☆板橋区民、越前大野で喝采を浴びる☆



この三連休、皆様方はどう過ごされましたか?晴天の特異日であるはずのこの時期にしては天気の良くない日が続きましたが、そんな中、我が板橋区の誇る「西洋流火術鉄砲隊保存会」の一行は、はるばる福井県は越前大野市で華々しく開催された「越前大野城築城430年祭」の記念パレードに特別ゲストとして招待され、大野市民1400人による大パレードに参加し、途中、日本で唯一の西洋式調練を大野市民37000人の見守る中、堂々と披露した。
なんでまたはるばると越前大野市にまで遠征を・・・と、いうのはですね、幕末時に大野藩主だった土井利忠さん(藩政改革、教育制度整備、軍制改革などで大きな実績を上げ、樺太開拓を目指すなどスケールの大きい名君といわれる。)が、天保十一年(1840年)に、小浜藩の医者杉田成卿を江戸藩邸に招きヨーロッパの事情を聞いたのをはじめ、家臣を江戸・京都・大坂方面に送り、西洋の医学や砲術などを学ばせるなど積極的に新しい知識を吸収しようとしたんですね。
利忠は家臣に最新の高島流砲術を習得させ、弘化三年(1846年)には、性能の最も優れた大砲をつくらせました。そして、新田野(木本野)で五十発の早射ちをおこない、また鉄砲も盛んにつくらせ、安政三年(1856年)には、大野でつくられた鉄砲数十挺が江戸に送られ、幕府の警備にあてられました。嘉永6年(1853年)のペリー来航後は、内山隆佐を軍師に任命し、弓槍から銃砲へと、洋式軍隊への転換を図った。また、内山隆佐に大砲の鋳造を命じ完成させた。安政元年(1854年)3月におおがかりな洋式訓練を行い諸藩の評判となった。と、言う歴史的経緯があり、我らが西洋流鉄砲隊の出陣と相成ったのですね。前にも書いたけど、銃を使う空砲演武は、どんなイベントでも出来るというのではなく、このように歴史的事実が裏打ちされなければ見せられないんですよ。
こういう言い方は失礼ですが、福井市から電車やバスで約50分ほどの距離にある、北陸の山間の盆地にある大野市は、大きな商店街もなく道行く人もまばらで、マックやケンタやスタバ、吉牛や松屋などおなじみのチェーン店もない、それはそれは小さな街です。しかし、街には豊富で良質な地下水が溢れ、その水音が街中を満たし、また、まわりを緑豊かな山々に囲まれた、非常に穏やかな所でした。パレードは10月10日に行なわれ、沿道は一目パレードの様子を見ようと人々が押し掛け、地元の人でさえ、この街でこんなにたくさんの人を見たのは初めて!!と言わしめたほどでした。特に鉄砲隊の演武には人が集まり、演武に支障をきたすほどの状況でした。また、空砲音の凄まじさを初めて耳にした方も多く、驚きの声と、一拍遅れの大拍手を送っていただきました。出演した鉄砲隊も感激の面持ちでしたよ☆
さて、そんな越前大野市演武での興奮もさめやまぬ今週16日土曜日、いよいよ本拠地・板橋区でのお披露目が行なわれる。場所は大山駅近く、養育院とグリーンホール間のメイン会場路上、午後2時10分から35分にかけてだ。当日はこちらも人波で埋まるので、早めの場所取りを!!
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