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2011年6月

赤塚第一中学校全焼事件☆〜保存HDDより〜

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 いや〜6月ですね。気を抜いているとあっという間に月日が過ぎていきますですなあ。
今回は自宅パソコンの映像保存用HDDの中に収蔵されている写真からの1枚です。物騒なタイトルですが、我が母校でもある赤塚第一中学校(板橋区徳丸4-13-1)が火事で全焼した際の一コマですね。近所に住む方やOBの方は”え〜そんなことあったっけ〜?”と思われるかもしれませんが、それもそのはず、開校してすぐの時期に起きた事件なのですよ。
 
 赤一中のHPで沿革を辿ってみると、中学校は終戦間もない昭和22年5月1日、板橋イオン裏の板橋有徳高校の校舎に間借りして開校した。現在の場所に校舎が出来たのは昭和24年4月のことで、木造2階建て、12教室及附属教室、敷地は541坪だった。年表によると、その後すぐ「昭和33.10. 4 復旧校舎落成式(鉄筋3階建、教室12、特別教室3、管理室4)」となっているけど、これでは単に古くなった校舎を鉄筋製の校舎に建て替えただけと思ってしまいますね。
前に徳丸に住む古老の方から当時の様子を聞いたことがありますが、メモをしていなかったのでうろ覚えですけどこんな感じだったようだ。(写真のキャプションに6月27日〜28日とあるので、火事は昭和33年6月か前年の昭和32年6月に起こったのかな。)「あん時は慌ててねえ、煙が見えたんですぐに軽トラックを飛ばして駆けつけましたよ。そん時、お伊勢坂(四ツ葉近くの滝野川信用金庫先、バス停がある所の坂)の急カーブ(区立徳丸福祉園のある坂・当時は直線の坂はなかった)で隣に乗ってた人がはずみでころがり落ちちゃってねえ・・学校着いたらもう火の回りが早くってあっという間に全焼しちゃったんだ。」火事は幸い授業のなかった時に起こり、人的被害も無く、学校周辺も畑地で住宅はなく類焼せずに済んだとか。出火の原因は、焼却炉(ドラム缶か)の残り火から引火したらしい。現在の学校はどうか知りませんが、私が通っていた頃も燃えるゴミは学校付属の焼却炉で処分していたような記憶があります。

写真に写っている作業をしている方々は、火事の時に駆けつけた練馬駐屯地の自衛隊員で、後片付けもしてくれたそうです。当時も災害時には活躍していたんですね。

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”板橋のジャンヌダルク”誕生。

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 今から2年前、火縄銃発砲の様子をスーパースロービデオで紹介しことがあった。とても好評をいただき、再生回数も現在までに3万8千回を越えた。映像を通して、火縄銃を発砲することはなかなか勇気がいることがおわかりかと思う。

 さて、結成からすでに9年目を向かえ、全国的に知名度の上がって来た我が板橋区の誇る「西洋流火術鉄砲隊保存会」に、うら若き女性銃士が誕生する。彼女は板橋区加賀町出身のめがねっ娘、M嬢。今年から史学系の大学院生になったそうで、好きな時代は平安時代だそうだ。鉄砲隊の銃士に挑戦したくなった動機は、板橋区のイベントで、西洋流の演武を見て自分も火縄銃を撃ってみたい!と思ったからだとか。そんな彼女が、厳しい事前訓練の後、ついに栃木県の射撃場にて、本番の演武で使用する黒色火薬を使った空砲射撃の訓練を行なうことになった。私は前回同様、特殊な交渉術を使い、その演武訓練の様子をリポートすることに成功した。(by@タイムスクープハンター)
射撃場は、凄まじい射撃音が響き渡る特殊な空間であり、生まれて初めて銃の生音を聴いたM嬢はビックリしたであろう。いくら訓練を積んでも、火薬を使って撃つのはとても怖いものだ。大きな発砲音と、飛び散る火薬の飛沫を全身に浴びてしまうから。最初は緊張のあまり不発を出していたM嬢も、一度発砲に成功するとメキメキと腕をあげ、最後にはセーラー服と機関銃の薬師丸ひろこ(古い)のように”カイ‥カン‥”とつぶやくまでに成長した。なんて。そのレポートの様子はYouTubeにupしましたのでご覧下さい。

 
 聞く所によると、2013年度のNHK大河ドラマは、幕末の会津藩士、代々の砲術指南役であった家に生まれ、自身も女流砲術家として戊辰戦争を戦った「新島八重」が主人公なのだそうだ。八重の17歳年上の兄、山本覚馬は江川太郎左衛門や佐久間象山から西洋流砲術や蘭学を習い、八重に砲術を教えたという。そう、その西洋流砲術こそ「高島流」であり、八重はあの”白虎隊”にゲベール銃(高島流で使われた銃)の指導を行なったのだ。会津戦争の時には鶴ヶ城に30日間籠城し、大砲隊を指揮しつつ自身は最新のスペンサー銃を持って戦い抜き、後に「幕末のジャンヌダルク」と称されたそうな。そう、我らが西洋流鉄砲隊に銃士として加入したM嬢は、まさにこれから”板橋のジャンヌダルク”と呼ばれることであろう。彼女の勇姿は、10月に開催される「板橋区民まつり」で拝見しよう!!

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!板橋区のお茶から放射性セシウム検出!

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 最近、福島の原発も少し落ち着き、今月から(対応が遅いんじゃないかと思うけど)板橋区役所による放射能測定も始まった。それらのデーターや、板橋区民の方々が自主的に測定している値を見ても、いまの所、区内には極端に数値の高いホットスポットもみられず安心していたが、本日、こんなニュースが報道された。


「東京・板橋で製茶が基準値超す 小学生茶摘み体験」

東京都板橋区は30日、区内の茶畑の茶葉を加工した製茶から、国の暫定基準値(1キログラム
当たり500ベクレル)を超える2700ベクレルの放射性セシウムが検出されたと発表した。
製茶は小学生が茶摘み体験した茶葉を加工したものだが、区は小学生に渡さず全量廃棄。
「児童が茶摘みをしたことによる健康への影響はないと確認した」としている。

板橋区によると、5月9日に区立小学校の児童が茶摘み体験し、6月15日に製茶が完成。
児童に渡す前に安全性を確認するため、放射性物質を分析した。放射性ヨウ素は検出されなかった。

http://www.fukuishimbun.co.jp/nationalnews/CN/health/468004.html


「東京・板橋産製茶が基準値超す 小学生が茶摘み体験で収穫」
2011.6.30 21:03

東京都板橋区は30日、区内の茶畑の茶葉を加工した製茶から、国の暫定基準値(1キログラム当たり500ベクレル)を超える2700ベクレルの放射性セシウムが検出されたと発表した。
茶畑は茶摘み体験用で、製茶は小学生が摘んだ茶葉を加工したもの。ほかに区内で茶を生産、出荷している農家はないという。これを受け東京都は板橋、練馬両区で生産されている農産物5品目の放射性物質の濃度を検査することを決めた。

板橋区によると、5月9日に区立小3校の児童約300人が一番茶を茶摘み体験し、6月15日に製茶約20キロが完成。児童に渡す前に安全性を確認するため、放射性物質を分析した。放射性ヨウ素は検出されず、二番茶の放射性セシウムは基準値以下だった。板橋区は製茶を小学生に渡さず全量廃棄する予定で「児童が茶摘みをしたことによる健康への影響はないと確認した」としている。

http://sankei.jp.msn.com/region/news/110630/tky11063021040009-n1.htm


板橋区役所H.P.
http://www.city.itabashi.tokyo.jp/c_oshirase/037/037451.html

 

 板橋区で茶摘み?なんて知らない方も多いかもしれないが、明治時代半ばから昭和30年代まで、赤塚郷地区では、お茶っ葉の栽培が盛んだった。ただし、赤塚や徳丸ブランドでは売れなかったので、狭山方面に出荷して製茶し、”狭山茶”として販売されていたらしい。
赤塚郷地区は武蔵野台地の端に位置し、荒川に接しているので台地が舌状に削られ、坂道が多いのが特徴である。今のように住宅が立て込む前は、よく”霧”が発生していた。私が子供の頃、一寸先も見えないような霧が出る時があり驚いたものだ。東上線も濃霧のためストップ、なんてこともあった。だから、お茶の栽培に向いていたんですね。

今回、セシウムが検出された茶畑は、徳丸の紅梅小学校下の高島平に向かう大通りがカーブする付近にある。平成6年3月に、私が”板橋最後の農民”と尊敬する田上彦一さんが、昔、徳丸でお茶の栽培が盛んだったことを母校である紅梅小学校の生徒達に体験させ後生に伝えるため、自分の土地を提供して始めたものだ。畑の隅で堆肥を作り、その肥料を使いお茶の木を育てていた。田上さんは数年前から「北野神社田遊び」の小稲本という重責を努めて(写真まんなか右側が田上さん・2008年撮影)おられたが、残念ながら今年はじめに逝去された。今も奇跡的に残る「御岳講」や「出羽三山講」の講元も、先祖代々引き継いでこられた偉大な方だった。また、郷土資料館の古民家のカマドの火入れや、七夕の”まこも馬”作りなど、伝統行事に関わることを継承していくことに非常に熱心で、梅まつりや高島平まつりなどでは自分の作った野菜や漬物を販売しておられた。田上さんのつくる漬物の味こそ、本物の板橋区伝統の味だった。

徳丸の茶畑で摘まれた茶葉は青梅の東京都立農林高等学校(現・東京都立青梅総合高等学校)に送り、そこの生徒達によって製茶され(現在は狭山の製茶所に依託)、紅梅小学校や作業に参加した他の小学校、区内の老人施設などに贈られている。いつだったか茶摘みの様子をビデオ撮影してNHKに送ったら、首都圏ネットワーク「みんなのビデオ」コーナーで放映されたことがあった。
残念ながら、今年のお茶は原発の放射能被害により破棄されることになってしまった。幽冥界におられる田上さんも、さぞかし残念に思っていることだろう。丹誠を込めて世話をしてきた茶畑も泣いている。

*茶畑は現在もありますが、すでに二番茶も摘まれ結果的に汚染部分は除去されたので今は安全と思われます。

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