


先日、1945年6月10日の板橋空襲について触れたましが、その続き。
前回、アメリカ軍の攻撃は実に緻密、と書いたけど、その例がここに掲載の地図です。これは成増飛行場(正確には成増陸軍飛行場)を中心にして、その周辺地域の偵察写真をもとに作成された、板橋地区攻撃用の地図だ。たまたま入手出来たもので私の手元にある。
では、地図を見てゆこう。1944の記載と、写真の端の記号にDEC.13とあるから、1944年12月13日に撮影されたものと推測。このころはまだ成増飛行場がTAKAMATSUCHO AIRFIELDと表記されていますね。1945年以降のアメリカ軍の作戦書ではNARIMASUと記載されてます。地図には川越街道、中山道がハイウエイ、成増と志村の坂の部分にはその旨の表記がされています。田柄や春日町の畑が多い地点には、人家が少ない所、という意味の表記がされており、撃墜されたときのパラシュート降下目標を差しているようです。東上線と武蔵野線(現在の西武池袋線)も記載されてます。地図にはMission no. 3PR4M37A 2V と作戦ナンバーが記されているので、いつの攻撃時に使われたものかわかるはずですが、まだ解明できてません。
真ん中の写真は飛行場の部分をアップしてみましたが、飛行場左下の第2中隊(富士隊)ピストの隣に、二式戦と思われる戦闘機が並んでいるようですね。この頃は空対空特攻隊「震天制空隊」が組織され、防空のため盛んに出動しているはずですが、B29は高高度を飛行しているので、こうして易々と偵察写真が撮影されちゃうんですねえ。春日町や下赤塚(赤塚一中から新大宮バイパスをはさんだ対岸の台地上)、茂呂や上板橋(現在の平和公園)には高射砲陣地があったけど、弾幕も写っておらず何をしていたんだか。(もっとも、高度一万メートルに届く高射砲は久我山にしかなかったけど)この高射砲陣地のある地域は、板橋区が爆撃された合計20回のうち、8回攻撃を受けていますね。成増飛行場が攻撃されたのは、1945年2月16・17日、7月8・10日で、確実に攻撃目標にされています。日本本土が初めて空襲されたのは1942年4月18日のドゥリットル空襲(アメリカ軍が真珠湾奇襲の仕返しのため、航空母艦にB25爆撃機を無理矢理搭載して行なった作戦)で、この時に下赤塚町も機銃攻撃されている。成増飛行場はこの奇襲攻撃をきっかけとして作られることになったので、まだこの頃は存在していない。いったいどこを狙ったんでしょうか?
空襲は、最初から目標となっていた場合と、なんらかのアクシデントで攻撃されてしまった場合がある。板橋区の場合、中島飛行機武蔵野製作所を目標とした攻撃のルート上にあるため、そのとばっちりをうけたことも何度かあるようです。(参照資料/板橋区役所文化財課係作成・板橋区平和祈念マップ)
*この爆撃用地図ほか何点かの資料は、この夏に板橋区立郷土資料館で行なわれる戦争展で展示される予定です。もしかすると、私が5年前に製作した成増飛行場を描いたドキュメンタリービデオ作品も公開されるかも??
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