嗚呼、東京都立志村高等学校。
皆様、残暑お見舞い申し上げます。最近、年を取ったせいか月日の経つのがあっという間に感じます。・・などと、いいかげん更新をサボるイイワケがなくなってきましたが‥いや〜こんなご時世にありがたいことですが最近仕事が忙しくってですね、こっちも震災の影響を遠くですが受けてしまいなかなか時間が取れないんスよ。ええ、こんなささやかなブログでも写真を用意したり記事を考えたり推敲したり裏をとったり手間がかかって‥
‥というほどでもないですね。では、さっさと話を進めましょう。
我が故郷もよりの東武練馬駅近くに、長年の知り合いである写真屋さんがあります。ところがこの写真屋さん、普段はぜんぜん営業していない。いつ前を通っても店は閉まっており、知らない人は不思議に思うだろう。(そんな謎な店は小さな街でもよくみかけますね。)実はこのお店、学校関係などの仕事が主で、あまりリテイル(小売り)を商売としていないんですね。話は飛びますが、私の父方の祖父は昭和初期に東京へ移住するまで、京都である老舗の和菓子屋から暖簾分けをされ、商売をしていました。店頭小売りはせず、寺院や茶道の家元など特定の顧客のみに和菓子を卸す「上菓子屋」を営み、それを誇りとしていました。で、話をもとにもどしますが、最近、店の前を通ると久しぶりに中に人の気配がしたので寄ってみると、なにやら部屋中がごったがえしていて片付けをしている。「あれ、とうとう店閉めるんすか?」と言うとご主人曰く、「夏のヒマな時期に写真の整理をしようと思ってね」とのことだった。今はデジタル写真が主なのでHDDに保管が主流だけど、昔はネガやプリントの世界だったので、ちょっと油断するとすぐに部屋中にあふれかえってしまうのだ。そんな中、ご主人が「これあげるよ」と出して来たのが「志村高校創立十周年記念」と書かれた薄い写真集だった。東京都立志村高校は板橋区西台1-41-10にあった都立高校で、2005年度をもって閉校した。同じ時期にサティ裏の都立北野高校が閉校し、現在は板橋有徳高校になったが、志村高校跡地は2013年度開校をめざし「都立板橋学園特別支援学校(仮)」に生まれ変わる予定だ。
で、本日紹介の写真は、十周年記念誌に載っていた旧志村高校が建設された時の様子を写したもの。写真はこの写真屋さんの父上が撮影したものだ。親父さんは数年前に鬼籍に入られたが、戦時中はソ満国境で砲兵隊の偵察隊に所属した戦場カメラマンだった。戦後は進駐軍相手の記念写真屋などをし、昭和26年から北野高校の学校写真を撮るようになった。もともと志村高校は昭和30年に北野高校に間借りするかたちで創立し、翌31年に新校舎が落成し、生徒達は西台の校舎に移動したんですね。親父さんはその縁で、志村高校の写真も創立時から撮影していた。写真を見ての通り当時はあたりに住宅は少なく、畑のど真ん中にポツンと校舎が立つだけの非常にさびしい風情がただよってますね。パノラマ写真は昭和40年ころに校舎の屋上から撮影されたもので、まだ茅葺きの家が点々と残っているのが見えますね〜。高速道路も環八バイパスもなくなんと見晴らしの良いことか。何度も書いてるけど、赤塚とか徳丸とか西台はつい最近までホント田舎だったんですよ。もよりの駅(当時都営三田線もない)からも遠く、なんでこんな不便な所に校舎を建てたんですかねえ‥。記念誌によると、当時は常盤台駅北口から源平坂の下まで「志村高校前行き」の国際興業の直通バスが出ていたようです。ちなみに源平坂とは崖上にある高校正門までの長い急坂で、この坂のせいで何人もの生徒達が遅刻をした想い出を持っていることでしょう。
| 固定リンク
| コメント (12)
| トラックバック (0)
最近のコメント