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2009年3月

ー宣伝ー 梅まつり☆赤塚城戦国絵巻行列と鷹狩り・古武道大会☆

211_2 しまった、忙しさにかまけて油断をしていた。赤塚溜池公園一帯で行なわれる”梅まつり”で恒例の行事となった、赤塚城戦国絵巻武者行列と、翌日に赤塚城趾公園で行なわれる古武道大会の宣伝をするのを忘れていた。
写真も去年のブログにupした物の流用ですがスミマセン。

 
 
 ということで、今週7日土曜日午後一時から、地元の小学生達を中心とした勇ましい鎧武者と美しいお姫様達の行列がおこなわれます。指導役は、板橋区の伝統工芸師に認定されている、甲冑師の三浦公法先生だ。普通の武者行列と違うのは、出陣式(着到状・三献の儀・勝鬨・鉄砲発射・行進)をちゃんと行なうことですね。
翌日8日は、赤塚城趾公園で古武術大会が行われます。タイムスケジュールは以下の通り。

11時 開会挨拶
11時05分〜双水執流居合い
11時35分〜正木流萬力鎖術・十手術(12時まで)
13時30分〜鷹匠(14時まで)
14時00分〜バグパイプ演奏
14時10分〜西洋流火術鉄砲隊演武

 昨年の鷹匠では、鷹が上空を旋回していたカラスに気を取られて飛び去ってしまい失敗したが、今回はそのリベンジという事で気合いが入ってマス。鷹は場の雰囲気に慣らす為、午前中から会場に出ており見学が出来る。他にも珍しい鷹匠の道具の展示もあるので必見だ。西洋流の演武のあとは交流会も予定されているので、火縄銃に興味のある方は真近で見られるチャンスですよ。質問もOK。ただし銃には触れませんのでよろしく。

[赤塚梅まつり]http://www.rurubu.com/season/winter/ume/detail.asp?SozaiNo=130007

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ーホントに速報!ー 赤塚梅まつり戦国武者行列

091092093094095 うん、今日は頑張った。ほんとに速報だ。赤塚梅まつりについての話題です。


 

 好天に恵まれた小春日和の赤塚溜池公園周辺にて、本日より開催されている「赤塚梅まつり」会場をおかりして、赤塚城戦国絵巻武者行列が厳かに執り行われた。今年で2回?いや、3回目だったか‥う〜ん、花粉にやられて最近の記憶も怪しくなったようだ‥ もともと構想自体は5〜6年前からあったような気がする。あまり知られていないが、成増・三園・赤塚・徳丸地区を中心とした、旧赤塚郷地区の観光を盛り上げるため「歴史と緑のふるさと」事業が赤塚支所によって始められたことが原点だったかな。国際興業バスの成増駅〜美術館〜高島平操車場路線が新設されたのもその事業の一環だ。7年前に結成された高島流火術鉄砲隊保存会もそう。いづれも郷土資料館を中心に結成されたが、区民有志によるボランティアにて運営されている。
この武者行列で使用されている鎧兜は、実は紙で出来ている。しかし、塗料などを何層にもコーティングしているので遠目にはわからない。これらの鎧兜は郷土資料館の講義室で半年をかけて手作りで工作したものなのだ。(指導の三浦先生と弟子達のものはちゃんと鉄で出来てますが。)あの映画「ラスト・サムライ」の甲冑も、ほとんどがプラスチック製なんですよ。実際に本物の鎧を着て草蛙を履いて行軍したことがあるけれど、相当キツイもんでした。これで敵と戦うなんてとても出来ないッス。今回参加した子供達は、昨年秋の農業まつりに出演したのでもう慣れたものでした。着替えもテキパキとしてくれる。出来ればこのまま正しく大人になり、ふるさと事業を継いでいってもらいたいモンですねえ‥。まあでも私も本格的に板橋区の研究を始めたのは30歳を過ぎてからでしたが。。戦国武者行列も高島流砲術隊もサポートを含め参加していただける方(ボランティアですよ)を常に募集しておりますので、気軽に声をおかけ下さい。伝統工芸師を始め、普段は知り合えないような様々な方が参加しており、自分の世界を広げるチャンスです!

YouTubeに動画をupしてますのでご覧下さい。

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ーホントに速報!ー 赤塚梅まつり赤塚城古武道大会と鷹狩りと西洋流演武

09092 疲労困憊ですが、赤塚梅まつり古武道大会の様子をYouTubeにUPしちゃいます。いや〜やれば出来る子なんですよ、ワタシは。(田遊びはどうなった?の声が聞こえますが‥)

 梅まつり2日目の本日は昨日と違い生憎の曇り空、また寒くもあり人出が心配されましたが、楽しみにしておられた方も多く、昨年並みの出足でした。午前には居合いと十手術の2団体の演武、午後は鷹狩りとバグパイプ演奏、西洋流演武という流れでしたが、何と行ってもメインは「鷹狩り」ですね。昨年は演武中に鷹が上空を旋回していたカラスに気を取られ、城外に飛び去ってしまうというアクシデントがありました。だから今回はそのリベンジと言うわけです。
鷹はとっても繊細な動物で、会場に慣すため、午後1時半からの演武でしたがその遥か前の朝10時には待機しておりました。その間、会場を訪れた人達のかっこうのカメラの被写体となっていましたが、これも演武前に大勢の人間に慣すための予行演習だったんですね。他にも、演武には出演しませんでしたが、数羽の鷲やハヤブサがおりました。そうそう、ハリーポッターでおなじみの、白フクロウ君もおりました。猛禽類って怖いですが、なかなか凛々しい姿ですね。
梅まつり期間中に赤塚城趾で行なわれるイベントもまだ始まったばかり。回を重ねるごとにノウハウの蓄積も出来、来年は更なるバージョンアップをしますので、今回来られなかった方は是非、こぞってお越し下さいませ。お手伝いいただける方も大募集中です!!

さて、そろそろYouTubeに映像がアップロードされましたので、ご覧下さい。

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成増陸軍飛行場秘話4 〜東の空を見ていた夜〜

Photo1 昭和20年2月10日、中島飛行機太田工場への空襲を担当した米軍第21爆撃機兵団は、工場へかなりの損害を与えたが、目標が内陸部にあったため、作戦に参加したB29機が12機も撃墜されるという、今までで最大の損失を被った。すでに1月下旬には、高高度からの精密爆撃を進めていたハンセル准将から、焼夷弾を低空から大量に投下して行う空襲法を推奨する、ルメイ少将へと司令官の交代が行われていた。ルメイも最初は従来と同様の精密爆撃を行っていたが、冬期の日本列島上空は気象条件が悪く、爆撃機の燃費や編隊飛行の維持の困難から、夜間に低空で侵入し、焼夷弾空襲を実施することにした。

2月16・17日の両日、米軍第58任務部隊(空母を中心とする機動部隊)の艦載機群が、関東地区の飛行場などへの攻撃を行なった。
16日の夕方、防衛総司令部では、この日の戦闘について検討が行われていた。我が方の防空部隊は、相当の損害を受けてしまっている。それより先、2月9日の防衛司令部における方面軍司令官等の会同において、防衛参謀より、敵小型艦載機との戦闘は航空戦力の損耗が激しく、機材・人員の補充も困難であるので、来るべき本土決戦に備え、航空戦力の温存を図るようにとの意見が出されていた。このことをふまえ、戦闘隊による積極的な対艦載機戦闘を、制限することがすでに決められていた。そこで、第10飛行師団の中で最も戦力の充実していた47戦隊(成増)と244戦隊(調布)を防空任務から外し、この日(16日)の夕方をもって第6航空軍の指揮下に入れたのである。両戦隊には、戦闘機を地上に分散隠匿し、損害減少を努めるようにとの命令が下った。
防空任務を解かれた47戦隊の空中勤務者達は、ピストにいる必要もないので下宿で過ごしたり、知り合いの家に泊まりに行ったりしていた。桜隊の一楽さんは、ある夜、トラックに乗せられ西方向(川越方面)へ向かい、大きな家で一晩過ごしたことを記憶している。

‥今からちょうど64年前のこの日深夜。焼夷弾を満載したB29の大集団がテニアンやマリアナの基地を飛び立ち、東京の下町に殺到した。すでに防空任務を外されていた47戦隊は邀撃の命令も無く、隊員達は東の空が真っ赤に染まるのを、ただなすすべもなく飛行場から眺めていたのである。

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達人と歩く徳丸。

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 常日頃より我が師と仰ぐコラムニストの泉麻人先生から、現在Webで連載しているコラムのネタになるような東上線沿線の喫茶店を紹介せよとの勅命が下ったので、先週某日、東武練馬から下赤塚へ向かう途中にある「らびっと」を訪れた。

取材当日、泉センセとは朝10時に東武練馬駅南口で待ち合わせをした。時間を過ぎても到着する電車からセンセは現れない。と、いきなり荒井花店の横からひょっこり姿をあらわした。なんでも、早く着いたので北町商店街をぶらついていたそうである。実は泉センセが東武練馬に来るのはこれが初めてではない。数年前、東京新聞の日曜版で連載していた”ボクが初めて降りる駅”というコラムで徳丸7丁目にある、板橋区の有形文化財に指定されている茅葺き屋根の名主家・粕谷家住宅の敷地内にあるそば屋「爽風庵槙」の取材でこられたことがあった。その時、私は同道しなかったが、センセはタクシーを使うまでもなくあの距離を歩いて店まで伺ったのだそうだ。まっ、これまでも、ちょくちょくここいら辺の話はセンセのコラムには出てくる。中学生の頃、開業したばかりの三田線(当時は都営6号線)で終点の志村駅(高島平駅)まで来た時の話や、コラムニストとして売り出し中の1980年代半ば(たしか”ホットドックプレス”だったか?)に、まだ再開発される前の四葉地区を歩き、そのド田舎っぷりに驚いた話などなど‥。
 
 駅南口を出て「いや〜昔、ここでAVの撮影があってですね〜」なんて話をしながら踏切を渡り、徳丸の街を進む。途中、徳丸変電所を指差し「ここは板橋区内で一番標高の高い場所なんッスよ〜」と小ネタを挟む。センセはメモ帳を取り出し、時折、なにやら書き込みをしておられる。
約10分程で目指す「らびっと」に到着した。知っている人はご存知と思うが、この店は、地元出身の浜さんが’86年の秋にオープンした喫茶店だ。店の外や中には、氏が収集した1950年代〜60年代を中心としたグッズであふれている。私も初期の頃からたまに寄らせていただいていた。今から10数年前、赤羽線時代の板橋駅の銘板が売られていることを浜さんから教えていただき、それは現在私の部屋に展示されている。単なるファッションでレトログッズをディスプレイしている店は多いが、「らびっと」はそんなちゃらけた店とは一線を画するのである。今回の取材であらためて店の由来をお聞きしたところ、もとは御両親が昭和20年代に現在地(徳丸3丁目13番地)へ越して来て、クリーニング屋を始めたのだそうだ。昭和44年の住宅地図を見ると確かに浜屋クリーニングとある。浜さんは学校を卒業後、しばらくサラリーマンをしていたが、クリーニング店を継ぐために会社をやめた。しかし、家業には身が入らず、いつしか趣味の骨董集めに没頭。店を閉めてその中は収集品の倉庫なってしまった。そこへ友人が集まりコーヒーを飲みながら収集談義に花を咲かせているうちにいつしか喫茶店をオープンさせてしまった‥店名は、バイクの”ラビット”からの命名だ。おっとこんなことを書いてしまうと泉センセの営業妨害となってしまうので、詳しくはセンセのコラムを待とう。来月の中旬頃にupされる予定だそうだ。
平凡社ウエブ連載「喫茶店ブルース」http://www.heibonsha.co.jp/)
 
 一通り取材を終え店を出てから、下赤塚駅へ向かうことにした。板橋サティが出来て激変してしまった東武練馬駅界隈より、下赤塚の方が個性的な店が多いので、次回取材のためにもいろいろと紹介しておこうと思ったからだ。まずはライフ手前を左折して踏切を渡り、川越街道沿いにあるピザ屋・モンマルトへ。ここは昭和30年代の終わりにグラントハイツの外人さん相手に開業した店で、婚約時代の倍賞美津子&アントニオ猪木(倍賞家の実家が田柄にあるため)や少女時代の幸田シャーミンさんも通っていたそうだ。あとは駅南口にあるアンティークの店やレトロ感漂う歯医者(石井歯科医院だったか?)、なかでもセンセのお気に召したのは蔦の絡まる古めかしい喫茶店「ヒュッテ」だった。実は最初、ここを紹介したかったのだが、現在は月に一度くらいしか開いていないので、今回は見送ったのである。前にたまたま開いている時に通りかかったのだが、店内を覗き込むとお客同士がなにやら本を見ながら合唱をしている‥。そう、「ヒュッテ」の名が示すように、ここは”歌声喫茶”なのであった。昭和30年〜40年代に一世を風靡し、今は絶滅してしまった幻の歌声喫茶が、ここ赤塚でひっそりと生き続けていたのである。今回は見送ったが、泉センセはいつかこの店を取材するはずなので、お楽しみに。

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