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そうだ!兎月園へ行こう。

7592075921Photo 農業まつりも終わり、秋深し、といった感じですかね。私の長年の観察によると、板橋区内の紅葉は11月20日前後に見頃を向える。紅葉スポットは、大門近くの赤塚公園周辺ですかね。
でも、いまから80年くらい前ならば、当時の板橋人はきっとこう言ったことでしょう。”そうだ、兎月園へ行こう”

 兎月園とは、東武鉄道の社長である根津嘉一郎が、成増付近の発展のために考案した高級遊園地だ。正確な開園時期はわからないが、大正の終わりから昭和の始め頃といわれている。当時の板橋地域二大娯楽場といえば、中板橋の遊泉園と兎月園が上げられる。(ハッキリいって、両方とも石神井遊泳場と豊島園のパクリ施設ですが‥)兎月園についてはあまり資料がないので、板橋区役所発行の「写真は語る」から引用すると、広さは1万坪以上、園内には料亭や日本庭園、遊興施設、運動場、池などが完備していた。遊興施設には兎月演芸館という映画館があったらしい。
 東武鉄道が発行したパンフレットを見ると、なるほど帝都郊外にふさわしい行楽地にみえますね。入り口は二ヶ所、真ん中に、おそらく田柄用水から引いた池があり、そこに面して母屋の料亭などが点在し、池を中心とした右側(北側?)は日本庭園が広がるのでしょうか。奥のひときわ大きい建物が演芸場ですかね。池の左側(南側)は広々とした運動場や、滑り台などの遊戯施設が見えます。入り口付近には白い花畑が、ピンク色の木は桜のようで、オレンジ色で表現されている木は紅葉したもみじですかね?きっと冬には大きな興行を呼び、まさに一年を通じての娯楽場だったのでしょう。でも、この兎月園、非常に高級な施設であったため、ジモピー達には近寄りがたく、あまり縁のない場所だったらしい。そもそも考案者の根津嘉一郎は芸者遊びが大好きで(下賤なやつではないですよ。)、この時代、芸能向上の祈願社として芸者衆の信仰を集めていた東松山の箭弓(やきゅう)稲荷神社への参拝用として、東上線で初めての記念切符を発行し、芸妓達に配ったとの逸話が残るほどでした。そんな高級趣味人が作った遊園地ですから、地元の人々には高嶺の花だったんでしょう。しかし、戦時体制により昭和18年頃には閉園、短命で終わってしまいました。昭和17〜8年頃には、帝都防衛飛行場を建設するために視察に来た、陸軍の大河内大佐が滞在していたこともあったようです。昭和20年4月に米軍爆撃機・B29が偵察用に撮影した写真から兎月園と思われる一帯をトリミングしてみましたが、何となく場所がわかりますかね?
先日、そのあたりを歩いてみましたが、もはや面影はまったく見出せませんでした。わずかに、兎月園通りという名と、”板橋のいっぴん”に選ばれた、和菓子司ふじむら(成増1-25-9)の作る兎月まんじゅうにその名を残すのみのようです。

 この兎月まんじゅう、その愛らしい形といい、ホントにおいしいですよ。包装紙のデザインも素晴らしい。お近くをお通りの際はぜひどうぞ。
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