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2010年12月

嗚呼、成増高等学校。

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 きょうは大晦日ですね。以前はカメラを持って歳末板橋風景を撮影して廻ったもんですが、いつしか町中では正月を迎える風情が見えにくくなり、もはやそんな景色は、大型スーパーの中にしかないと感じてからやめてしまいました。年末、買い出しの人であふれかえっていた北町商店街や、正月、コンビニも無くすべての店が閉まり寒々とした人気のない東武練馬駅前がなつかしい。。あ、でも、今の賑わってるサティ周辺も好きですよ。

さて、本年最後のお題は「成増高校」。かつて板橋区内には志村高校(廃校)や北野高校(現・有徳高校)はあったけど、成増に高校なんてあったっけ?と思うでしょうが、あったんですね、「NARIMASU HIGH SCHOOL」が。このナリマスハイスクールについては、ずいぶん前からアメリカ本国で卒業生が作ったサイトがあり、今でも活発にOB達が活動しているようだ。(http://www.narimasu.org/index.html)
余談ですがネットで検索すると出てくるグラントハイツ時代の写真は、ほとんどがこのサイトに貼られている写真をパクった‥いや、引用したものでしょう。

私が所蔵している東京アメリカ人高等学校の案内書を見てみると、東京のアメリカンスクールにはこんな歴史があるようだ。”1902年以前の東京在住外国人のための学校教育は、アメリカ植民地時代のものと同じで家庭内で行なわれていた。1902年以降、神田キリスト教青年会館で東京在住外国人の子供のための学校が開設された。その後、監督教会の租借していた築地に移転し、1910年に「東京外国人子供の学校」という名を「日本アメリカ人学校」と変えた。それ以降、学校は宣教師および実業家団体の主催で、寄付金により経営された。1911年には田町駅近くの芝浦に移転、関東大震災により一時、軽井沢に移転したが、その年の11月には芝のフレンド教会の校内に開校した。1924年から1927年まで渋谷の羽沢にあったが、その後は上目黒に移動する。1941年、日本アメリカ人学校は、最高学年の生徒の組を最後として、第二次大戦中に卒業させた。書籍を倉庫にしまい、20年間勤めていた日本人教師が学校財産を監視していたのである。その間、学校は南洋諸島人のための日本政府語学校として使用された。1946年、占領軍の家族が渡来しはじめた。その年9月、占領軍の子供のための学校が開校され「東京アメリカ人学校」という名称が使われた。入学者が増加してきたので、第一学年から六学年までの新しい学校がワシントン・ハイツに建てられ「代々木」と名づけられた。こうして1946年から1948年の夏まで、代々木と目黒(第七学年から十二学年まで)において占領軍の子供全部に対しての教育がおこなわれた。そして、1948年秋からはグラント・ハイツにおいて、六年制の小学校と六年制の高等学校が、二つの別々の校舎で開校された。”
ざっとですがこんな経過を辿ったようです。目黒と成増の高校は米国本国から認定され、大学への進学も認められていた。

この案内書は、日本の学校関係者達への見学用に急遽作られたもので、アメリカ式の教育というものを実際に見学し、肌で感じてほしいとの趣旨があるようだ。最後の方に、毎週新しい生徒が入ってくるので教師も教科書も足りないし、ろくに建築資材が回ってこない。だからそこらへんのことを考慮して見学しろよ、これは仮の姿だ、一年後はもっと改善してるぜ。とかのグチが書いてあるのが微笑ましい。


 それでは本年も当ブログをご覧戴きありがとうございました。更新の頻度があいかわらず少ないですが、来年も引き続き御贔屓をお願い申し上げます。良いお年を。

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