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2010年7月

〜ときわ台の蒸気機関車〜

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 なつかしい写真(左上)を見つけた。これをみて、ああそう言えばときわ台駅にあったよな、と思い出す方は40代半ば以上ですな。
この機関車の愛称は「ベビーロコ号」。その名が示すとおり、とても小さく、愛らしい蒸気機関車だ。写真は1969年(昭和44年)9月に撮影されている。子供の頃、東上線に乗っていて、ときわ台駅が近づくとこの機関車を見ようと窓の外をみていたものだ。当時、昔はこんな機関車が走っていたんだなあ、と思っていたけど、実はこの機関車、東上線を正規に走ったこともなく、ゆかりもない。では簡単に由来を紹介すると‥
 
 機関車の形式は旧設計40HPクラスB型ウェルタンク機で、1912年(明治45年)にドイツのオーレンシュタイン・ウント・コッペル社で製造されたものだ。仲間は17両ある。ベビーロコ号は、製造番号5885で最初は釧路築港事務所に、その後、有田鉄道 1号機として活躍の後、1951年(昭和26年)に、東武鉄道のキハ12気動車を有田鉄道に譲渡した際に交換として贈られ、川越機関区に配置された。しかし、運転整備重量は約8トン、最大時速も20キロ程度であり燃料や水の積載量も少なく、本線では使用されず(越生線で使おうかと思っていたのかもしれませんね)、しばらくして池袋の東上業務局の敷地内に保存された。その後、1958年(昭和33年)7月にときわ台駅の駅舎横の敷地に移されたという訳ですね。1973年(昭和48年)8月、ときわ台駅舎の拡張にともない、都営三田線蓮根駅近くの城北交通公園に移設され、現在に至っている。
私の中では、車体全体はたしか若草色というか、薄いグリーンの塗料で塗られていた‥と記憶があるのだが、あるHP( http://c5557.kiteki.jp/html/toubu1.htm )に1971年1月に撮影された写真が掲載されていて、その写真でも車体は黒いままだ。なんとなくもやもやしたので、城北交通公園に確認に行って来た。公園の入り口を入ると、いましたいました「ベビーロコ号」。それにしても小さいですね〜まるで遊園地を走っているような機関車だ。一応屋根付き(近年設置されたようだ)で展示されているが、車体は劣化が進んでボロボロだ。塗装は黒になっているが、よくよく見ると全体が緑っぽいし、ナンバープレートと車体全面のタンク下部が赤く塗られており、設置後に色落しと化粧直しが施されたようですね。

 城北交通公園内には、他に旧式の都バスとD51 513が展示されている。D51は1000両以上製造され、全国各地で活躍した蒸気機関車で、保存車両も多い。23区内では7両保存されていますね。板橋区のものは炭水車(テンダー)も連結されており、これはめずらしいんじゃないかな。ここも屋根が設置されているけど、機関車の状態は悪く、ボロボロだ。これは全国的なことだけど、屋外の公園などに設置された保存車両は、設置したら終しまいで、後はそのまま放置され、朽ち果ててゆく‥といった具合だ。かつてジョン・レノンの奥さん、オノ・ヨーコが自身の芸術展で生のリンゴを置き、それが朽るまでを見せたという作品があったが、そんなものじゃないだろう。お客さんに見せるのなら、それなりの状態を保つようにしてもらいたいなあ。D51は腐食止めのためか動輪が薄緑色の塗料で塗られているようだけど、これも非常に雑な感じを受ける。まあ、屋根が設置されているだけでもまだまし、だけどね。機関車の横には資料室が建っているが、真ん中にHOゲージの走行模型台がポツンと置かれ、ろくな展示解説も資料もなく裏悲しさが漂っている。予算も人も付かないのではどうしょうもありませんね。ボランティアを集って修復を‥と唱えたところで、結局はお金がなければむつかしい。資料室にしても、例えば、もしも私が資料の提供を求められても断るだろうなあ。いや〜むずかしいんですよ、保存と展示を両立させるって。例えば、東武博物館には切符や記念券なんかを展示してるけど、見るも無惨に色あせてしまい、資料的価値が損なわれてしまっている。きちんとした博物館でさえこうなのだから、資料室なんてとてもとても‥。私のコレクションしている東上線の終戦直後に使用された切符なども、ファイルし暗い状態で保管してあるけど、手に入れた当初よりも確実にインクが薄れ、判読出来なくなったものもある。なんとかならないもんですかね〜。

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宣伝 戦後65年〜板橋の戦争と銃後〜 展示始まる

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 梅雨も明けましたね。いよいよ夏本番!夏といえば終戦記念日を思い浮かべますね・・なんて極少数派か。
 
 ということで、板橋区立郷土資料館では17日から戦後65年〜板橋の戦争と銃後〜展が始まった。初日には学芸員による展示解説が行なわれ、梅雨明けの真夏の太陽が照りつける中、熱心な方々が集まった。さすがに当時をリアルに過ごした方の姿はなく、その子供世代くらいの人が多かったようだ。展示品はほとんどが板橋区にかかわるもので、展示しきれない品も多かったそうだ。さすがに長年収集を続けたことはある。しかし、収蔵品が増えた理由は、それを想い出として保管して来た方々が亡くなり、資料館に寄贈する例が増したということでもある。
 今回の展示の目玉は、戦時中、警視庁に勤めていて空襲の被害写真の撮影を唯一公式に認められていた石川光陽氏が板橋区で撮影した写真と、昭和20年8月10日の空襲で爆撃を受けた志村三丁目の工場の様子が撮影された写真だろう。石川氏の写真は昔から区の刊行物で使われていたが、このたび全ての写真を正式に買い取った。(使用権ですが) いままでは複写物だったけど、オリジナルプリントで、ノートリミングなのがいいですね。(じつはそのせいでちょっと問題が起こってしまったけど、それはまた後々ブログで触れマス。)まあとにかく内容豊富な展示なので皆様方、是非、ご来場下さい。前回、私の所蔵品も展示されるかも・・と記しましたが、展示数が多かったのと、こちらの事情で今回は展示は無しとなりました。。

*開催期間 2010年7月17日〜9月26日

*ビデオ上映会 2010年7月24日、8月14日、9月11日、いずれも午後1時半〜午後3時 先着50名 無料
<板橋区学童疎開の歴史 30分> <板橋の空襲 30分>

*展示解説 8月21日、9月25日、いずれも午後1時半より約40分間

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がんばれ、NHK! >板橋区民より。

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 先日、NHKが拙宅にやってきた。もちろん集金ではなく、報道局の記者の方が来られた。終戦から65年が経つ、8月15日にあわせ、総合番組で戦争特集を企画しており、その題材の一つとして成増飛行場をとりあげたいとの趣旨らしい。とは言っても、まだ企画段階であり、全国の記者から様々な企画を持ちより、その中からこれはというものがピックアップされ、取材進行が可能かの検討がなされてから正式にGoとなるのだ。だから今の段階では本当に取材対象となるかどうかはわからない。
私は、「板橋区を趣味とする」宣言を出してから約20年になり、その間、取材する側になったり取材される側になったりしたこともある。ちょっと前までは、NHKの「みんなのビデオ」コーナーの投稿マニアとして板橋区関係のビデオ作品を投稿し、採用率70%を誇っていた。採用されるには、まず、送るビデオ映像は10分以内におさめる、起承転結をはっきりさせる、意図することがきちんと伝わるようにする、などちょっとしたテクニックが必要だ。それは、このコーナーでO.A.される時間はせいぜい1分弱であり、採用担当者はたくさんの投稿作品を見なくてはならず、何十分もだらだらとした映像を見せられるのはしんどい。だから、担当者に伝わり易いように、あらかじめ文章であらすじを伝え、映像もカット編集をして無駄な部分は省き、審査時間のロスをなくさせたりと配慮をする必要がある。もっとも、題材が魅力的であることが前提なのは言うまでもないが。お祭りや神事などたくさんの人が投稿する題材の場合は、”独自の視点”が必要で、例えば、徳丸の獅子舞、などの場合、普通は演武を中心に撮影するが、それだと、どこの神事でも似通った映像になり、よっぽど運がよくなければ採用はされない。だから、獅子舞演武そのもより準備段階に目をつけたりする。神事などは、準備段階から神事が始まっていると考えても良い。徳丸の獅子舞だと、裏の笹薮から笹を採集し、神事で使う道具を揃える。田遊びならば餅つきが重要な準備の作業となる。事件事故や珍動物のスクープ撮は別として、他人と差別化を図らなくては、選者の目に止まらないのだ。
 
 今回、NHKの記者氏が「成増飛行場」に目を付けてくれたのは、とてもありがたいことだ。私は終戦50年を向えた平成7年から少しづつ調査を始め、少なからずの方にインタビューし、資料を収集し、ビデオ作品を作って公開したり、地元の史談誌に発表もしてきた。ただし、それはごく限られた範囲であり、よっぽど興味のある人しか私の発した情報に辿り着くことは出来ないだろう。当ブログを始めたのも、情報発信の間口を広げるためであることは何度も触れて来た。しかし、これとてかぎられた方々しか情報を得ることはできない。別に私は他人の首根っこを押さえつけてまで”オレ様の調査したものを拝聴しろ!”などというつもりはない。ただ、まったくそんなことがあったことも知らない方々に、ここで、こういう歴史もあったんだということを知ってほしいのだ。それらのことを知らせるのにもっとも効果があり、影響力の強い媒体は、なんといっても全国放送のNHKしかない。今、民放は広告収入の激減で制作費が削られ、地味で取材時間のかかるドキュメンタリー物は取り上げられにくくなっている。NHK記者氏は熱心に話を聞いてくれ、だいぶ興味を持ってくれたようだ。ただ、終戦記念日近辺での放送となると、すぐに企画を考え提出し、コンペで勝ち抜き取材がGoとなれば、取材協力者や素材を集め撮影し、それを編集したりで、本放送までに時間があるのか?と思ってしまう。そう考えると、一取材対象に対して数分しか放映時間を取らないであろうと想像がつく。例え放映時間が5分であろうと全国放送の威力が強烈であることはわかるのだが、やっぱりサビシイ。願わくばローカルで良いから首都圏ネットワークで10数分とかクローズアップ現代枠とか‥それともドキュメンタリー番組の最高峰である「NHKスペシャル」で45分とか55分なんて‥高望みか。。記者氏は、私の提出した資料などを見て、これだけの題材があれば、今回の企画ではなく、別の機会を持ちたいともおっしゃっていた。(リップサービスではないと思う。)だから、これから記者氏とは何度か打ち合わせを行ない、インパクトがあり、視聴する方に驚きと感動を持っていただけるような作品が作れるように、企画に協力してゆきたい。がんばれ、M記者!

 
 この前、成増飛行場の存在した光が丘にある光が丘図書館に、私が地元の史談誌に書きおろした「成増陸軍飛行場記」全8回分をコピーして渡し、簡易製本して地域コーナーで閲覧できるようにお願いをしてきた。もうそろそろ公開されるのではないかと思うので、興味のある方はどうぞお読み下さいませ。

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