいかな、なんて軽く考えていたら、不覚にも、もらった整理券は60番目くらい。。こういうセールでは一番でなくても店に入れる第一グループに入っていなければだめなんで、これではもう勝負はきまったようなもの。ジョンロブの第一グループは10番ずつ入り、20番以内にはいることが掘り出し物をゲットする必須ですね。30名でシャットアウトし、後は店を出た人数に応じて入れるシステムになってます。真ん中の写真ではあまり人が並んでないように見えますが、整理券を貰った人(今回は朝6時ころから配られたらしい)が暖をとるため車に戻ったり、開いている店に行っていたからです。ロブでも、開いていれば頼めばトイレを貸してくれるようです。

ジョンロブを狙ってやってくるのは黒人の集団、次が日本人が多いですね。聞くところによると、今年というか今日の先頭一番目は日本人で、前日から寝袋持参で参戦していたのだとか。前日の夜9時に下見に行った人が寝袋の日本人に「もう並んどいた方がいいですよ」と声をかけられたそうです。凍死しそうなほど寒い中、すんごい根性ですね。今日並んだ同胞の方々でこのブログを目にして、あっ、あいつか、と思われるかもしれませんが、日本人はヨーロッパ各地に駐在している方が多かったようで、ドイツやあるいはパリから車を飛ばしてやってきた人達もおりました。もちろん日本から来た私のような人もいますけど。

足下からくる寒さに震えながら待つこと4時間半、ようやく中に入るとすでに工房の中は惨憺たるありさまでした。フィリップやシティなど人気の定番品は私に会うサイズはすでにありませんでしたが、幸いカジュアルシューズがほしかったので、ローファーばっかり(CHESTER,ARIMA,FENCOTE)ですが4足手に入れることができました。ジョンロブでは安い部類ですけど、伊勢丹で買ったら70万近いですかね。セール価格で〆て700£でした。普段のファクトリー価格の半額くらいかな。割引対象外の品もありました。
しかし、倫敦へ戻り、ホテルの部屋で戦利品をしげしげとみながら、やっぱりジョンロブの靴は美しいなぁ〜とため息がでちゃいました。リジェクト品だけど、それが”ちょっと過去に傷のあるイイ女(靴が女性名詞かわかりませんが)”に思えてきます‥なんて。これは製品ではなくて”芸術品”ですね。ちなみにジョンロブはロンドンの会社とパリの会社の製品があり、ロンドンはセントジェームスストリートの店に工房があり、そこで製作する(ビスポーク)もので、パリのものはエルメス社の資本傘下にあり、定番化された商品を販売してます。ノーザンプトンはパリの商品を作る工房です。

今回、初めてセールに参戦しましたが、人数は少ないですがチャイナ系の転売屋グループが派手に買い占めているのが目につきました。手下に命じて手際よく品物を集めていきます。彼らは色とかサイズとか何でもよく、かたっぱしから買い占めます。(一応、一人30足までの制限はある)60箱以上の品をレジ前に積み上げ、限度額が低いためか何枚ものカードを使って購入してました。レジのところで最終的に品定めをしていましたが、靴のサイドに切れ込みの傷のある物もあり、やっぱりリジェクト品なんだなと思いました。何でこんなに観察出来たかというと、彼らは私の前に並んでいたからで、おかげで延々30分以上レジ待ちをさせられたから。チャイナ系とは別に、昔から転売買いにきてる黒人グループは、彼ら独特の陽気さがあり、またCDカードが作れないのか現金買いの人がほとんど(ちょっとした小遣い稼ぎのつもりなのか?)で、しかも現金もたくさん持っておらずあまり量は買わない(中にはたくさん買ってる人もいますが)ですが、チャイナ系はまさに貪欲・金儲け命がけ、といった闘志剥き出しでちょっと怖いですね。そういえば今年ですか、上海にジョンロブの直営店がオープンしましたっけ。チャイナ系転売屋は以前はいなかったようなので、ここもついに目を付けられたか、といった感じです。日本人達は、”自分の靴がほしい”という人がほとんどで、じっくり品定めしてる人が多かったように感じました。(後日サイトを見ているとファクトリーセール品を販売している店があるので、転売屋もいるようです。売値は買値の2.5倍くらいで、関税を払っているなら良心的な値段かも‥)他には、やっぱり英国ですから地元のロブ愛好家が、履き込んだロブをはいて並んでました。う〜ん、さすがスマートですね。そもそもはそんな人を相手のファクトリーセールだったのでしょう。

おそらく来年はもっと争奪戦がすごくなる予感がします・・寝袋持参かぁ、私はもう無理です。。


    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


*おかげ様でこの記事はたくさんのアクセスをいただいております。ジョン・ロブ ファクトリーセール
 に関心を持つ方が多いのですね。残念ながら、2012年はファクトリーセールが行なわれない
 ようです。
また来年に期待ですね。(2012年11月29日追記)

| | コメント (10) | トラックバック (0)

板橋区民、ビスタービレッジ(Becester Village)へ行く。

7_28_29_210_2

 倫敦到着後3日目となりました。今日は、イギリス最大のアウトレット、ビスカービレッジに行きました。まるで物欲全開のようですが、なにもロンドン三越とかブティックで散財してるわけではなく、ファクトリーセールやアウトレットで買ってるんですからね。節約節約、円高さまさま、です。

さて、ここからは、まだビスカービレッジに行ったことのない方向けにレポートしますね。2年前にニューヨークのウッドベリーコモン訪問記をUPしたら、ちょくちょくアクセスがあるようですので。
まず、ビスカービレッジへはオックスフォードからバスで行く方法もあるようですが、私自身の使った手段で書きます。ビスカービレッジのあるビスカーノース駅へ行く列車は、メリルボーン駅から出ます。切符は券売機でも買えますが、めんどくさい人は窓口で「ビスカービレッジ ワンデイリターン(ウイズ バス)」と言いましょう。たくさんの人が行く有名スポットなので窓口の人もすぐに理解してくれます。今回は往復30£でした。切符にはバスの記入がありませんが、ビスカービレッジと書いてあるのでこの切符をシャトルバスの運転手に見せればOKです。バスは駅向かいから出ます。基本的に電車の時間に合わせているようですね。メリルボーン駅からビスカーノース駅までは約1時間くらいですか、列車は羊や牛の見える牧草地帯を抜けて走ります。途中の牧場の農家の庭先にミリオタの主人がいるのか戦車がありました。

シャトルバスは5分くらいでビレッジに到着しますが、日曜日の今日は押し寄せる車で渋滞してました。着いたらインフォメーションで地図や資格のある人(ANAマイレッジカード所持者など)は10%割引特典(一定額以上使わないと割り引かれない場合もある)の付いたVIPカードを貰いましょう。朝10時から開店(一部の店は12時から)ですが、ビレッジ内には入ることができ、人気店には早くも行列ができてました。私はファッション情報には疎いのでレポートはできませんが、ウッドベリーよりは規模が小さいですね。でもイギリスブランド店はさすがに大きいです。ビレッジ内は無料WIFIが利用でき、持参のMacBookAirからさっそくSkypeで東京の知人にアクセスすると問題なく接続しました。いや〜まさかこんな所から国際テレビ電話が普通にできちゃうんですからすんごい時代ですね〜。しかも無料ですよあなた。これなら日本の家族や友人に直接ライブ映像で商品を見せながら買い物が出来ちゃいますね。調子にのってビレッジ内をSkypeしながら歩いていたら、ビレッジの案内人に荷物盗まれないように注意しろと怒られちゃいました。

物欲を抑えつつ、今回はドルチェ&ガッパーナの革ジャン、日本のアウトレットでは無いであろうTHE NOTHE FACEのショップでハードシェルなど、あとはゼニアでシャツを買いました。あ、お土産用にポールスミスのTシャツを、これは大人買いしました。人気があるのはポロ・ラルフローレンで、長い行列が続き、入場制限してました。
帰りですが、シャトルバスはどうやら10分おきに出ており、駅との間を3台で回しているようでした。ただし、週末だけだと思います。平日は30分に一本とかでしょう。でもなんで電車の時間に関係なくバスが出ていて、しかもたくさん人が乗ってくるのか不思議に思いましたが、駅に着いて気がつきました。それは、駅前には広い駐車場があり、どうやらビレッジ周辺は渋滞が激しく車を止めるのもひと苦労なので、買い物客は少し離れた駅前の駐車場に止めて、シャトルバスでくるのではないでしょうか。あくまで憶測ですが。

それでは、これからビスカービレッジへ買い物へ行く方、Good Shoppingを!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年10月 | トップページ | 2011年12月 »