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上板橋ラヴストーリー 〜五本けやきは残った〜

Photo0812月も10日近く過ぎてしまいました。いや〜師走ですね。商店にはそろそろ正月用品が並べられています。最近気がついたのですが、都心は例外として、クリスマス商品が前ほど溢れていないように思います。日本のクリスマスは、基本的に子供のいる家庭か若いカップル向けのイベントですので、これも少子高齢化の影響なんですかね。

 本格的な冬を迎え、急速な景気の冷え込みも加わり心もフトコロも寂しくなるこの時節、ポッと暖まる話をひとつ‥

 板橋区を東西に走る国道245号線、通称・川越街道。15世紀に太田道灌が江戸城と川越城を築き、その城を結ぶために整備した道であることは有名ですね。もともとの旧・川越街道は、17号線・中山道の板橋区役所近くから分かれて続く道で、実は大山のハッピーロードも川越街道の一部なんですね。現在の川越街道は大正時代に企画され、昭和8年から工事を開始。工事は部分的に着工し、板橋区内の工事は昭和19年、赤塚新町近辺の拡張工事を最後に完了。当時は改正道路と呼ばれてました。
そんな歴史から始まった新・川越街道(ややこしいのでこれからは単に川越街道とします。)、都心から郊外への輸送を円滑にする他、途中に大きな川がないことが好都合だったので、道路沿いに軍事施設を設置する目的もあったようだ。今の練馬自衛隊一帯は、十条地域にあった兵器組み立て工場の陸軍第一造兵廠の倉庫だったし、赤塚新町には成増飛行場、白子辺りには各種軍需工場、埼玉陸軍病院(現在の市民病院)、朝霞には士官学校が置かれた。自衛隊あたりの直線部分は、飛行機の離発着が可能なようにつくったなんて話も残っている。実際、終戦直後に米軍の飛行機が北町交番あたりに不時着し、不幸にも子供が巻き込まれて亡くなる事故が起こった。

 さて本題。川越街道の上板橋駅付近、道路の中央に舟形の安全地帯のような部分がありますね。そこには大きな欅の木がすっくと立ち並んでいます。この欅は「五本けやき」と命名され、上板橋のランドマークとなっています。うろ憶えですが、昭和55年に”板橋区の木”が選定された時、五本けやきがあったことから板橋区の木に”けやき”が選ばれたんじゃなかったかな。でも、なんで道路のど真ん中に残っているのだろう?ちょっと文献を見てみると、概ねこんな理由が書かれている。「川越街道の拡幅工事の際、当時の上板橋村村長であった飯島氏が屋敷林の一部のけやきを残すことを条件に土地を提供した。」 一見、ああそうなんだ、と思ってしまいますが、当時、ハイウエイのように設計された道路に存在する”五本けやき”は、障害物以外のなにものでもなく、しかもその土地は、地元の村長の土地。飯島弥十郎氏は北豊島郡会議員をはじめ、豊島病院管理者や消防組頭、巣鴨関東市場の社長も務めていたほどの人物。道路買収が始まった頃、時代は日中戦争に向かうなど、次第に戦争協力が求められる時期でもあり、そんな時にわざわざ木を残せなんて、よく言えたものだと思いますね。ある本には”戦争反対論者だった飯島氏は軍用道路建設をこころよく思わず、木を残すことで抗議の姿勢を示した。”なんて載ってますネ。にわかには信じがたい話ですが、とにかく飯島さんは相当頑強に抵抗したらしい。ついに当局は折れ、道路はその部分を舟形に迂回するように作られた。掲示のモノクロ写真は、その工事の際に撮影されたもの。アレ?よく見てみると、けやきは五本じゃないじゃん? 実は、「五本けやき」は後年になってから付けられた名称なんですね。もともとは、もっと本数があったそうで、枯れたりしてだんだん少なくなっていったらしい。五本けやきと名がついてからも一本が枯れ死し、一本が交通事故に巻き込まれて折れてしまった。その後、これではおかしいとの声が上がり、地元有志の力により二本が植樹され、現在に至っている。
 何故、けやきは残されたのか?そこには、確かに力強い意志を感じます。しかし、どの文献を見ても、飯島さんの強い意向により残った、としか書かれておらず、その強い意向について明らかにしているものはありません。
ところが、解答を示す一つのヒントが、2001年11月8日付けの読売新聞地方欄に載っておりました。「弥十郎さんの親族によると、弥十郎さんの妻・錫(鈴)さんは、川越街道が通る前の昭和初期、若くして病気で亡くなっていたが、生前、けやきのそばにあったテニスコートに着物姿で立ち、よくテニスを楽しんでいたという。」そして、記事はこう結ばれています。「‥五本けやきを板橋区の樹木保存の先駆とさせたのは、弥十郎さんと錫さんの遠い日の想い出だったのかもしれない‥」と。飯島氏は、愛する妻を忘れることができず、その想い出をけやきに託し、後世までも残したかったのだろうか‥。なんてステキな話じゃありませんか。明治生まれの気骨ある日本男児としては、妻との想い出に残した、なんてことは気軽に口に出来なかったんでしょうね。

 人は信じたいことを信じるものだ、と言われます。私は、軍国主義に反対した、というよりも、奥様との愛のカタチを残したかった、という物語の方を信じたいと思います。もうすぐクリスマス、あなたは愛する人と過ごしますか?

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