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2009年10月

☆板橋区民まつり2009☆

09 しまった。板橋区民まつりの宣伝をするのを忘れていた。怠慢ここに極まれりである。
本日から週末の二日間、大山文化会館と養育院(最近名称が変わったか?)一帯を会場に、恒例の区民まつりが行なわれている。今年で第38回目だ。2日目の予定は下記アドレスへどうゾ。
http://www.city.itabashi.tokyo.jp/c_kurashi/003/003872.html

 それにしても、毎年のことだがすごい人出だ。百年に一度の不況も何のその、まるで板橋区民のほとんどが集まっているんじゃないかというくらいで、特に養育院敷地内で行なわれている板橋楽市楽座やふるさとひろばなどの物産展ブースの並ぶエリアは押すな押すなの大混雑。歩くことすらままならない。あまりの人の多さに、今年もまた、前から気になっていた「舟渡ラーメン」は結局食べることが出来なかった。(明日もやってますが‥)そうそう、明日は文化会館隣接の板橋第一中学校庭、区民ステージでは、12時から「郷土芸能の広場」が催される。区内で行なわれている田遊びや四つ竹踊りなどの伝統芸能をコンパクトに堪能出来るので必見だ。しかもベテラン学芸員による解説付きだ。
 午後一時半、恒例の桜川中学校吹奏楽部によるオープニングパレードで幕を開けた区民まつり、次に登場したのは御存知、板橋区の誇る「西洋流火術鉄砲隊保存会」による空砲発砲演武だ。今回は、溜め池公園で行なわれる”赤塚梅まつり”の同日、赤塚城趾で披露されている鷹狩り&武道大会に出演しておられる、バグパイプ演奏者の加藤さんとのコラボ出演で、パグパイプの行進曲に合わせて堂々の行進をおこなった。(バグパイプはスコットランドの伝統的な軍楽隊で使用される楽器なのでオランダ流の鉄砲隊とは違いますが、それはまあ愛嬌で‥)今年で4回目か5回目の区民まつり出演だけど、相変わらず発砲演武では驚きの歓声が上がる。今回の銃士は9名の参加だったが、実際に高島秋帆先生が徳丸原でおこなった演習では門下生99名が参加し、それが一斉に射撃をしたのだから、その迫力たるや凄まじかったものと思う。見逃した方は、来週日曜日(25日)に高島平で行なわれる「高島平まつり」にも出演するので、そちらに是非お越し下さい。今回は秋帆先生が導入した「ゲベール銃」を使った解説もありますよ☆会場は高島平図書館隣接の旧高島第七小学校校庭、鉄砲隊出演は午後1時半から2時まで。

 ここからは日記みたいなもので申し訳ないですが、先月のブログ更新遅延のイイワケが仕事&学校通学でしたが、今月は月刊誌「東京人」から取材&原稿執筆の依頼と来月ニューヨークへ行くための仕事の前倒し処理が重なり、新たなネタはたくさんあるのですがそれらを纏め、推敲してUPする精神的余裕がないのです。。ああ、でも先日参加した旧「成増会」による恒例の靖国神社昇殿参拝の一件もUPしないといけないですね‥頑張りマス。。そうそう、ニューヨークへはただの旅行ではなく、ちゃあんと板橋区民としての責務を果たすためのこともありますので、その様子は現地からお送りする予定ですよん。ではでは。

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靖国神社昇殿参拝2009

091092093 ようやく月刊「東京人」の原稿を入稿しました。各区に縁のある著名人がコラムを執筆しますが、編集部よりどなたか推薦してほしいと言われたので、板橋区は「つりバカ日誌」でおなじみのマンガ家・北見けんいち氏をお進めした。北見氏は、終戦後、一家で大陸より引き上げ、志村に落ちついた。志村と言っても荒川の土手に近い場所で、当時の志村は範囲が広く、高島平も団地が出来る前には町名としては志村でした。原稿執筆を心良くお引き受けいただけたようで、楽しみですね。巻頭対談は、師と仰ぐ泉麻人先生や辛酸なめ子さんらが務めます。

 さて、10月某日、恒例の旧成増会の方々による靖国神社昇殿参拝が行なわれました。本殿前で手を合わせるだけの参拝とは違い、昇殿参拝はとても厳粛な気分にさせられますね。特に巫女舞いには引き込まれます。今年も、当時の関係者の方々は、5名がお集まりになられました。特に、元47戦隊・さくら隊に所属していた一楽さんは、しんどいしんどいと言いながらも、いつも遠路はるばる大阪からお越しになります。そして、参拝と一緒に、池袋の施設にいる知り合いの方のお見舞いをしていかれます。その方には、成増飛行場時代に世話になっていたそうで、もう成増での知り合いはその人しかおられないのだとか。一楽さんは特操一期出身、将校操縦者としては最年少で、多くの仲間が特攻で散って行きました。ご本人曰く、「一番ペーペーの操縦者で、たいした働きもせんでしたよ。」と謙遜するが、数々の防空任務に出動し、終戦前日の昭和20年8月14日、四国・佐多岬上空で行なわれた日本陸軍航空隊最後の戦闘にも、愛機・四式戦「疾風」を駆って参戦している。当時のことを洒脱な大阪弁でこう語る。「いや、実はあん時はじめて敵と会敵しましてね、P-38ですねん。(双胴の悪魔と呼ばれ、山本五十六長官機を撃墜した機種)なにせ敵機に機銃を撃ち込むのは初めてのこってすさかい、照準に入ってすぐに撃ちましてね、あんな遠くから撃ったって当たらしまへんがなまったく。へへへ。」そんな一楽さんだが、8月9日、九州八幡上空を哨戒飛行中、長崎原爆が炸裂するのを見ていた。「目の端に、眩しい光を感じて振り向くと、見た事もない雲が上がっとるんですわ。数日前、駐屯している小月飛行場に怪我人が次々に運ばれて来て、新型爆弾が落ちたと聞いていたから、ああそれやな、とピンときましたわ。」以前、一楽さんのお宅にお邪魔したことがあったが、部屋にはP-38の模型が飾られていた。

 この日、いつもお世話になっている、元・第194振武隊の堀山隊長も元気で出席されたが、これを読め、と1枚の紙を渡された。紙にはこの夏、癌が見つかり、今月より闘病生活に入る旨が記載されていた。集めた特攻隊に関する書籍や資料もすべて後進に託されたそうである。その日に出席された方のうち、一番元気そうに見える堀山さんだが、わからないものだ。唖然とする私に向かい、「大丈夫だ。私は必ず還ってくる。退院は二ヶ月後だ。」そう力強くおっしゃった。帰り際、靖国神社の本殿に向かい、深々と頭を下げておられた。堀山隊長には、まだまだ教えていただきたいことや、紹介してほしい方がいる。元気でいてくれなくては困るのだ。隊長は、今日も厳しい治療と戦っておられるはずだ。ただただ治癒を祈るばかりである。

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