〜ときわ台の蒸気機関車〜
なつかしい写真(左上)を見つけた。これをみて、ああそう言えばときわ台駅にあったよな、と思い出す方は40代半ば以上ですな。
この機関車の愛称は「ベビーロコ号」。その名が示すとおり、とても小さく、愛らしい蒸気機関車だ。写真は1969年(昭和44年)9月に撮影されている。子供の頃、東上線に乗っていて、ときわ台駅が近づくとこの機関車を見ようと窓の外をみていたものだ。当時、昔はこんな機関車が走っていたんだなあ、と思っていたけど、実はこの機関車、東上線を正規に走ったこともなく、ゆかりもない。では簡単に由来を紹介すると‥
機関車の形式は旧設計40HPクラスB型ウェルタンク機で、1912年(明治45年)にドイツのオーレンシュタイン・ウント・コッペル社で製造されたものだ。仲間は17両ある。ベビーロコ号は、製造番号5885で最初は釧路築港事務所に、その後、有田鉄道 1号機として活躍の後、1951年(昭和26年)に、東武鉄道のキハ12気動車を有田鉄道に譲渡した際に交換として贈られ、川越機関区に配置された。しかし、運転整備重量は約8トン、最大時速も20キロ程度であり燃料や水の積載量も少なく、本線では使用されず(越生線で使おうかと思っていたのかもしれませんね)、しばらくして池袋の東上業務局の敷地内に保存された。その後、1958年(昭和33年)7月にときわ台駅の駅舎横の敷地に移されたという訳ですね。1973年(昭和48年)8月、ときわ台駅舎の拡張にともない、都営三田線蓮根駅近くの城北交通公園に移設され、現在に至っている。
私の中では、車体全体はたしか若草色というか、薄いグリーンの塗料で塗られていた‥と記憶があるのだが、あるHP( http://c5557.kiteki.jp/html/toubu1.htm )に1971年1月に撮影された写真が掲載されていて、その写真でも車体は黒いままだ。なんとなくもやもやしたので、城北交通公園に確認に行って来た。公園の入り口を入ると、いましたいました「ベビーロコ号」。それにしても小さいですね〜まるで遊園地を走っているような機関車だ。一応屋根付き(近年設置されたようだ)で展示されているが、車体は劣化が進んでボロボロだ。塗装は黒になっているが、よくよく見ると全体が緑っぽいし、ナンバープレートと車体全面のタンク下部が赤く塗られており、設置後に色落しと化粧直しが施されたようですね。
城北交通公園内には、他に旧式の都バスとD51 513が展示されている。D51は1000両以上製造され、全国各地で活躍した蒸気機関車で、保存車両も多い。23区内では7両保存されていますね。板橋区のものは炭水車(テンダー)も連結されており、これはめずらしいんじゃないかな。ここも屋根が設置されているけど、機関車の状態は悪く、ボロボロだ。これは全国的なことだけど、屋外の公園などに設置された保存車両は、設置したら終しまいで、後はそのまま放置され、朽ち果ててゆく‥といった具合だ。かつてジョン・レノンの奥さん、オノ・ヨーコが自身の芸術展で生のリンゴを置き、それが朽るまでを見せたという作品があったが、そんなものじゃないだろう。お客さんに見せるのなら、それなりの状態を保つようにしてもらいたいなあ。D51は腐食止めのためか動輪が薄緑色の塗料で塗られているようだけど、これも非常に雑な感じを受ける。まあ、屋根が設置されているだけでもまだまし、だけどね。機関車の横には資料室が建っているが、真ん中にHOゲージの走行模型台がポツンと置かれ、ろくな展示解説も資料もなく裏悲しさが漂っている。予算も人も付かないのではどうしょうもありませんね。ボランティアを集って修復を‥と唱えたところで、結局はお金がなければむつかしい。資料室にしても、例えば、もしも私が資料の提供を求められても断るだろうなあ。いや〜むずかしいんですよ、保存と展示を両立させるって。例えば、東武博物館には切符や記念券なんかを展示してるけど、見るも無惨に色あせてしまい、資料的価値が損なわれてしまっている。きちんとした博物館でさえこうなのだから、資料室なんてとてもとても‥。私のコレクションしている東上線の終戦直後に使用された切符なども、ファイルし暗い状態で保管してあるけど、手に入れた当初よりも確実にインクが薄れ、判読出来なくなったものもある。なんとかならないもんですかね〜。
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