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2011年2月

コンデジ動画で”2011年赤塚諏訪神社田遊びまつり”を撮影してみた☆

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 昨夜、重要無形文化財に指定されている、「赤塚諏訪神社田遊びまつり」が例年通り厳かに執り行われた。昨年はブログでスルーしてしまい、申し訳なく思います。

現在、板橋区内では3つの田遊びまつりが行なわれている。2月10日の「赤塚氷川神社」、11日の「徳丸北野神社」、そして13日の「赤塚諏訪神社」だ。このうち、氷川神社では田遊びの形式が戦時中に失われてしまい、現在はどんど焼きのまわりを獅子や太鼓が廻るだけになっている。北野神社は昨年も今年も降雪により”もがり”が使用出来ず、神社神殿内で執り行われた。この場合、撮影はほぼ無理だ。春が近いせいなのか11日は天候が悪い場合が多く、ここ10年で半分くらいの確率で天気が悪いのではないだろうか。そして、不思議と赤塚諏訪神社は天候に恵まれ(昨年は傘をささなくても良い程度のみぞれだったが)ている。

「田遊びまつり」はもう15年以上撮影しているので、毎回いろいろな方法を試している。それこそ、ブローニーカメラを使ったり、モノクロフィルムで撮ったり、ビデオカメラで撮影したり、いろいろだ。最近では購入したばかりのデジタルカメラを使って撮影している。昨年はサボってUPしなかったけど、ニコンD3Sで超高感度撮影をしてみたりした。私は高校生の時にバイトをし、初めて自分の一眼レフカメラを持った(オリンパスOM-1とOM-2)が、大学に入学してから池袋のミヤマカメラで下取りに出し、中古のニコンF2を手に入れて以来、今日までずっとニコン党だ。(板橋区民ならば板橋区発祥のキャノンを選ぶべきだったが、当時はその事を知らなかった。ペンタ、トプコン、ゼンザブロニカもしかり。)デジタル時代になってからはD1があまりに高くて買えず、やっと手に入れたのがコンデジの COOLPIX5000だった。(コンデジのくせに12万!)ニコンはデジカメでは一時、大きくキャノンに遅れを取っていたが、D3発売以来、レンズでも素晴らしい性能のものが出ている。しかし、ニコンのコンデジ(コンパクトデジタルカメラ)は未だにダメだ。私のニコン心に響く製品はない。で、もっぱら愛用しているのが、パナソニックのLUMIXだ。特にLXシリーズはコンパクトながらレンズも明るく広角も24㎜相当で接写もOK、それになんといってもホットシューが付いている点を高く評価している。もう一つ、動画機能が素晴らしい。高感度で明るく撮れるのが良い。それと、動画はなんと言っても音声が録れるので、伝統芸能の撮影では威力を発揮できる。ボディが小さいといろいろ問題が起こるけど、小回りがきくので「田遊びまつり」のように混乱する現場では重宝しますね。

前の機種、LX3ではズームしながらの撮影が出来なかったのが不満だったが、昨年、ズーム撮影可能なLX5が出た。
そして今回、このLX5クンを使ってどこまで「田遊びまつり」を撮影出来るのかチャレンジしてみたというわけで、ざっと編集をしてYouTubeにUPしてみたので見ていただきたい。撮影にはLED照明を使ったが、音声は外部マイクを使わずそのまま録った。モードはQuick Timeにて収録。映像は田遊び撮影歴16年のノウハウが詰まっているので、今後撮影される方はご参考にどうぞ。

ん〜難を言えばCCDが小さいので、逆光でレンズに入る強い光に対し縦長のスミアが入るところが惜しい!
http://www.youtube.com/watch?v=mecjNqQgwZU

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「パンと甘納豆」  <2011年赤塚梅まつりもよろしく〜>

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 以前、このブログ上で自慢話を披露したが、私はかつて「板橋のいっぴん」の選考委員をしていたことがある。今では区内のイベントなどで「板橋のいっぴん」の幟を立てたブースが置かれ、人気を博しているのは周知の通りですね。で、たまにはグルメの話題でも、ということで本日のお題は「パンと甘納豆」。しかしこれと板橋区と何の関係が、と思われるでしょうが関係はないんですよ。なんてふざけたことを言ってないで本題を進めますが、最近「高島流砲術伝授書」なるものを手に入れたんです。今迄にも「高島流奥義書」とかいろいろ持ってたんですが、すべて郷土資料館へドナドナしてしまい、手持ちの資料がなくさみしかったので、ついつい大枚はたいて購入したんですよ。区民の鏡でしょ。エヘン。

さてさてこの伝授書、なんで欲しくなったのかというと、「下曽根金三郎」なる人物が振り出したものだったからです。高島秋帆先生の創立したいわゆる高島流西洋砲術は、幕末初期において最新の砲術であり、その伝授を受けた門下生は数多いますが、中でも徳川幕府の幕臣でその師範を許されたのは、旗本である江川太郎左衛門英龍と御家人の下曽根金三郎の二人のみで、弟子の中で最高の権威がありました。でも、この二人の花押が直接書かれた伝授書は以外に少なく、ほとんどが納められる場所に有り市中にはあまり出回らないものなんですね。
で、それがパンと甘納豆とどういう関係があるんだということですが、皆様は「パンの日」ってのがあるのをご存知でしょうか?毎年4月12日がその日で、食品科学広報センター 『パンのはなし』によると、1842(天保13)年4月12日、江川太郎左衛門という代官が、「兵糧パン」と呼ばれるパンを日本で初めて本格的に製造しました。パンの日は、この日を記念してパン食普及協会が、1983(昭和58)年に制定し、作られたものです。というワケがあるんですね。しかし、ちょっと待てよ、と高島秋帆先生を顕彰する板橋区民としては文句を言いたい。じゃあさ、なんで江川太郎左衛門はパンを作ったんだ?もともとは高島秋帆先生がオランダから砲術を学んだ時に、戦闘糧食としてパン(乾パンに近い物でいまの食パンとか菓子パンとは違うもの)を導入したのが最初だったんじゃありませんかと。悲しいことに高島先生は役人ではあったけど一介の町人であり、それに対し江川は天下の旗本で、韮山のお代官様だったからなんですね。今でもそうだけど、権威というやつに負けたんですよ。残念。あ、でもそれは後生の話で、当時、江川太郎さんは天下の悪代官・鳥居耀蔵に謀られて逮捕された秋帆先生を救おうと奔走したイイ人ですからね、誤解なきように。
次に甘納豆の話ですが、伝聞によると、甘納豆の発明者は御家人の下曽根金三郎であるという説がある。下曽根は江戸末期黒船来航の時、幕府の東京湾沿岸警備隊ともいうべき部隊の鉄砲組先手組頭であった。発明工夫の才能があり、小銃の改良や射撃術の工夫に取り組むかたわら、甘党であったため菓子の製造にも凝り、知り合いであった菓子舗の栄太郎にアイデアを持ち込み甘納豆を開発したというのである。安政5年(1858年)日本橋の菓子店榮太郎楼が金時ささげを用いて納豆をつくり、浜納豆に似たところから甘納豆となづけて売りだしたとあり、これが甘納豆の創始ということになっているようだ。静岡県浜松の名産に浜名納豆があり、これは、煮た大豆に小麦粉をまぶし、発酵させ、半年塩汁につけた後、天日で乾燥させ、しょうが・山椒・しそ・けしなどの香料を加えた納豆の一種。これにヒントを得て、大豆に砂糖をまぶして菓子を作り、浜名納豆をもじって甘納豆と命名したらしい。そのまま読めばこれで話は終わりだけど、下曽根さんが甘党だったから甘納豆を発明したというのはちょっと短絡的じゃないかな、と思うのだ。軽くて持ち運びに便利で、おまけに疲労回復に効く優秀な戦闘糧食として江川のパンと同様に開発されたものではないのだろうか。

元「板橋のいっぴん」選考者として、この「パンと甘納豆」を板橋区の名物として開発して作ってくれる所はないのかな〜と期待しますね。余談ですが、「いっぴん」には板橋区発祥の有名ケーキ屋で高島平の「ガトーマスダ」のアップルパイがあるけど、知って知らずか、板橋区は「アップルパイ発祥の地」なんですよ。幕末にペリーがやって来たとき、幕府にリンゴの苗木を献上したんですね。その苗木は今の新宿御苑に植えられたけど、前田家にも下げ渡され板橋区加賀の金沢藩下屋敷にも植えられて、そこから収穫されたリンゴを使ってアップルパイが作られた史実が残っているのですよ。

ということで、来週3月5日と6日は赤塚城趾及び溜め池公園では「梅まつり」が行なわれます。5日は赤塚城戦国武者行列、6日には武道大会があります。この日は昨年はなかった都内ではめずらしい「鷹狩り実演」がありますので是非、お越し下さい!!もちろん西洋流火術鉄砲隊保存会による演武も行なわれます!!「板橋のいっぴん」販売もありますよ!!

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