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戦車は行くよ、川越街道。

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 もう日にちがかわりそうだが、今日は終戦記念日。正確には天皇陛下が戦争の継続を断念しますよとラジオを通じて発表された日ですね。だから本当の終戦記念日は御前会議で決定した14日か戦艦ミズーリー艦上で降伏文章に調印した9月2日とも言うらしい。
で、終戦の時期にふさわしいお題で”その日、成増飛行場では”なんてことでも書くか‥と思いましたが、なにせ先の震災の影響でウチの資料部屋がメチャクチャになり資料を探すのが大変で(‥5ヶ月もそのままかよ!)前回に引き続き、知り合いの写真屋さんからいただいた写真をネタにしますね。

 街道を行くこの堂々たる戦車の隊列、どこで撮影されたのでしょうか?そう、タイトルにしましたが、川越街道の練馬自衛隊の前を行進する61式戦車です。撮影された年代はわからないけど、写り込んでいる車から昭和30年代後半から40年代半ばあたりと推測します。戦車上の隊員が手を振っていたりするので、記念日のパレードかなんかの時の写真ですかね?この頃はわりと普通に戦車が街道を走っているのを見たよという話を聞きます。当時は戦争経験者が社会の中枢で活躍していた時代であり、ベトナム戦争で日本もアメリカの後方支援(そんなに表立ってではないが)していたのであまり抵抗はなかったようです。当時私は軍国少年(ミリタリーおたく)だったので、特にこの61式戦車には魅かれてました。当時の怪獣映画に出てくる戦車といえばこの戦車でしたからね。マンガ本でもかならず一つくらい戦争物の連載があったり、姉が買ってくる少女マンガにも空襲の話とかが載っていました。テレビでも毎週のように戦争物の番組をやっていた記憶があります。「アニメンタリー決戦」なんて実録大東亜戦争もののアニメも楽しみにみてました。たまに見返したくなってオークションサイトで発売されたVHSビデオを探すと落札価格が高くてとても手が出ません。。そうそう、忍者部隊月光なんて板橋兵器廠(現・西が丘サッカー場)の廃墟で撮影してましたねえ。何だかそこらへんに戦争情報が溢れていたせいか、近年のように靖国神社うんぬんなんて騒がれもしませんでしたな。天皇陛下も昇殿参拝されてたし。きっと戦争のリアルな記憶のない世代が主流を占めるようになって関心が薄れ、声が大きい人達の行動が目立つようになったせいなのかな。

いま思い出したけど、今日の民放昼のニュースで閣僚の靖国神社参拝を取り上げた映像に、靖国神社に到着する小泉進次郎議員のシーンの後、突然わが赤塚郷選出の区議会議員・安井一郎氏(徳丸名主家当主でワニの洗車場、等身大GIフィギュア&巨大B29のある店経営)が大写しになって思わずふいてしまった。板橋区議会議員団の有志の方々も参拝されていることがわかり、安心しました。can首相の終戦記念式典での言葉もそうだが、今年は東北の震災と結びつけた発言をする政治家が目につくが、多くの犠牲者が出たり家屋の損壊があったということだけを見て、天災と戦災をごっちゃにして安易な発言をするのはいかがなものだろうか。アメリカの911テロの時、向こうのマスコミは真珠湾とかカミカゼとか書き立てたけど、全然違うぞ。東北の震災と結びつけるのもそれと同じ安易さを感じるなあ。これも戦争の記憶が遠くなった現れか‥


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コメント

初めまして。小学生の頃から20代後半まで板橋区の成増に住んでいたことがある、初老の男性です。
数日前に、道路や橋の設計で戦時を想定した場合に適用された戦車荷重のことを全く知らない若い写真家とfacebookで発言を交わしていた時、子供の頃に川越街道で自衛隊のパレードがあり戦車が通ると聞いて、自宅があった成増を通る時に見に行ったことを思い出し、検索を試みたところ、このページにたどり着きました。
練馬の自衛隊の前を通過する戦車の写真を拝見し、様々な場面の記憶が蘇りました。私が見たパレードと写真に写っているパレードが同じものかどうかはわかりませんが、確かに35トン前後の重量がある61式戦車が通っているということは、特車規制などと呼ばれる道路を通行する特別な許可を得た車両の重量制限20トンもしくは30トンを超えていますので、戦車荷重として少なくとも40トンの車両重量を考慮した特別な舗装がされているのでしょう。川越街道の舗装にはコンクリート版がむき出しの所があったという私の記憶からも、アスファルトだけでは凹んでしまうので固い基層とする特別措置がされたのだと思います。重い車両が行き来する、自衛隊の駐屯地や基地の間を結ぶ幹線道路であれば、当然の措置ですね。
今の日本国内にある戦車は国産の車両が大半だそうですが、自衛隊設立当初に外国製の完成品の輸入を検討したところ、50トンを超えるものや車幅が広すぎるものが大半で、当時の国内の既存の道路や橋を通れないことが判明し、それらの補強をするには膨大な経費と時間がかかるため、重量が少ない国産の戦車を急遽開発することになったためだそうです。
他のページも楽しみに読ませて頂こうと思っています。

投稿: YK | 2014年5月23日 (金) 14時30分

>YKさま

貴重な情報を、ありがとうございました。私は戦車についての知識は乏しく、なぜ戦車を国産で開発しているのかが納得出来ました。練馬駐屯地内には教育用にアメリカのT-34や61式、74式などが展示されています。先月、基地祭に行った折、74式に試乗しましたがなかなか機敏な動きで楽しかったです。

投稿: オーク | 2014年5月23日 (金) 20時43分

本日、朝10時頃環七通り亀有駅付近を自衛隊の装甲車?が走行しているのを見て、幼いころ(就学前)川越街道で戦車のパレードが行われていたことを思い出し「川越街道、パレード、1960年」で検索しこちらのページを発見しました。私の記憶の中の原初的な風景だったので、そのパレードが実在していたことを確認でき、嬉しかったです。思わず書かせて頂きました。今日の戦車のようなのも撮りたかったのに、カメラが間に合いませんでした。残念

投稿: dolcemama | 2016年1月21日 (木) 22時52分

dolcemamaさま
コメントをありがとうございます。
掲載の写真は知人から提供していただいたもので、川越街道から離れた場所で育った私は実際に戦車の走行シーンは見たことがありません。
今は川越街道はよく通りますのでしょっちゅう自衛隊車両を見かけます。昨年、装甲車両の一団を練馬駐屯地近くで見かけましたが、鬼怒川の水害現場から帰還した時だったとニュースで知りました。心の中でご苦労さんと声をかけました。

投稿: オーク | 2016年1月23日 (土) 23時11分

久ぶりに川越街道を走行する戦車の写真を見ました。幼いころ私は、板橋区大谷口に在住していましたので懐かしく思います。思えば、おそらく2Km先くらいからキャタピラーの音が家まで微かに聞こえてきて、5分くらいかけて川越街道まで見に行きました。この時も自衛隊員が私たち子供に手を振ってくれました。記憶ですが、戦車の前後には装甲車(前輪がタイヤ、後輪がキャタピラー)や、ジープも隊にいました。結構早い速度(40~50Km/h)で通過し、5分くらいで目の前を去って行った事を思い出しました。

投稿: Bob | 2018年3月14日 (水) 15時11分

>>Bobさま
コメントをありがとうございます。
川越街道を走行する戦車が大山方面を走っていたとは初めて知りました。いったいどこへ向かうのか、あるいはどこから来たのか、知りたいものです。

投稿: | 2018年3月14日 (水) 17時32分

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