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2009年12月

★ 巨星墜つ★〜板橋区ゆかりの画家・平山郁夫氏逝去〜

123 無事アメリカから帰国しました。往復で25時間も狭い座席に縛り付けられ、腰も足もくたびれたので癒しスポット・板橋スパディオで養生しました。ああ、やっぱり日本はいいなあ‥などとゆっくりしつつも溜まった仕事に片をつけていると、大きなニュースが‥。「日本画家の平山郁夫氏が死去、79歳」
いや驚きました。まだまだお元気だと思っておりましたので‥ 平山氏は、苦学生であった芸大時代から、一躍その名を高める「シルクロード」シリーズを手がけるまで、板橋区に在住しておられた。先日も触れたが、今月発売の雑誌「東京人」にて、板橋区についての原稿を執筆いただく著名人をあげてほしいと頼まれ、真っ先に浮かんだのが平山氏だった。平山氏は広島県の生口島に生まれ、広島市内の中学に在学中、勤労動員先で原爆に遭った。1947年、東京美術学校(現東京芸大)日本画科予科に入学。卒業時に日本画科の副手に選ばれ、前田青邨(せいそん)に師事。53年、院展初入選。原爆の後遺症の中で、仏典をインドから持ち帰った唐僧・玄奘を描いた59年の「仏教伝来」で注目された。さらに61年の「入涅槃(ねはん)幻想」などで釈迦への敬慕の念を表現する一方で、シルクロードを舞台にした「仏伝シリーズ」で評価を高めた。96年に仏レジオン・ドヌール勲章、98年に文化勲章、01年にマグサイサイ賞。母校の東京芸大学長を2度務めたほか、日本美術院理事長、日中友好協会会長など画壇内外の要職を務めた。
(写真は平山郁夫美術館より拝借 http://www.hirayama-museum.or.jp/greeting/index.htm)

 資料が手元にないのでうろ覚えのまま書きますが、芸大の副手をしていた平山氏は、1955年に結婚。貧乏のどん底時代を中板橋の下宿屋で過ごした。米や味噌など生活必需品を中板橋の商店街でツケで借りまくり、顔を上げて商店街を歩けなかったと言う。多少生活が楽になり、成増に移り住む(家族の写真は62年、成増時代に撮られたもの)が、世話になった商店街への義理立てから、米などを相変わらず中板橋の馴染みの店へ注文していたそうで、ある時、とうとうお店の方が、配達が遠いためもう注文してくれなくていい‥と根をあげてしまったことがあったそうだ。この成増時代の家から引っ越す際に表札を盗まれてしまい、思い出深い表札を返して欲しいとどこかに書いていたこともあった。一度、この板橋時代のことを詳しくお聞きしたかったのだが、かえす返すも残念である。平山先生はここ数年、帝国ホテルの谷村新司ディナーショーに必ずご夫婦でこられていて、お姿をおみかけしていた。(実は会場で写真を撮って差し上げたこともある‥)今月はそのディナーショーがあるが、もう来られることはないんだなあ。ただただご冥福をお祈りするばかりである。

明日発売の「東京人」1月号ですが、「つりバカ日誌」でおなじみの漫画家・北見けんいち氏が、子供時代を過ごした板橋区時代のことを、愛情のたっぷりこもった文章で見事に書き上げております。是非、ご覧下さい!!

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