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2011年5月

G.W.超スクープ!!東上線・ときわ台〜上板橋間に新駅「新常盤」が設置される

・・予定だった☆

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 あの3.11震災以来、世の中すっかり調子がおかしくなりましたね。私もその、いろいろ影響を受けてしまいまして、ブログの更新が‥と取って付けたようなイイワケのおわびに、今回はとっておきのスクープ情報をお教えしましょう。

 表題である「新常盤駅」とはなんぞや。ということで、この駅については、いままで板橋区史や東武鉄道社史その他どの鉄道雑誌でも取り上げられたことはなく、鉄道研究家の間でも噂にもなったことはないと思います。実は、この「新常盤駅」設置の話を私はずいぶん前に常盤台在住の有力者の方から聞いていました。それは「戦前のこと大地主のNさんが、常盤台住宅地が計画されたとき、自分の土地の方へも住宅地の範囲を広げて欲しい、と東武に陳情したが却下されたが、その後、自分の土地に新駅を作るという話があって、それが新常盤という名前だったんだ」という内容で、まあ地元古老の伝え話であり、実際の資料もなく、ただの噂話で終わっていたのです。ところが‥

東北地方太平洋沖地震の余震が続く三月中旬のこと、いつもご指導いただいている元・交通博物館学芸員でおられた佐藤先生より、今、個人的に調査している青梅市郷土博物館所蔵の青梅鉄道関係資料群の中に、東上線の新駅開設予定に関わる公文書が綴られてたけど、と超弩級情報が寄せられた。しかし、あの震災以来の計画停電の混乱でなかなか確認がとれずにいたが、ようやくその公文書を確認する機会を得ました。博物館の方からも許可をいただいたので、本邦初であろうその文章を全国一千万東上線ファンのため惜しげもなく公開しちゃいましょう!!

(文書は縦書き)
運第九号ノ七
昭和十八年一月二十六日
東京市本所区小梅一丁目二番地 東武鉄道株式会社 取締役会長 正田貞一郎

秩父・西武・青梅電気・越生 鉄道株式会社 御中(連名各通)

新常盤駅ノ連絡運輸開始方ノ件

拝啓 貴社益々御隆昌ノ段奉慶賀候
陳者弊社東上線武蔵常盤上板橋間二「新常盤」駅ヲ新設シ来ル四月一日ヨリ旅客、手荷物(配達ヲ為サズ)ノ運輸営業ヲ開始スル予定二有之候間右駅ヲ貴我連絡運輸区域中二追加方御承認被下度此段得實意候
追面実施期日決定ノ上ハ改メテ御通知可申上尚右駅ノ旅客運賃営業キロ程ハ左記ノ通二御座候
記・新常盤
「旅客運賃」 自寄居駅 一円四○銭  自池袋駅 一五銭   自坂戸町駅 七○銭
「営業キロ程」自寄居駅 六八・九キロ 自池袋駅 五・四キロ 自坂戸町駅 三四・七キロ
(以上実際は図表で記載)

公文書は東武鉄道株式会社の専用紙にタイプされ、社印と会長の公印が捺印されている。「新常盤駅」は池袋駅から5.4キロの地点に置かれる予定で、池袋駅から武蔵常盤駅(現・ときわ台駅)までが4.7キロ、上板橋駅が6キロなので、その予定地点は現在の前野町通りをはさんで上板橋駅側と思われる。現在の地図に当てはめると、おお、東武の変電所部分の土地がまるで駅の予定地であったかのように見えるではないか??
さて、公文書は以下のもう一通ある。

運第五九号ノ六
昭和十八年三月十九日

東京市本所区小梅一丁目二番地 東武鉄道株式会社

青梅電気鉄道株式会社 御中

拝啓貴社益々御隆昌ノ段奉賀候
陳者本年一月二十六日附運第九号ノ七ヲ以テ新設駅「新常盤」二対スル連絡運輸開始方御願申上候處右駅ノ新設ハ都合二依リ見合セルコトニ相成候間甚ダ御迷惑トハ存候へ共可然御處理被下度此段御願蒡々御通知申上候
追面右連絡運輸開始方二付テハ貴社ヨリ二月十六日附青鉄未第四三号ヲ以既二御承認相成候モノニ有之御参考迄二申添候

さてさて、興味のない方には「へ〜そうだったんだ」で済まされちゃうけど、マニアにとってはいろいろな疑問や妄想が湧くお宝文書ですね。だいたいなぜ戦時中、この場所に新駅を置こうなんて計画したんでしょうか?駅間が短いと不経済なのであまり好まれなかったはずですけどねえ。金井窪駅なんてそれが理由で廃止されたのですが‥。そして、突然の中止通達。東武鉄道の社史によれば、この年、上板橋駅から練馬倉庫までの側線(後の啓志線)が敷かれたとありますが、それとの関連はあるのか。。はたまた赤羽から陸軍板橋兵器廠(現・西が丘サッカー場)まで伸びていた貨物線を延長し、あの幻の西板線のルートを戦時中故に強制買収して延長し、東上線経由で練馬倉庫や東上線沿線の軍事基地と結ぼうとしたのか‥etc

東武東上線ファンの皆さん!謎の「新常盤駅」について大いに議論して下さいネ!!

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☆お宝写真公開☆〜東上鉄道株式会社時代のときわ台付近の画像〜

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 ときわ台〜上板橋間に設置が計画された「新常盤駅」の話題を掲載しましたが、その一次資料が見つかってすぐ、私は、この話を最初に教えてくれた常盤台の有力者の方へ資料を携えて出向き、詳細の確認をいただいた。その内容は前回書きましたが、実はその時、有力者の方から、最近納屋から大正時代に常盤台(当時は上板橋村)の地域で撮影された写真が出て来たと、一冊の小さなアルバムを見せていただいた。貼りこまれた写真は6X4.5のブローニーフィルム版ほどの大きさで、素人が撮影した感じを受けた。大正時代半ば頃のこうしたスナップ的に撮られた写真は珍しいものだと思うが、その中に、なんと東上鉄道時代に撮られたと思われる写真があった。現在の東武東上線は、大正九年に東武鉄道株式会社と東上鉄道が合併して出来たものであり、その前身である東上鉄道時代の写真、とりわけ池袋〜成増間で撮影されたものはとてもめずらしい。少なくとも私は初めて見た。もちろんまだ単線の頃で、電化もされていない。写真の人物と腕木式鉄道信号の間に、現在の常盤台天祖神社の森と思われるものが写っている。(惜しいかな、人物をカットしてもう少しカメラを右に振って撮影すれば単線の線路も写った素晴らしい写真になるのに‥)
時代は違うが、私が所持している「常盤台住宅」の資料に昭和10年代に造成工事が行なわれている常盤台一帯の写真があるのでそれを並べてみたけど、さすがに「前野飛行場」があっただけに、茫々とした荒野が広がるばかりの場所だったのがわかる。ちなみに、こんもりとした森が天祖神社で、まばらに見えている木が常盤台の名前の元になった「常盤の松」ですね。

 今はインターネットが発達し、いろいろな情報を瞬時に得られる大変便利な時代になった。しかし、その元となる情報は「誰かが調べてネット上に公開した」情報であり、最新のものじゃあない。本当に最新の情報は、先日の「新常磐駅」の資料のように、膨大な一次資料を一つ一つ調べて行く課程で<偶然>見つかるもので、今回の写真も、個人宅に数十年のあいだ密かに眠っていた物だ。例えば、啓志線の写真類も、昭和50年代にある熱心な若者が、沿線の古そうな家をかたっぱしから訪ね廻って見つけ出したもので、お宝資料は、そうした地味で情熱的な行動によって発掘されてきた。
趣味を持つことの入り口として「地域の歴史を調べる」などを選択する人は多いけど、過去に発表されて来た事柄を勉強することのみで終わってしまうことがほとんどで、今まで忘れ去られていたり、こぼれ落ちた事柄を発掘するまでには至らない。勉強するだけではすぐにあきちゃうんですけどね。別に趣味なんだからそんな深いことまで追求しなくても‥とか、自分は知識が足りないから‥なんてことはないのですよ。「地味な作業を根気よく続ける」これさえあれば、誰も気がつかなかった歴史の一コマは必ず見つかると思います。

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