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2010年11月

板橋区民が教える「草鞋の履きかた」「兜の被りかた」

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はいはい、相変わらず更新が遅くて申し訳ありませんね。と開き直ってもしかたないじゃん。

いまさら11月13日に行なわれた”板橋農業まつり”の様子をレポートしても遅すぎる・・てなことで、今回は、当日オープニングパレードを飾った赤塚城戦国絵巻武者行列の指揮および指導をされている、板橋区認定伝統工芸師・三浦公法先生による、草鞋(わらじ)の履きかたと兜の被りかたの実技を映像でお届けします。草鞋も兜も流派によっていろいろあるそうですが、一番簡単な方法を紹介。兜の紐は映画やドラマでは唇の下で結んでますが、それはかっこ良く見せる演出用で、実戦ではあごの下で結ぶそうですよ。唇の下で結んだらしゃべりにくくておかしいでしょ、ってことだとか。そりゃそうですね。

今年の農業まつりオープンニングは実に6年ぶり!!という晴れの天気のもとに開催され、赤塚城戦国絵巻武者行列も史上最多(正確な人数は忘れましたが50人くらい)の人数が参加してオープニングを堂々と飾りました☆


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昔、上板橋で戦争があった‥らしい。

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 最近、自分のUPする記事がほとんど紀行文や感想ばかりになってきた。(もともとブログとはそういうもの‥らしいが)これではまるで倦怠期をむかえた地域研究誌のようで、さすがに遺憾ということで、たまには私の板橋関係コレクションの中から話題を一つ。

”板橋で戦争”とは物騒だけど、これは明治の初めのほんの一時期、ブームのように存在した「錦絵新聞」の記事だ。錦絵新聞とは、明治7年(1874年)から明治14年(1881年)にかけてのごく短期間に発行されていたもので、明治初期に東京で創刊された「新聞」は東京土産になるほど流行したけど、それは主に知識人層向けけたもので振り仮名や絵もなく、一般大衆には読みにくいものであった。そこでこの「新聞」の記事を浮世絵の題材に取り上げて、平仮名しか読めない大衆も絵と平易なことばで理解できるようにしたものが錦絵新聞なんですね。いくつかの版元から発行され、中には高名な浮世絵師が製作していたものもある。でも、その人気に便乗し、本格的な錦絵ではなくもっと簡便な絵や記事で速報性を重視して作られた小新聞に押されてしまい、短命で姿を消してしまったのですよ。

 さて今回のこの記事、いったい上板橋で何事が起こったのかだろうか‥タイトルには争戦なんてありますね。御維新直後の上板橋なんて江戸郊外の一寒村であり、とても世間を騒がす事件なんて起きそうもありませんが‥。記事は大衆向けに分かり易く書いあっても、現代の我々にはとても読み辛いですね。ざっと記事をよんで見るとこんな感じの事件だったようだ。ちなみにこの記事中の上板橋とは当時の上板橋村、現在の弥生町あたりの話だ。(西台駅が西台にはなく、下板橋駅が豊島区にあるのと同じことね)

「この頃、上板橋はそれは物騒で、この地域を守る巡査の両名が申し合わせ、夜中に密かに巡回をしていたところ、それとは知らない村の血気盛んで腕っ節の強い若者が三・四人、賊を警戒して巡回していのだが暗い場所で鉢合わせし、双方、怪しいやつ!と思い、曲者まて〜と、巡査は短棒を若者達は竹槍をひねり火花散る戦の末、両方とも怪我を負い、若者達は巡査に捕われた。直ちに屯署で調べたところ、若者達は自主警備のために巡回していたところで、それがまったくの暗闇だったので巡査双方とも賊と見間違え、これは若者に罪はないとわかり、笑い話となりましたとさ。」ということで、のどかなんだかバイオレンスなんだかわからない話でした。でもこの乱暴な記事の書き方が実に明治時代初めの新聞らしくて面白いですね。

錦絵新聞はゴシップとかおどろおどろしい記事が多く、現在の板橋区域で起こった事件を題材にしたものは他にもいくつか(前野村で坊主が鼠に喰われた‥とか)あるようです。また手に入ったら紹介しますね。(売価が高いので厳しいけど)

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